見出し画像

【近代・前③】『海帝』~中国による大航海時代というイフ~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『海帝』1巻表紙より

 ヨーロッパの歴史において「中世」と「近世」の境界線の一つとされるだけでなく、前記事で論じたとおり「現代」の始まりとして位置づけることもできる「大航海時代」の幕開け。特にその初期におけるヨーロッパからの長期航海とこれによる新航路・新大陸の発見はしばしば華々しく語られるところであり、当事者の中にはコロンブスのような超有名人もいます。

 しかし、例えばヨーロッパからインドやアジアに航海するような、大陸を股に掛けた大航海は何もヨーロッパの専売特許ではありません。むしろ、ヨーロッパの大航海時代が始まる15世紀後半よりもさらに半世紀ほど早い時期に、大航海時代に勝るとも劣らない大航海が既に中国において行われているのです。この大航海を牽引したのは鄭和という男。『シュトヘル』の記事で紹介したモンゴルの支配が終わった後に、新たに中国で建国された「明」という国の役人です。

 鄭和の大航海の話に入る前に、まずこの明という国について説明させてください。
 13世紀前半に始まったモンゴルによる大侵攻は中国さえも飲み込み、中国はモンゴル人による「元」という国の支配下に入ります。モンゴル人によるユーラシア大陸の広域支配に組み込まれることで、中国は西方文化(キリスト教やイスラーム教の宗教や、当時最先端だったイスラーム圏の科学技術)が大量に流入する独特の時代を迎えますが、100年程経つと漢民族による反乱が本格化し、元は遂に滅亡。反乱の中で台頭した貧農出身の男が皇帝となり、次の国「明」を打ち立てるのです。

 この明が構築したのは、皇帝の権力が絶対とされる徹底的な独裁体制です。対内的には、宰相等の地位を廃止し政治機構や軍隊を皇帝直轄とするなど皇帝権力を強化。一方対外的には、民間貿易や民間人の海外渡航を禁止しつつ、皇帝の直接の管理下のみで貿易を行い、貿易の利益を独占できる体制を確立させます。当時室町幕府の統治下にあった日本などは早期にこの貿易相手となりましたが、明はそれに飽き足らず更なる貿易相手の拡大を目指すこととなり、その貿易相手探索のために海外へ派遣されたのが、上に述べた鄭和だったのです。
 凄まじいのはその結果鄭和が繰り広げた航海の範囲の広さでして、まず中国から南下して東南アジアに至るとそこから西進。インドを越えて中東アジア沿岸部を転々としたほか、最終的にはアフリカのケニアに到達します。繰り返しますが、この時15世紀前半。スペインやポルトガルが本格的に航路開拓に着手するその半世紀以上前、ヨーロッパではジャンヌ=ダルクが活躍した百年戦争がまだ継続していたような時代に、その航路を鄭和は既に攻略していたのです。

 こうした事実は、その後ヨーロッパが大航海時代の幕開けをきっかけに世界の覇権を握ったことを知っている私たちの視点から見ると、なかなかに数奇なものを感じます。もし中国が、この時拓いた航路を継続して維持していたら。もし明が、貿易を皇帝の直接の管理下のみで行うのではなく貿易をある程度自由化させ、その結果対外商業の大発展が中国で起きていたら。現代世界の在り様は、現実とは全く違ったものになっていたのかもしれません。

 そんな「歴史のイフ」を感じさせる鄭和の南海遠征をエンタメ性たっぷりに描き上げるのが、星野之宣先生作『海帝』です。

 鄭和の南海遠征については実はその詳細を示す資料があまり残っておらず(後世の者が政治的対立を背景に意図的に破棄したと言われています)、おおよその時期、航路、背景事情しか分かっていません。しかしその空白を埋めることこそが歴史ものにおける腕の見せ所の一つでして、『宗像教授』シリーズ等で創作を交えながら歴史・民俗を扱ってきた星野先生の筆致が光ります。
 具体的には、中国人であるにもかかわらずイスラーム教徒であったと言われる鄭和のルーツ、南海遠征を命じた皇帝(永楽帝)と鄭和の間にある過去からの因縁、そして彼のもとに集い航海を共にする、かつての戦友や「倭寇」(当時中国沿岸部を荒らしていた日本人を含む海賊)との絆。史実に裏打ちされたリアリティ溢れる創作の要素が、十二分に彼の遠征を彩るのです。

 そして何より強調したいのが、鄭和が南海を進むにしたがって未知の世界がだんだんと姿を現していくそのロマンです。当時のアジアには、やがて津波のようにやってくる西欧勢力の手がまだ届いていません。その意味で「原初」のままの東南アジアが、インドが、そしてアフリカが鄭和を、私たち読者を新たなる冒険へと誘います。
 しかしその地図が広がっていくにつれて鄭和が高ぶりと同時に覚えるのは、これら未知の世界のさらに向こう側にあるという、ヨーロッパという世界の不穏さ。もちろん当時の鄭和が実際にそこまで思いを至らせていたかは不明ですが、その後の未来を知っている私たちからすると、上記の「数奇さ」を覚えさせる描写です。

次回:【番外編②】『将国のアルタイル』~オスマン帝国の出現と近世ヨーロッパにおける「国際政治」の幕開け~

この記事が参加している募集

マンガ感想文

世界史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?