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【近代・前⑤】『セシルの女王』~「覇権国家」英国、その始まりとしてのエリザベス1世のルーツ~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『セシルの女王』1巻表紙より

 本記事シリーズ近代・前半、すなわち近世の章は、前記事まででようやく「ヨーロッパにおける中世からの脱却」の全体像を捉えることができました。
 ヨーロッパにおける中世と近世とを分ける出来事は数あれど、よく強調されるのは3つの事件。すなわち①ルネサンス、②大航海時代、そして③宗教改革であり、それぞれ関連するマンガ作品とともにその様相を見てきました。

 では、その3つの事件が拓いた「近世」とはどのような時代だったのでしょうか。それはこれまで見てきたとおり、かつて地方勢力の寄せ集めでしかなかった「国家」が、国王という中央権力のもとに一まとまりになっていく時代であり、またその分異なる勢力間で勃発する戦争も激しく、大規模になっていった厳しい時代でもありました。その様相は『アルテ』『イサック』等で描かれるほか、『将国のアルタイル』が架空戦記を描く中で見事にモチーフとしています。

 そんな近世の一つの到達点が、近世中盤に主に英仏において結実した「絶対王政」なる体制です。文字通り国王への集権が極まった体制であり、かつて異なる権力者のもとバラバラに動いていた経済・軍事を王権のもと統一的に動かせるようになったことで、(上手く歯車がかみ合いさえすれば)国力を大きく高めることができるシステムがここに実現するのです。実際、絶対王政を早期に実現した英仏は、同時代において屈指の強国へと成長していくことになります。
 中でも、この時期一気に国力トップクラスの地位へと駆け上り、以後20世紀初頭までその地位を維持したイギリスにとって、この時代は大きな分岐点、特異点であったと言えます。
 本記事シリーズにおいて前回イギリスを直接とりあげたのは、百年戦争を題材にした『レベレーション』の記事でした。
 本記事で見たとおり、イギリスはこの百年戦争で一人の少女、ジャンヌの登場によって大逆転負けを喫するわけですが、その後この国を待っていたのは王座を巡る二つの貴族の内戦(バラ戦争)でした。優勢・劣勢が目まぐるしく入れ替わる戦いの果てに、片方の貴族の縁者の男が王位に就きヘンリ7世となると内戦はようやく終結。ここから、この王家による絶対王権の整備がスタートします。具体的には、政治体制の改革により王権強化が進んだほか、次代のヘンリ8世は王妃との離婚問題をきっかけにカトリック教会と決別、国王を頂点とする独自のキリスト教組織を構築して旧宗教勢力を取り崩します。
 この成果が見事に結実したのがエリザベス1世の時代です。対内的には父・ヘンリ8世が進めていた王権強化を完成。対外的には大航海時代の旗手として当時君臨していたスペインの無敵艦隊を叩き、新大陸アメリカ、インド、東南アジアへの商業進出の足掛かりを作ります。ここに、世界を股にかけた(悪)名高き大英帝国の道のりの幕が上がるのです。
 
 そんなイギリスの分岐点を、英宮廷に仕えたある男の人生を視座に描くのが、こざき亜衣先生作『セシルの女王』です。

 主人公は宮廷に仕える地方有力者の長男、セシル。12歳になった彼は父に連れられ初めて憧れの宮廷に出仕するのですが、そこで待っていたのは彼が幼い心の中で期待していた華々しい活躍の舞台ではなく、ヘンリ8世の横暴と、彼の下で貴族たちが繰り広げる権力争いでした。
 宮廷の醜さ、そして自身の無力さに落ち込むセシルでしたが、心優しき王妃アン・ブーリンと出会い、彼女のお腹の中にいる未来の王のため宮廷への出仕を続けることを決意。また、王と前王妃との離婚のきっかけとなったことから、宮廷内で冷たい視線を注がれているアン・ブーリンを守るべく奮闘します。しかしながら、王といえば男というこの時代、男子を産めないアン・ブーリンの立場は、ますます悪いものになっていくのです・・・。

 本作の見どころは何といっても、宮廷を舞台に描かれる「大人の世界」の冷たさだと思います。絶対権力者ヘンリ8世の暴虐、それには笑って頭を下げながら裏では互いに足を引っ張り合う貴族、王妃の座を奪うべくアン・ブーリンに仕えながら王を誘惑する女たち。そんな泥沼の中でセシルが未来の王を支えるためには、ただ子供っぽいきれいごとを叫ぶのではなくて、その泥沼と相対した上で、これを踏みつぶせるほどの権力をセシル自身が獲得しなければならない。そういうことをセシルは徐々に学んでいくわけですが、さて、セシルがそのような力を遂に手に入れたとき、彼もまたその泥沼の一部となり果てていないと、誰が言いきれるのでしょうか。そうならないようにするための分水嶺は、どこにあるのでしょうか。
 また、アン・ブーリンが産んだ女の子、この子が他でもなくエリザベス1世です。アン・ブーリンは男子を産めなかった果てに処刑されており、その子であるエリザベスも冷遇されながら育っていくことになります。生まれながらにしてそういう危うい立場を押し付けられた子どもとセシルの交流もまた本作の軸の一つになるのですが、そんな宮廷の片隅に終わってもおかしくないようなドラマが、やがてイギリスを世界の頂点へと押し上げる偉大な王を生むことになるというのは、なかなか数奇なものを感じさせはしないでしょうか。歴史を知った上で読むと、新しい面白さが出てくる作品だと思います。

次回:【近代・前⑥】『第3のギデオン』~「父殺し」としての市民革命~


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