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【近代・後①】『片喰と黄金』~アメリカ合衆国の幼年期、その光と影~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『片喰と黄金』1巻表紙より


1.近代前半・後半の境界線

 本書はここから近代後半の章に入ります。

 近代前半の章の冒頭で、近代の前半を指す「近世」という言葉について説明しました。「中世が終わったらいきなり近代的な時代が生まれたのではなく、その移行期にもまた一つの独自性を持つ時代があったのではないか?」との主張から、その移行期を特に「近世」と呼ぶようになったというお話です。
 確かにここまで見てきたとおり、中世が終わるといきなり突然私たちの世界と同じような世界が生まれたのではなくて、特にヨーロッパでは「絶対王政」という政治体系が構築されるなど、中世とも、私たちのいる現代とも違う時代がまずは到来することになりました。「近世」という呼称が導入される必要性が、まさにここにあるのだと思います。

 そしてその近世が終わり、近代の後半まで時代が下ると、満を持して私たちの今いる世界とよく似た、いわゆる「近代的な」時代が来るということになります。
 もちろんこの時代の変化は理由もなく発生したわけではなくてでして、ちょうど西暦1800年くらいのタイミングで、これまでどこか遠い世界に思えた「世界史」上の世界が、一気に私たちの世界に近づくようなイベントが2つ発生しています。そのイベントの一つ目は、「絶対王政」という旧体制の幕を下ろし、近世・前半の章を結んだ市民革命。そしてもう一つは、現代の世界を語るに避けることができないある大国が、この時期にようやく誕生していることです。他でもなく「アメリカ合衆国」のことであり、この国の誕生とその幼年期を、これを舞台とするマンガとともにとりあげることで近代・後半の章の始まりとさせてください。 

2.アメリカ合衆国の幼年期

 アメリカ大陸の存在は中世初期のヴァイキングたちに既に認識されていた、というのはまさにヴァイキングのアメリカ開拓を描く『ヴィンランド・サガ』で示されるとおりですが、この大陸がヨーロッパに再発見されたのが、ご存知コロンブスによる大航海です。
 以後ヨーロッパ勢力は、『ダンピアのおいしい冒険』のページで触れたとおり、原住民を武力と(図らずも)疫病で蹂躙しながらアメリカ大陸を植民地化していくわけですが、具体的にどの国がアメリカ大陸のどこを支配していったのか、というその勢力関係はかなりの紆余曲折を経ています。最初は南北アメリカとも大航海時代序盤を牽引するスペインの進出が進みますが、次第に絶対王政下で海外進出を加速させた英仏が北米に進出。特に仏の進出が凄まじく、ある時期には北米の広域がフランスの支配下に入るに至ります。しかしその後徐々に形勢逆転し、18世紀中ごろになると北米のうち東部はイギリスの植民地に変わっていました。

 しかし、ここでイギリスに一つの罠が待っていました。北米の植民地をフランスから奪ったまではよかったのですが、この時フランスとの間で繰り広げた大戦争のせいでイギリスの財政は火の車に。そこでイギリスは、せっかくフランスから奪った北米植民地からの徴税を強化することにするのですが、これが悪手でした。北米植民地はこれに強く反発し、1776年に「アメリカ合衆国」として英国からの独立を宣言するのです。

 英国はもちろんこれを認めません。自国の植民地を武力で押さえつけようとしますが、英国の弱体化を狙ったフランスがアメリカの味方として参戦。数年間の戦争を経てイギリスは根負けし、ついに新国家「アメリカ合衆国」を認めるに至るのです。(なお、この参戦により今度はフランスの財政が火の車になり、これをきっかけにした市民の不満の高まりはフランス革命の一因となります。こんなところで歴史はつながっていたりします。)

 その後の米国は、独立直後に起こったフランス革命に対して中立を宣言するなどヨーロッパ社会から一定の距離を置きながら、自国の国力の強化に集中します。

 具体的には、まずフランス・スペインから植民地を買収していくことで領土を西に広げ、19世紀半ばには国境線が北米大陸西端に到達、領土が現代とほぼ同じになります。また、この広大な領土は国内需要の大きさ(つまり何かを生産すればするほどそれを買ってくれる人がいる)を意味するものであり、1869年に完成した大陸横断鉄道にも支えられつつ、飛躍的な産業発展を実現します。
 一方政治面でも、ヨーロッパ諸国と違ってそもそも「王」が存在しない状態から国家がスタートしていますので、民主的な政治体制が実現。一時黒人奴隷解放の是非を巡り国家が南北に分裂する危機に直面するものの、リンカン大統領のもと辛くもこれを克服。19世紀後半には、経済面・政治面ともに充実した国家へと成長していったのです。

 そうなると、国内を充実させたアメリカに残されたミッションは「外」に繰り出すことのみ。かつて植民地だったこの国は、ヨーロッパ諸国同様に「植民地を持つ側」になるべく、徐々に海外へとその手を伸ばし始めることになります(その一手が皆さんご存知ペリーの黒船来航(1853年)であり、このあたりからいよいよ日本が「世界史」に登場してくるわけですが、このあたりの話はもう少し後のページでしっかりとりあげたいと思います)。

3.アメリカの二面性を捉えた『片喰と黄金』

 そんな米国の成長期、いや、その初期である幼年期を舞台にしたマンガが、北野詠一先生作『片喰と黄金』です。 

 主人公はイギリスの左隣の島国であるアイルランド出身の少女、アメリア。彼女は比較的裕福な農家の娘でしたが、この時期アイルランドを襲った大飢饉により、使用人コナーを除くすべての家族、そして財産を失います。しかし、その日の食料も確保できない極度の貧困の中で彼女が耳にしたのは、当時アメリカ合衆国の領土になったばかりのカリフォルニアで黄金が発見されたという噂。アメリアは人生を取り戻すべく、何も持たないゼロの状態から大西洋を渡り、米国西海岸を目指す途方もない旅に出るのです。

 本作の他でもない魅力が、主人公のアメリアのそのキャラクターです。
 アメリアの人生一発逆転作戦はあまりに現実的ではないですし、ある意味で軽薄なものにも見えることでしょう。しかし本作で描かれる彼女の黄金への意志は、黄金やこれによる裕福な生活といった「快」そのものへの志向性ではなく、家族の苦しみ、家族を喪った悲しみ、極度の飢餓、そうした彼女がこれまで味わっていた「不快」への怒りにむしろ由来している。これまで自分たちが味わってきた苦難は、例えばこの飢饉が終わり、ささやかな平穏を取り戻せたとしても、そんなものでは決して賄われるものではない。浴びるような黄金。飢えも病とも無縁な圧倒的な富。これをもって初めて、アメリアが、彼女の家族が被った苦難は治癒されるのだと。そういう「負」のエネルギーが転化した異様なエネルギーが、この物語の初めから終わりまでを通して、アメリアを遥か西方の地へと突き動かすのです。

 しかし、その「負」のエネルギーゆえに、アメリアは例えば他人を蹴落としてまで黄金に手を伸ばそうとするのかというと、彼女は絶対にそういうことはしないのです。むしろ彼女は彼女自身を時に苦しめてしまうほどに、あまりにも「善性」に溢れている。大西洋への海路では、他人の恵まれた身分を詐称して海を渡っているような者にも、彼が病に苦しむと手を差し伸べてしまう。あるいは、彼が死の間際にお礼としてアメリアに託したその身分証も、彼女は最初こそこれを無断利用して旅を楽なものにしようとするのですが、その身分証の主だった男の家族と会った時、結局自らそれを手放してしまう。だから彼女の旅は余計に苦しいものになったりもするのですが、それでもアメリアは前に進んでいく。
 そういう、ギラギラとしたエネルギーと深い善性を両方持ち合わせた彼女を見ていると、読者はもう彼女を強く応援せざるを得ないのです。

  また、世界史という観点から本作を眺めますと、そうしたアメリアのギラギラとしたエネルギッシュさが、ついに西海岸まで領土を広げ、強い国になろうと血気盛んになっている当時のアメリカ合衆国とダブって見えるのも面白いところです。

 アメリアが大西洋を渡り、まず訪れることになったアメリカの街はニューヨークです。今でこそニューヨークは世界金融の中心地であり、高層ビルが建ち並ぶ世界トップレベルの都市ですが、アメリアが訪れた頃のニューヨークは大きさこそあれ、暴力にモノを言わせるギャングが大きな顔をしており、また急増するアイルランドからの移民に戸惑いを見せる雑多な街でした。
 しかし、そんな喧噪の中で市民が野蛮にぶつかりあいながら、よりよい明日を目指して逞しく生きているそのカオスを、本作は非常に魅力的に描いている。今でこそ世界最大の経済力を誇り、その意味では成熟した国としてのイメージも強い米国ですが、かの国にもこのような無秩序で、汚くて、しかしギラギラとした美しさがある「幼年期」があった。そんなアメリカの一面を見ることができるのも、本作の面白いところだと思います。

 しかしそんなギラギラとした無秩序は、時に暗い一面を覗かせることもあります。米国もその例には漏れないところでして、この国で飛躍的に発展していた産業の一部は、この頃依然黒人奴隷の使役によって支えられています(ちなみにイギリス、フランスではこの時既に奴隷制を廃止しています)。   
あるいは、この時代に米国はついに西海岸にまでその領土を広げ、カリフォルニアでの黄金の発見もあって多数の開拓者たちが西方へとなだれ込んでいくわけですが、それは古くより北米大陸に住んでいた者たち(ネイティヴ・アメリカン)からの、土地の収奪でもありました。この頃の米国は、西方への進出は神から与えられた「明白な天命」(Manifest Destiny)であるとしてこれを正当化するのですが、その実態は紛れもなく、ネイティヴ・アメリカンに対する侵略だったのです。

 本作は、幼年期米国のギラギラとした無秩序を主人公の性質ともダブらせながら肯定的に描くわけですが、これと同時に、黒人奴隷やネイティヴ・アメリカンのような、その無秩序さの被害者となった者たちの姿もまた避けることなく、しっかりと描いていきます。黄金を求めてアメリカに身を投じたアメリアは、苦難に直面する彼ら彼女らと出会い、何を思うのか。見ごたえのあるエピソードが並ぶ名作です。全10巻、ぜひお手に取ってみてください。


次回:【近代・後②】『エマ』~産業革命がもたらした新たな英国社会と、「身分差」の意味~ 


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