見出し画像

五年前が作った今日

四月に入ってから、記憶が曖昧


いつ誰となにをしたのか
ほぼ覚えてない。


時系列が無い
と言ったほうが明確か。


スケジュール帳をみると
こんな日だったなって断片的に覚えているし
間違いなく友達のおかげで毎日は楽しい。


ただ
身に染みているものではなく
服を少し揺らすそよ風や
電車の中で走行音にもみ消される他人の会話のような。

三月まで
僕たちはライブが毎月十本以上あった。
ライブが生活の支柱で
ライブとライブの間に
やれることをやっていく
という生活だった。

ライブをもっと良くするために練習をする
お金がないならお金を稼ぐ
遊びたくなったら遊ぶ
お酒を飲みたくなったらお酒を飲む
ライブが見たくなったらライブを見にいく。


ライブは一つの点だ。
点と点を繋げて線になる。
いや、線にする。


意識してなかったよそんなこと。
だって夢中だったもん。

今途切れそうな具合を
なんとか紡いでいる。

絶対に自ら切ったらあかんねん。

いつかその線が
円になるのか
螺旋になるのか
なにができるのか
なにをしたいのか

わからないけど、思う。

五年前十年前の自分が今日を作ったのならば
五年後十年後の自分は今日作っている。

負けるな。
負けなければそれでいい。


また時系列がある人生を歩むために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?