見出し画像

死んだ半年間と、死にものぐるいの今。


ひとつ。二年間の浪人。
ふたつ。大学を辞める。
みっつ。再受験失敗。
よっつ。フリーター生活。
いつつ。文章を書く。

いつつめを除いて、例えば見ず知らずの人間がこの経歴を見たときに思うことは、上手くいってない人生ということだろう。

自分でもそう思う。人生、上手くいってないと思う。”普通”とか”人並み”の人生を否定するつもりもなく、だが比べられたら最後、自分の人生は「人から羨ましがられる人生ではない」ことくらいは理解できる。


去年の6月に大学を辞め、今年の2月まで新たな夢のために再受験の勉強に励んでいた。結果はというと、近所のスーパーでフリーター生活を送ることになっていた。

浪人と大学中退。それまでの経験はnoteに書いてきた。自分のなかで消化は終えている。履歴書を見せるたびに渋い顔をされるのは終わらないが。


4月から変わったことは二つ。
体力と時間を削ってお金を稼ぐ生活をしたこと、文章を綴り始めたこと。

その結果起きたこと。
生きた心地がしなくなったのと、多くの出会いに恵まれたこと。

つまり、時間の切り売りでお金を頂くことで自分が滅び、文章を書くことで普通に生きていたら出会えるはずのない人と出会えるようになった。


4月。
本当は再受験が成功したら学びたかったことを「大学で学び直す」という形ではなくて、今度は資格試験で頑張ろうとした。でもそのための勉強をする体力と時間はなくて、再受験から追いかけていたその夢は諦めた。

これは親との折り合いもつけたくやむを得ない事情だったが、周りの人間にはなかなか言えなかった。ただでさえ大学を辞めているから”逃げ癖がついた人間”と思われたくなかったから。


5月。
noteの毎日投稿を始めた。この頃の俺はとにかく怒っていた。怒りが原動力となり、見切り発車で毎日書き始めた。やわらかい文章が好みだったのに怒りや憎しみで書かれた文章も好きになっていた。

次第に自分のスタイルになり、文章を書くことに味を占めはじめた。それまでの己の”失敗だらけの人生”と肩を組むように、自分のために書き続けた。

そうしたらどうだろう。
noteには苦汁をなめる人がたくさんいた。誰かの期待に応えようとして自分を押し殺す人。自分の”欲”にひたすらに向き合う人。感性や性別にとらわれないで文章を読み書きする人。プロフィールにも豪語してしまうくらいネガティブな人。
そんな人たちの文章を読んでいる自分も、読まれている自分もしあわせであった。


6月。
いくら満足した文章を書こうとも、現状はフリーターであることには変わらなかった。そのとき、こう在りたいという自分像にリンクしたものがエンジニアだった。”手に職”を求め、わかりやすくフリーランスに憧れた。

プログラミング学習も徐々に進めたが、現職との両立が難しいことに気付くのにここから2ヶ月を要した。大事なことになかなか気付けない性分はこの先も直りそうにない。


7月。
毎日更新を止めた。とにかく生活の基盤を安定させたい焦りで、書きたいこともなくなってしまった。だが皮肉にも、いや幸運なことに、この頃からnoteの人たちと”会う”ことに向けて「よもぎ」は歩きはじめていた。

7月14日、noハン会1stの告知。7月20日、note酒場キャンセル待ち応募。7月26日、はじめてのaikoジャンキーオフ会。いきなり下半期が動き出した。全て、会いたい人に会える切符だった。


8月。9月。10月。
花火も見なければお祭りにも行かない夏。8月25日のnoハン会1st、三浦希さんを一目見るために8月30日の【これからの「文章」を考えよう】というイベントにも足を運んだ。両日とも隅田川の花火より美しい光景であった。

9月27日、第1回もたレディオ収録。10月6日、note酒場。何の肩書きもない人間であることに後ろめたさを抱えつつも、noteでやってきたことが全て報われた日であった。そこには「良かった」以外の感情が芽生えなかった。


8月下旬に差し掛かったころ、プログラミング学習と仕事の両立が難しいことにやっと気づいた。そして同時に仕事のストレスがピークに達し、勢い余って退職すると上司に宣言した。

汗水垂らして精一杯やっている自分が馬鹿馬鹿しくなり、酒に溺れた。丁寧な暮らしを望みつつも、このときの味方はアルコールとMOROHAの音楽しかなかった。何度読んでもこの文章は格好悪くて、ダサくて、最高だと思ってしまう。これでもかと詰め込まれた体言止め。決意に陶酔しきった自分。生湯葉シホさんの『限界の足音』を幾度も浮かべながら、自分にその足音は聞こえているのか、ふらふらと自転車を漕ぎながら自問自答を続けた。

退勤後は毎日、誰も上ってこないマンションの階段に半額シール貼られた惣菜と缶ビールを持って腰を下ろした。暑苦しい夜中の公園は蚊が飛び交っていたが、マンションの11階には蛾と黄金虫がいるくらいであった。親が購入した大通り沿いのマンション。最上階の11階からの景色は実にいい眺めだ。この前まで氾濫で危うかった川もスカイツリーを水面に映すからまあ綺麗なんだとは思う。しかし遠くをぼんやり眺めて物思いに耽ることもなく、たとえぼうっとしても、目前に迫ったnoハン会を気にして顔面にニキビができないように念ずるくらいだった。缶ビール片手に音楽を流すか、笑えるラジオを聴くか、noteにアクセスするかで時間を潰して自分をなぐさめた。缶ビール1本、缶チューハイ1本はあっという間に飲み干し、手持ち無沙汰になってようやく家に帰っても後は死んだように眠りにつくだけだ。それでも酔いが覚めて眠れないとき、友人とのトーク画面に見るに耐えない感情を書き殴った夜もあった。その人は現在5年目の浪人生活をしている。その社会的身分を認識しながら無意識に自分と比べ、それより”マシ”だと自覚しながら言葉を吐き捨てる自分こそ底辺の人間だと思った。だがスマホに指を打ち込みながら、もう大量の涙がこぼれていた。全てが文字通り「限界」であった。それでも太陽は昇った。いやそんな希望に満ちた朝日が俺を差すことはなく、ただ昼ごろにやっと体を起こし、信号の少ない裏道で10分程ペダルを漕いで職場に出向くだけであった。数分遅刻したってヘラヘラ謝ってりゃあ許されてしまう生ぬるい職場だ。出勤前はイヤホンから流す音楽もMOROHAではなく、aikoを聴いて奮い立っていた。恋愛ソングの女王は別に恋愛していなくても聴ける。『be master of life』という曲の一節に「あたしは何があっても生きる」「誰が何を言おうと関係ない あたしは味方よ」とある。この二つのフレーズで俺は何度も生き返った。こうやって自分を鼓舞して息をつないできた。と、そんな気がしていた。

気がしていただけであった。
俺は、半年間死んでいたんだ。


ここまで書いて、「今、自分の人生が変わろうとしています。noteで書いてみなさんに励まされたからです。ありがとうございます」なんて美談には全くならない。なるはずがない。

ひとつ。二年間の浪人。
ふたつ。大学を辞める。
みっつ。再受験失敗。
よっつ。フリーター生活。
いつつ。文章を書く。

俺は半年間とはいえ、よっつめ、フリーター生活を選択したのは絶対に失敗だった。失敗じゃないよ、という言葉がほしいんじゃない。

「失敗」とは学ぶことを放棄した過去のできごとであり、反対にそこに意味を見出せばそれは「挫折」と自分は呼ぶ。だからひとつめからみっつめまで、それは全て挫折であり、俺にとって全て意味のあるできごとだった。

学びなんか、ない。よっつめに関してはもう少し考えて行動すべきだった。4月の自分を引っ叩いてやりたい。お前は身も心も削る選択をすることになるんだぞって、そう教えてやりたかった。

それは勤務中に使用していた穴あきの黒い軍手、もう使い物にならない無印良品の刃が折れたカッター、そして右足のダイヤル部分が馬鹿になったニューバランスのシューズが証明していた。

画像1


だけど。いつつめ、文章を書くことを選んだ自分だけは撫でてあげたい。

もっと遡れば2018年の5月、まだ大学生だった頃にnoteのアカウントを作った自分に言ってあげたい。大教室でつまらない講義を受けていた自分に。意識を高くして前列に座りつつもスマホからnoteを読んでいた自分に。

学生のとき特に読んでいたサカエコウさん。まだ毎日投稿をされている時期で、当時はnoteの雰囲気とかは全くわからなかったけど何となくサカエコウさんの文章が毎日読めることに安堵していたんだよな。note酒場でお見かけして、その後普通にTwitterでやりとりしたぞ。変だよな、笑っちゃうよな。この夏話せなかった三浦さんにも自分の文章を読んでいただいて、つい先日言葉も交わした。他にも大好きな人みんなと出会えてるぞ。今や自分が文章を書けば、有難いことに読んでくれる人も思い浮かぶ。フォロワーなんて全然いなかったのに。凄いよな。noteにアカウント作ってくれてありがとう。


note酒場レポで自分のことを中途半端にさらけ出し、その後しばらく疲弊していた。最初は楽しく書きながらも終盤は涙ぐみながら綴り、ほとんど推敲せずに投稿してしまった。それがもうずっと喉に刺さった小骨状態で気持ち悪かった。書けなくなった。だからいっそのこと、ここらでnoteの「よもぎ」を全て振り返り、また普通にnoteを書く自分に戻りたかった。

転職活動をしながら、もたレディオとnote文芸部の活動で瞬く間に10月は過ぎた。これから全てが本格化し、かといってこんな具合に語っていても俺の人生は何も変わっちゃいない。胸張って生きていると思っていたこの半年間。それは全くの思い過ごしだった。書くこと以外は死んでいた。しかし、書いていた自分が息をしてない自分に対して人工呼吸を施していた。そのおかげでなんとか今、会いたい人に会えて、死にものぐるいで生きている。この文章はフリーターを根底から否定しているわけでもなければ、その場所から抜け出そうとしている自分が偉いということでもない。俺は、自分を大切にしているようでそれは間違っていたことを、過去の自分に向けて囁きたいだけなんである。忙しいけど、読みたいnoteが溜まるけど、書きたいことが山ほどあるけど、この半年間に比べれば今も死んでいるようで実は力強く生きている。この経験は人生に必要ではなかったし、むしろ全然求めてなかった。いわゆる空白の時間だ。浪人その他諸々は俺にとって空白ではない。目的意識を持って日々過ごしていたから。だがこの半年間に至っては立派に生きていたとは言えない。あんなに疲れていたのだから、あんなに自分を押し殺して泣いたのだから、それでは綺麗事が過ぎてしまうだろう。人生の点と点をつないだのは文章だった。それだけは自己愛で、本当によくやった。

俺は、たしかに死んでいたのだ。
そして今、死にものぐるいで生きている。


頂いたお金によってよもぎは、喫茶店でコーヒーだけでなくチーズケーキも頼めるようになります。