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今日もたくさん遊んでもらっちゃえ!

今日のお仕事はどうだったの?」と聞くと、無邪気に「今日もたくさん遊んでもらった」と答える、とあるジュエリーショップの店員さんがいます。面白いです。

ジュエリーショップで働いているわけですから、当然のことながら、お仕事は宝石や貴金属を売ることです。そのことによって、お店からも評価されることになります。だから、「今日のお仕事はどうだった?」という質問に対しては、おそらく一般的に「今日は売れた!」とか、「今日は、全然調子がよくなかった」とか、そういう答えになるのが普通ではないかと思います。

しかし、この店員さんは違うのです。

そもそも、基本的にこの店員さんは、商品を売ろうとはしません。お店に近づいてきたお客さんと、とにかくお友達になってしまうのです。それが作戦、というわけでもありません。ただただ、楽しくお話がしたいので、そのように振舞うだけです。

お店にやって来たお客さんの方も、最初こそビックリするものの、次第にその店員さんのトークに打ち解けて、「人間対人間」の会話を楽しむようになります。そんな会話をしていると、ふと宝石や貴金属に囲まれていることに気付きます。お客さんも、元々、ジュエリーショップに近づいてきた人たちなので、関心がないわけでもありません。「何か買ってみようかしら」ということになり、結果として、売上があがっていくことになるそうです。

この店員さんの同僚は、とても不思議がっているといいます。

「あの人、遊んでるだけなのに、なんであんなに売れるんだ?

本人にしても、そうです。「今日も遊んでもらった」というくらい、心底、遊んでいます。けっして、売ろうとしているわけではありません。それなのに不思議と売れていくのです。

このあたり・・・結果を求めずして、結果を得る人の妙だと思います。

呼吸やお金も然りです。

結果を求めすぎて、体に摂り入れようとする、得ようとすることばかりに囚われていると、良いものなんて入ってきません。入れようとするよりも、まずは出すことが大事です。

呼吸にしても同じです。体が必要としていないものを、無理にたくさん取り込もうとすると、体にはかえってよくないということなのだと思います。息を吐き切るだけ吐き切ったら、自然に息を吸うことで、本当に必要な分だけの空気を体内に摂り入れることになるわけです。

吐き切ること、手放すことによって、新しいものが入って来るスペースが生まれ、自ずと良いものが入ってくるというからくりです。

この店員さんの売上も、きっとそういうことなのでしょう。

売上という結果を求めるのではなく、まず自分ができること、それはつまり、目の前にいるお客さんに、お話を通じて楽しい時間を過ごしてもらうことに注力する(そのサービスを提供する、出す)ということです。お客さんにへつらうとか、買ってもらうために楽しんでもらうとかいうのでもありません。

ただ自分ができること、そして自ら「遊び」と言えるほど楽しいことに集中するわけです。売上は、その結果に過ぎないということになります。


しかし、世の中のほとんどの人々は、そうでもなさそうです。(気持ちは重々分かりますが)結果が出ないことを恐れて、ついつい結果ばかりを追い求めてしまいがちになります。

呼吸でいえば吸おうという意識、お金で喩えれば稼ごうという意識、食べ物でいえば食べようという意識、愛ならもらおうとする意識・・・今の世の中、そんなもので溢れかえってしまっています。そして、そんな人々が作った社会の仕組みのなかで生きようとするわけですから、当然、疲弊してしまいます


楽しいかね???

もちろん、楽しいのならいいのです。「今日もたくさん楽しかった」と思えるような日々を過ごせているのなら、そんな幸せなことはありません

でも、もしそんなに楽しくないのなら、心から楽しめることをしてみるのも手だと思います。そのことによって、一時的に周囲や社会との摩擦が生じるとしても、自分を曲げずに、その楽しさを追い求めていたら、いずれ周囲や社会が、そんな楽しんでいるあなたを受け入れて、純粋にあなたが楽しく過ごせる世界になっていくことでしょう。

ただし、これを成功させるコツは「無我」です。

例えば、座禅や瞑想の場合、自我を消し去ります。自我を消し去るということは、自分が意識できるレベルの心的な動きを無くすということです。それはまさに無意識と向き合うということになります。
その結果、向き合っている無意識というのが、まさに「集合的無意識」であるという解釈が成り立ちえます。この「集合的無意識」とは、自分だけの無意識ではありません。それは「集合的」なので、他者とも共有している無意識になります。
このことは、例えば「他者の喜びとは何か」を知るであったり、「他者の痛み」を知るということにも繋がります。もっと言えば、「他者が自分に何を望んでいるか」を知ることであり、「他者に対して自分がすべきこと」を知ることでもあります。
それを知るということは、とても大切です。
何故ならば、それを知り、そして実行するということは、自分だけでなく他者が望んでいることでもあるので、事がうまく運んでしまうということにもなるからです。言い方を変えれば、「成功の秘訣」みたいなものです。

「集合的無意識と悟り」より引用

「無我」なのに、自分を曲げずに楽しさを追い求めるってどういうことだ???それって矛盾していないか???

そんな疑問があるかもしれません。もし、そうならば、上掲記事の引用部分をじっくり読んでいいただきたいものです。

冒頭に紹介したジュエリーショップの店員さんは、自我を消し去って、降りてくる言葉を使って相手を喜ばせている・・・それを楽しんでいるのだと思います。

今の社会、世界の仕組みはメチャメチャです(もういちいち例を挙げる必要もないですよね?)。でも、文句垂れていてもしょうがありません。そこらでデモ活動をしても、大して変わるものでもないでしょう。もちろん、それが楽しいのならそれでも構いません。

しかし、それではもったいない気がします。

せっかくならば、一日一日、「今日もたくさん遊んでもらった」と言えるほど楽しい生き方を目指してみてはいかがでしょうか。もしかしたら、そんな生き方の先に、自分が欲しかった世界が手に入るかもしれませんよ?


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