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新しい世界を切り拓いた流人たち

先日、八丈島に行ってきました。

政府や世界の仕組みを信じられなくなってから、自分たちのことは、極力、自分たちで何とかしなければならないと思うようになりました。そう思うようになってから、日本中、あちこちにある島というのが、とても参考になる気がするのです。

八丈島は、羽田からの空路が1日3便あるくらいなので、外界から隔絶されているわけではありません。ただそれでも、島というのは、それ単体で自給自足を実現しようとする力が働きます。そういうところに、妙に魅力を感じるのです。

そうは言っても、所詮、観光なので、今年公開されていた名探偵コナンの映画に出てきた海辺のベンチに立ち寄ったりもしてみました。

それはさておき・・・

ここで気になったのが、この人物です。

関ヶ原の戦いに西軍の武将として参加し、福島正則の軍と真っ向ぶつかり合い、敗戦の結果、八丈島に配流された宇喜多秀家という人物です。

この人物、信長の野望(ゲーム)でみてみたら・・・結構、強いです。

加賀百万石でも有名な前田家とも血縁関係を結んでおり、大大名でした。

しかし、関ヶ原の戦いに敗れ、本州から300キロ近くも離れた八丈島に流されてしまったのです。この話を聞いて、何とも憐れに思えてなりませんでした。

さぞ無念だったろうなぁ」などという勝手な妄想も膨らませながら、宇喜多秀家の住居跡やお墓参りなどもしてきました。

 秀家の生活には、涙ぐましいエピソードが数多くある。例えば、秀家は本土への帰国を願い、「米の飯を腹一杯食べて死にたい」ともらしたという。
 また、現地代官との食事の際、現地で娶った妻や家族のために、食べ物を手拭に包んで持ち帰ろうとしたという。このような逸話が本当なのか否かは不明であるが、秀家の耐乏生活を物語っており、大変興味深いところである。
 送られる物資は、米のほかに薬、剃刀、布地、扇子などがあった。しかし、海が荒れたときには、船が物資を載せたまま沈没することもあったのである。
 今も八丈島には、秀家と豪姫が仲良く並んだ像があるが、豪姫が八丈島に渡ることは実現しなかったのである。

Yahoo! Japanニュース「豪姫の願いも虚しく、生涯の大半を八丈島で過ごした宇喜多秀家」
2023年9月24日より引用

こんな記事を読むと、切なくなります。

しかし、この人物について、じっくり考えてみると、そんなに不幸でもなかったかもしれないなどとも感じます。

大名としての生活はなかったものの、84歳という長寿を全うしました。関が原に参戦した大名のなかでは最も長く生きた人物として名を残しています。長男と次男が一緒に八丈島にいて、孫にも恵まれていたようです。

途中、大名としての復帰の話があったようですが、それを断ったという話もあります。豊臣家に義を通したという見方もあるでしょうが、大名に復帰して、世の煩わしい面倒事に関わるよりも、ゆっくり島での生活を楽しむ方を選んだ可能性だってあるわけです。

そうした可能性に気付いた瞬間、私が一方的に宇喜多秀家に対して感じていた憐みの気持ちは、彼に対して、大変失礼なものであるように感じられました。

自分が「勝ち組」か「負け組」かだなんて話、自分自身が死ぬ瞬間に決めることです。

勝手に彼を憐れんで、その人生が「負け組」であるかの如く思ってしまうのは、だいぶ筋が違います。むしろ、彼は幸せで、とても充実した人生を送ったかもしれません。

そう思ったら、こんなのを思い出しました。

私も「敗軍の将」などと言われていました(笑)。

この時は、私も失敗者としての扱いを受けていました。しかし、今はメッチャ幸せです。そして、充実しています。むしろ、このとき失敗したおかげで、次の時代に必要なことを進められていると感じています。

宇喜多秀家が配流されて以降、八丈島には、多くの罪人たちが流されるようになったといいます。

そのなかには、八丈島の事典を作った人がいたり、焼酎の作り方を伝えた人がいたり、算盤を教える人が出てきたり・・・八丈島で新しい社会づくりに貢献した人々がたくさんいました。

面白いです。

罪人としてながらも、今まで住んでいた世界を離れて、別世界に移り住んだうえで、切り拓く活動をしてきた人たちが、大勢いることに勇気をもらいます

今の俗世?

もうメチャメチャです。最近、有名人が亡くなっただとか、体調不良になったといったニュースがあとを絶ちません。脳出血や心不全といった循環器系のトラブルも多いといいます。季節外れのインフルエンザの流行が話題になったりもしてます。

やりたい放題のマスコミや政府・・・相手にするだけバカバカしくなります。でも、気付かない人は気付きません。どうしようもないです。

そんな俗世、変えられるのなら変えてみましょう。でも、きっと変わらんのです。それは、そんな俗世をかたち作っている彼らの人生であり、彼らの選択であり、彼らが住まう世界です。

無理やり、一緒に住もうと思う必要はないでしょう

それはそれとして、気付いている人たちは、そっとそんな俗世から離れて、新しい世界を切り拓くための活動をしていってはどうかと思うのです。

かつて、八丈島に流された人たちは、そんな逞しさをもって、新しい世界を切り拓いていったように思います。私たちも、そんな人々を見習っていきたいものです。


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