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品川 力 氏宛書簡 その二十六

沈黙の感謝と沈黙の詫びごとで、はちきれさうな心をお察しください。
私は自分の心をどう表現していゝか知りません。泪ですね。泪ですね。それだけ――
―――――××××     ××××―――――
「レノア」また私を泣かしますね。賛美の言葉もありません。泣くだけ。
㐧一、㐧二、とてもいゝ。銀座の街を高らかに誦してお歩るきなさい。
あなたは、僕のかくものなど大嫌ひでせうが、私はあなたのものはみな好きで耐りません。「君はバカだ」といはれても私は橋本君を愛好してゐるたやうに。どんなに冷たい仕打や、つれない言葉をあびせられやうとも、私は好きなひとをかぎりなく愛します。「レノア」「レノア」今夜は眠れない。ぼくなどは、バカです。バカと思ったら腹は立たないでせう。
――――――― ~~~~~~~~ ―――――――
七月十一日夜八時三十分急行でゆきます。ぶじでかへってくればまたお逢ひできませう。破れ破れし白がねの胸いだき、われはゆく旅びと―或るひとの詩とそっくりな僕ですから、海をみると、空をみると―どうなるか分りません。どうなったっていゝとおっしゃい。
僕の立つまでに詩縞一篇おかきあげください。うれしく旅だちます。お会ひできないかも知れません。どこかでくだらない手紙を差上げるかも知れませんが、そんなものは破ってください。

あまい海風をこめて手紙でもあげてゐれば、それで十分です。僕などは。


[消印]14.7.6  (大正14年)
[宛先]芝区 神谷町 九 光明寺 境内
            品川 力 様


[差出人欄]
「どうなったっていゝ人間」


                       (日本近代文学館 蔵)




レ ノ ア
    アラン、ポオ作
    品 川 力 譯

LENORE
あゝ黄金の鉢は破壊れぬ、
酒は永久に流れ

鐘打ち鳴らせ、聖けき御魂は
三途の河に浮ぶなり、
ギ、ド、ウイーア、お前には涙がない
か?
いまし泣けよ さもなくば永久に
泣くことなかれ

見よかなたに、悲しくも嚴かな
棺車の上に
汝が愛人レノアは横はる
來りて讀めよ經文を、
こぞりて歌へかし葬ひの歌を…
送れよ讃歌をかくもあはたゞしく
逝く彼女のために

憐れなる人々よ、おん身らは
富める故に彼女を愛し また
心のまゝにふるまへし彼女を憎み
病の床にありし折レノアには
なれらの祈さへ幸をば奪ひ
死をば早めにき、
さればいかにして經文を讀むべ
きや?
またいかにして弔歌の歌はれや
うぞ…
そは汝らの意地惡きまなざしを恐れ
また汝らがのゝしりの言葉ぞ!…
かくも若きレノアを死なしめぬ?

われらこそ誤れり、されど
かく思ひてはあらじ
亡きひとの虐待を感じ得ぬほど
神々しい神に聖日の歌を送らしめよ
レノアはいともすこやかに
希望に燃江いまは神のもとにかけ去
りぬ
お前の花嫁にしやうとした
いとしい乙女のために
いまは横はる美しく
しとやかな彼女のために
彼女の眼のうちにではなく、
彼女の黄色の髪の上にいのちを、
彼女の髪の上になほ休らかな
彼女の目の上に死を

去れよ、去れ いかれる幽靈の
友から魔神に……
地獄より天上高く空にいる
なき悲しみやうめきより
み空の金色の玉座に…
鐘を打ち鳴らすな、彼女の御魂こそ
きよらかに楽しみのさ中にぞ
極惡のこの世より浮き上る時に
その音を聞かしめむように
あゝ、われは今宵のわが心はかるい
挽歌を歌はずに われは
ありし日の凱歌をもつて
かけのぼる天女を浮ばさう…
      ―十四年、六月―

越後タイムス 大正十四年七月五日 第七百九號 一面より







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