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藪目白を飼ふひと(その一)-吾が新年の言葉-

 正月になると、ひとは心からさ

も滿足さうにお目出度うと言ひ合

つて、新年を歡迎してゐるやうで

あるが、僕自身には、お目出度う

などと、わざわざ言葉にだしてま

で祝ふほどのことはちつともない

のである。ひとが嬉しさうにお目

出度うと言つて呉れれば、僕だつ

て仙人でもなんでもないのだし、

この不愉快なことだらけな世間の

なかに生きさせてもらつてゐる普

通の人間のひとりなのだから、そ

のひとはさぞ目出度い氣持で生き

てゐる幸福なひとに違ひないのだ

らうぐらゐに思つて、自分が目出

度いわけではない、そのひとの目

出度さを祝福してあげるのだとい

ふ意味で、僕もひとなみに―お目

出度う―と言つてみたり、年賀狀

を書いてみたりはするが、さてそ

のあとでは一種の自嘲にも似た寂

しさを感じるのである。實はこの

元旦號にも、(新春愚痴双六)とい

ふものを書かうと思つてゐたので

あるが、このあひだの晩、珈琲を

のみ乍ら野瀨にその話をすると、

彼は眉をひそめて―君の愚痴など

はまつぴらごめんだ。それに新年

早々ぢやないか。―と僕をたしな

めてくれたので、折角でき上りか

けた愚痴双六の原稿を破棄してし

まつたのである。結局のところ、

そんなものを書かない方が、ひと

に嫌はれないだけでもいいのだが

しかし、愚痴よりほかにどうして

みやうもないのに、ただ漫然とお

目出度さうなかほをしてゐることな

どは、僕にはできさうぢやない。

それだからといつて、自分の純粹

なところや正直さを示したところ

で徒らにひとの冷笑をふだけの

ことだから、まあ僕もひとつ悧巧

な人の真似をして、たとへば、よく

鳴けない鶯が、いい鶯の鳴きごゑ

を模倣するやうに、僕も新年は目

出度いものだと思ひこんでしまふ

ことにしたわけである。


 さて新年の言葉を書くとすると

どうしても將來に對する抱負だと

か希望だとかを述べなければなら

ないやうである

が、僕はただ過

ぎ去りし日の思

ひ出をたのしん

だり、哀しんだ

りして生きてゐ

る人間であつて

これからさきの

ことなどを考へ

たら、すぐにで

も自殺をしたく

なるほど不幸な

日のもとに生れ

てきた男である

ひとによると、(

過去などといふものは死である。

空である。そんなくだらないもの

は、さつぱりと忘れてしまつて、

現在に力づよく、未來に輝かしき

希望を抱いて生き給へ)などと言

ふひともあるが、意氣地のない僕

にはそんな空恐ろしいことなどは

ゆめにも考へられないのである。

僕などは謂はば全くのその日暮ら

しである。僕自身の現在はいたつ

てもの憂く來る日はまつくらなの

だから、さきに述べたひとの言ふ

やうな勇敢な言葉は、折角乍ら、

僕には繪そらごととしか思へない

のである。さういふわけだから、

僕としては、その日、その日のか

りそめのひとのなさけに溺れて、

至上の嬉しさを覺江るか、それと

も又、過ぎ去つた日のさまざまな

たのしい思ひ出などを折にふれて

は心のなかからとりだしてみて、

恰度、秋の終りに、冬外套を日向に

干すと、古びたかびくさい匂ひを

立ちのぼらせるのを嗅ぐのと同じ

氣持で、なにかしらしみじみと昔

のことを思ひだすほどの心で、自

分の砂上の足跡を追つてみるぐら

ゐのことしかできないのである。

 去年は僕にとつて實にありがた

い歳月であつた。一昨年は野瀨市

郎といふいい友達をただひとり得

て甚だ樂しかつたが、去年はまた

いろいろ好きなひとと會ふこと

ができた。いつたい僕はへんにひ

との好惡が激しくて、好きなひと

よりは嫌ひなひとの方が多いのだ

が、そのくせひとりも敬愛できる

知己のない生活には耐へられない

のである。一人でも、二人でもい

いからほんたうに好きだと思へる

ひとと茶呑話でもして、この不愉

快な一生のひとときを消抹してゆ

きたひとばかり思つてゐる。さう

いふわけで、僕は世間で言ふ社交

的な雰圍氣を持つたものには全く

不向きな人間である。僕は又甚だ

我儘で、高慢で、變屈で、朦朧た

る人間である。これがために、僕の

知己である諸氏は甚だ迷惑を感じ

られたことも尠なくなかつたらう

と思つてゐる。僕は今、この元旦

に際して更めてお詫びをして置く

次第である。又この機會に僕が去

年會つた數人の好きなひとのこと

をも書いてみたいと思ふが、その

ひとだちは佐藤春夫先生をのける

と、あとはみな柏崎のひとで、こ

こに名を擧げるだけでもふじつけ

な氣がするから、それはさしひか

へることにした。とに角去年は僕

にとつて、さまざまな意味で忘れ

ることのできない年であつた。

(越後タイムス 大正十五年一月一日 
           第七百三十四號 一面より)


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