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雲 (一)

  雲

  きくち・よしを


 秋の或いい晴れた日の午後です

 私は、けふもまた慧子けいことふたり

であの欅林の草原に、ぽつねん

と坐つて、高い空を鳥かげのやう

にはかなくうかんでゆく雲をみつ

めてゐるのです。心までも温めら

れる、ほかほかとした午さがりの

秋日を、ふたりの背にありがたく

浴び乍ら、いつまでもぢつと、あ

のながく茂つた秋ぐさの原にうづ

もつて、心ゆくまで草の匂ひをな

つかしく覺江てゐるのです。

 慧子は、去年の恰度秋の深むこ

ろの或る曇り日のあけがた、あの

空をゆく雲のかげよりも、もつと

か細くこの世を去つてしまつた、

私の妻が、私にのこしてくれた、

たつたひとりの遺兒わすれがたみなのです。

今年四つです。私にこの可愛いい

かたみのあるのは、どれほど慰さ

めになることか分りませんが、ど

うかすると、私はこのの顔をぢ

つとみつめてゐるうちに、聲をあ

げて泣きだしてしまふこともある

のです。

 この兒はどうしてこう亡くなつ

たひとにそつくりなのかしら――

足指のかたちも、首すぢのとほり

かたも、髪の毛が艶つやとたつぷ

りあることも、さう言へば私の妻

は大へん淋しい笑ひをもらすひと

でしたが、その溜息のやうな笑ひ

かたまで、そつくりなのです。

 ―この兒は、あなたとわたしと

 のいいところばかりをうけつい

 で生れてくれて、わたくし、こん

 な嬉しいことは厶いませんの。

 まあ、ごらんなさいまし、この

 兒の淋しい、きよらかな面ざし

 を・・・、わたくし、好きで好き

 で耐らないほどですの。

 私の妻の秋はいくどもさう言つ

て慧子に頬づりをしてやり乍ら、

眼にいつぱい泪をためて、書きも

のをしてゐる私に話しかけたもの

です。私の妻は、秋の黄昏ほどに

寂しい顔だちでしたが、心はそれ

よりももつと淋しいひとだつたの

です。

 或る秋の暮れに私は永い病床に

臥て、窓のそとでなく蟋蟀の絕江

だ江なこゑをきいて、心のふるふ

ほどの寂しい思ひをしたことがあ

りましたが、それよりももつと寂

しいのは妻のこころでした。秋が

どうしてさうまでに淋しいひとに

なつたのか、そのわけは私も知り

ません。

 たつたいちどこんなことがあつ

たのを思ひ出します。それは或る

春の夕暮のことです。

 その日私はなに故となく妙に心

が沈んで、まだ落日の餘映が窓を

あかあかとそめてゐる頃から、雨

戶をとざしてひとり暗いしつにぼん

やりとこもつてゐたのです。そこ

へ、秋が卓上洋燈ランプを點して、靜か

にはいつてきたのです。

 そのものおとで、ふと私がその

方へ眼を走らせると、洋燈をかざ

してゐる秋の姿が、ふしぎなほど、

うすぼかされて、そのかはりに壁

にうつつた、背のたかい細つそり

とした影が、不氣味なほど黝ぐろ

とはつきり見江たのです。そして、

その影のちやうど肩さきにあたる

ところに、一匹の大きな蟋蟀がと

まつてゐて、その長い細いひげに

似たもののかげが、ぴくぴくと震

へてゐたのです。

 ―秋。ほらお前の肩に、大きな

こほろぎが。さう私は自分でもび

つくりするほどだしぬけにさけん

だのです。すると、秋は仄明かり

でも分るほどさつと顔いろをかへ

て、危く洋燈を支へ乍ら、私のむ

ねにしがみついて、いつまでもぶ

るぶると、はげしくからだを震は

せてゐたのです。やがて私が秋の

手から洋燈をとつて机の上に置い

てからも、ふたりは永いあひだな

にも言はずに擁き合つたままふる

へてゐたのです。

 暫らくたつて私たちは、お互ひ

に頬をつたふ泪をふき合ひ乍ら、

 ―秋ちやん、お前はいつごろか

 ら今のやうに淋しい女になつた

 のだらうか。

 と、私は今までいちども尋ねた

こともない事をきいてみたのです

 ―わたくしにはよく分つてゐま

 すの。だけどそれはお尋ねにな

 らないでくださいまし。お希ひ

 ですの。わたくし、そのことを

 あなたにお話すると、今よりも

 つと、もつと淋しくなりますの。

 あなたにはただ、わたくしが生

 れつきこんな淋しい女だと思つ

 てゐていただきたいの。

 さう言ひ乍らも秋は私を氣の毒

さうにぢつとみつめてゐたのです

折角いま泪をぬぐつてやつたばか

りだのに、秋の眼からはまたあた

らしく泪がにじみでて、雨だれの

やうにとめどなく、白い頬をつた

ひました。私はさういふ秋が、い

ぢらしく可愛ゆくて耐らなかつた

のです。私は妻の言葉をきき終つ

てから、深く頷いてやつたのです。

 ―秋ちやん。びつくりさせて濟

 まないことをした。今日はどう

 いふものか、へんに心が重くて、

 お前がきてくれるよほどまへか

 ら、僕はこの暗い室にとぢこも

 つてぼんやりと考へこんでゐた

 のだ。さう、さう、僕は今までに、

 お前のことを、蟋蟀にたとへて

 うたつた詩を幾つかつくつたし

 今は恰度「蟋蟀と棲むひと」とい

 ふ、僕としては長いものを書き

 かけてゐるので、僕のこころは、

 こほろぎの幻でいつぱいなのだ

 そこへ、さつきお前がラムプを

 もつてはいつてきたので、ふと

 みると、壁に映つたお前の影坊

 師に氣味のわるいほど大きな蟋

 蟀がとまつて、觸角をぴくぴく

 ふるはせてゐるではないか。僕

 はそれをみて思はず叫びごゑを

 あげたのにちがひない。

 秋ちやん―ゆるしてお呉れよ。

 僕はなにも好んでお前をこほろ

 ぎにしてしまふわけではないが

 僕はへんに蟋蟀を好きなのだ。

 お前はこういふ僕の心持をよく

 分つてゐて呉れるだらうが。い

 まはまだ春だから、お前の肩に

 こほろぎがとまる筈はないのに

 ―みんな、僕の幻なのだ。

 私はさうながながと秋に詫びご

とを呟き乍ら、やはり泪をとめる

ことはできなかつたのです。

 ―あなた。もうそんなことを仰

 有らないでくださいまし。わた

 くしにはあなたのお心はよく分

 つてゐますの。あなたが、こん

 なわたくしのやうなものを、ど

 んなに深く愛してゐてくださる

 かといふことも。・・・わたくし、

 いつもうれしくて、嬉しくて、

 あなたには濟まないと思つてば

 かりゐるのですの。わたくしが

 こんなに淋しい女でなかつたら

 どんなにあなたはお幸福なこと

 か知れないと思つて・・・

 ―もうそんな哀しいことは言ふ

 まい。僕のこんどのものは、お

 前と僕とが、蟋蟀になつて、だ

 れもひとが踏み分けて來ないや

 うな峡の秋ぐさのなかに棲んで

 いつまでも哀しい秋の逝くなか

 れと星に希ふことが書いてある

 のだが、でき上つたら、またあ

 の洋燈の明かりでお前に讀んで

 きかせやうと思つてゐる。僕が

 書くものは、みなお前に讀んで

 もらひたいためだし、それに讀

 んで僕と一緒に泣いて呉れるの

 は、このひろい世界にお前ひと

 りだけなのだから。

 その夜ふたりは寢床に就いてか

らも、あとからあとからと頬を流

れる泪を吸ひ合ひ乍ら、ひと晩を

眠らずに泣き明かしたのです。

 私だちに慧子が生れたのは、そ

のことがあつた年の秋の或る日だ

つたのです。

(越後タイムス 大正十四年十一月一日 
      第七百二十六號 七面より)


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         ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵


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