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僕の戀愛觀


◇雨上りの夏の夕暮、僕は毎日通

る佐内坂を上り切つて、墓地の側

迄來た。人は滅多に通らない。

◇ふと見ると、僕の三四尺先の道

路を、いたちが素敏く横切つた。

墓場に圜らされた黒い板塀の下か

ら飛び出したのである。彼は、向

側の人家の橡の下で、くるりと元

來た方を振返つた。眼が凄く光つ

た。僕は彼が何をするか観やうと

考へ、物陰で息を殺して、その方

凝視みつめてゐた。すると、彼は、四

邊へ氣を配り、害物のゐないのを

見届けるや否や、サラ〳〵と音立

て乍ら、元の黒塀へ走り戻つた。

◇其處には、彼の妻か又は戀人で

あらう、女いたちが、ぢつと待つ

てゐた。男いたちが、彼女の傍へ

歸つて來ると、幸福で堪らぬとい

ふ風に、首の邊を磨りつけ合ひ、

と同時に、二匹頭を揃へて、必死

の勢で再び道路を横切り、人家の

橡の下の穴深く潜つていつた。

◇戀愛の、善、美、信の究極は

實にこれだと僕は思つた。單純だ

と人間に思惟されてる彼等動物

の生活に於ての、この素敵な、戀

愛信念のクライマツクスを、直ち

に外面的にも内部的にも、複雑極

まる人間の世界へ、あてはめても

決して矛盾は無いのである。僕の

憧れる戀愛の眞理は實に之である

        ✕

◇戀愛は、あらゆる第三者を欺瞞

し盡さんとする、繊細なる感情運

動である。


(越後タイムス 大正十一年十月十五日 六面 第五百六十七號より)


#コラム #越後タイムス #恋愛 #大正時代 #左内坂





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