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獨斷家の漫歩

 或る晩、一人の獨斷家が街を散

歩してゐたので、僕はこつそりと

そのあとをつけた。

 この獨斷家は大へん臆病である。

何故といふに、多くの獨斷家とい

ふものは、その専らにするところ

の獨斷を、傲然と噓ぶくならひで

あるのに、この男はたゞ口のうち

でぶつ/″\とひとりごとをつぶや

くに過ぎなかつたからである。

 さてこの男のひとりごとゝいふ

のが、獨斷家といふ名聲にふさは

しくないほどつまらない事柄ばか

りである。たとへば、

――世の中には反感を抱くだけの

  値うちさへない人間が澤山に

  ある。反感を持つてその人に

  對してゐる間は、まだ幾分か

  その人を認めてゐる時である

と、こんな風な調子なのである。

僕は獨斷家のうしろで「ふ~ん、な

るほど」と言つたのだが、それを

どうとりちがへたものか彼は、「な

るほどと言つて呉れたのは難有い

ことだ。君にはもう七つだけ僕の

大切な流星をあげやうと思ふ。君

は街に住む批評家だね。君、僕は

今晩機嫌がいゝのだよ。ちょつと

そこの酒場で麥酒を一ぱいひつか

けてきたのだから。・・・。」

――友達とは結局夢を同じうする

  人間の間柄である。それでな

  ければ、無駄話の最上の相手

  である。そして人生とは、要

  するに無駄話そのものではな

  いか。

――孤獨を客觀的にみるときは淋

  しいものである。然し主觀的

  にみるときそれは愛すべきも

  のである。戀愛は孤獨の難有

  さを眞實ほんたうに感じさせるではな

  いか。

――生きかたをあらためてから書

  くがいゝのだ。君などは。今

  の君の氣持はちつとも藝術的

  に洗はれてゐないではないか

――讀むことをめんだうくさいと

  思ふ人はものを書くことをも

  めんだうくさく思ふ人である。

――自然や人生をあるがまゝにう

  つしたからといつて、それが

  たゞちに藝術品ではない。大

  切なことは、作者の感覺と官

  能と洗練されたる感情との表

  現である。銳い洞察とは要す

  るにその人の銳い生活から生

  れるものだ。例へば室生犀星

  氏の感覺、佐藤春夫氏の心境

  は、たゞそれだけでも吾われ

  を魅惑するものだ。それが藝

  術品として表現されるとき、

  それは作家の風格となるので

  ある。

――私は病人特有のセンチメンタ

  リズムを嫌ふものである。然

  し、病人の心境を全く知らな

  いほど健康を誇る人間を猶一

  層嫌ふものである。

――戀愛に陶醉するものは―否、

  戀愛そのものに醉ひしれてる

  間は、偉大なる藝術品をつ

  くりだすことは六づかしいか

  も知れない。然し、作者がそ

  の戀愛を自分の生活に融合し

  きつたときは、その創造的感

  激は素晴しく燃江上る筈であ

  る。

 獨斷家はこれらの七つのつまら

ない彼の流星を、いさゝかの休息

もなく饒舌りたてた。

 僕は彼の於饒舌の終るのを待つ

て、「君はくだらない男だ。獨斷家

はせめて散歩するときだけでも默

つてし給へ」と冷笑した。然し僕

が彼に向つて、「友達の作品の批評

をするときには好意を持つべきで

ある。併しその結果が褒貶ほうへん何れに

歸するとも、それは好意そのもの

ゝ責任ではない」と言つたとき、

獨斷家は、「君も僕の仲間だ」と言

つて、秋の夜空の遠い星族をみあ

げたのである。(十三年十一月稿)


(越後タイムス 大正十三年十一月三十日 
       第六百七十九號 七面より)

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