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王 友 釣 魚 便 り (「王友」第十七號)

        本 社  蘆 舟 生

    釣 友 會 現 況

 四月廿四日の王友倶樂部新人歡迎各部紹
介會にて、菊池君の紹介勸誘宜數を得た爲
か、吾が釣友會も新人十五名を釣上げ、更
に新規入會者數名を加へ百名以上の會員を
算するに至つた。尤も會員中には名譽(名
簿?)會員も數名居るが大きな釣友會とな
つた事を喜び、又今後益々會員各位の御奮
闘を御願ひする次第である。

   新 人 歡 迎 午 餐 會

 例によつて新人の歡迎午餐會を五月四日
山水樓で催した。新人十二名舊人有志三十
一名出席。
 小林會長のユーモア―に富んだ釣魚秘傳
を拜聽更に顔識りの爲例の如く自己紹介
をした。子供時代に郷里で釣をやつたと云
ふ人もあれば、學生時代盛んに海に河に釣
遊したと云ふ人もあり賴もしい次第であ
る。資源開發、非常時保健の爲一層釣魚に
親しんで頂き度い。計畫よりも實施。近く
春季大會を開催することを豫告して談笑裡
に散會した。

    春 季 鮒 釣 大 會

 酒匂川のヤマベ釣をと思つたが昨年の成
績が餘り芳しくなかつたのと近況が不明な
ので、一寸遅い感はあつたが富士ビルの木
村君を煩はし調査中であつた取手の鮒釣を
五月十四日に催すことにした。
 前日から引續いての曇小雨で、天氣具合
は甚だまづいが、釣となると小雨位は曇の
部とばかり傘、合羽の用意宜敷く上野驛に
參集する。午前六時十五分發仙臺行に乗車
するのを五時少し過ぎから待つて居る熱心
家もあれば、發車間際に駈け込み「山の手
線は遅くて困る。」と御自分の自宅出發の遅れたのを電車の罪となす人あり、兎も角豫定の出席者に案内役の木村君を加へ一行十三名常磐線上の人となる。此の列車は晴天なれば魚釣列車で釣師で滿員なのだが、今日は釣師の顔も割合に少い。荒川放水路、中川、江戶川、利根川等の各水色を氣にしつゝ七時九分取手驛着。
 豫め依賴用意してあつた自動車二臺に無
理にも分乗し、取手の町を縱斷して利根川
土堤添ひに東進すれば間も無く北相馬郡小
文間村中妻に到着。此處で車を歸し徒歩約
二十分にて目的の飯沼着。
 戶田井、神の浦等好場所連續の當地故乗
込時期なれば釣士滿員にて竿を下す場所を
探すにも困る程との事なるも、今日此地に
釣するは吾が王子釣友會員のみですこぶる
氣安である。午前中の模樣を報告し合ふ爲
晝食には指定の場所に集まることゝし、思
ひ/\の場所に散開する。
 小雨も時々バラックが時には漁陽も漏
れ、一日曇天であつたが氣溫が多少低かつ
た爲か、此の好場所も餘り惠まれず、細を
狙つた者が稍好成績であつた。
 一日どうやら保つた曇天も、四時近くに
は小雨になつたので、思ひを殘し徒歩中妻
に戻り、迎への自動車にて取手驛着。午後
四時三十四分發上り列車にて歸京。
 春季大會は新人歡迎を兼ねての目論見で
あつたのに、舊人の天狗話に恐れをなして
か一人も新人の參加を見なかつたのは殘念
であつた。新人よ安心あれ、舊人の成績は
左の通りなれば今後は安心して行を共にせ
られん事を望む。

順 位  氏名  鮒  其他  計
  一  松原  二八  〇  二八
  二  楳田  二六  〇  二六
  三  加納  二〇  一  二一
  四  石川  一七  一  一八
  五  依田  一六  九  二五
  六  原   一二  二  一四
  七  永井  一〇  五  一五
  八  坂田  一〇  〇  一〇
  九  前田   七  二   九
  十  高橋   六  五  一一
 十一  菊池   六  一   七 ブビ―賞
 十二  横田   六  〇   六

 小林會長出張不在なので、翌日幹事より
夫々賞品を呈し春季鮒釣大會を終つた。
尚本大會に釣場案内其他種々御便宜を計
つて下さつた木村君に紙上にて厚く御禮申
上げます。

    清水港白ギス釣遠征會

 例年御世話になり釣慾を滿して居る清水
港の白ギス釣の盛期となつた。恒例と云つ
ては工場の方々に申譯ないが、本社釣友
會としては最早年中行事の一つとなつた清
水港白ギス釣遠征、報せがなくとも行きた
い處、遠征を待つとの報を受けたので、渡
りに舟とばかり早速に遠征を決行する。
五月二十七日午後十一時四十分東京驛發
大阪行列車にて一行三十一名征途につく。
途中富士驛より工場の方々乗車すれば間も
無く清水驛着。時に五月二十八日午前三時
三十九分。
 自動車にて京稲着。漁裝に替へ抽籖にて
乗船を決め、未だ薄暗き市中を三々五々海
岸へ行けば、岸壁には既に十數隻の船が待
つて居る。夫々指定の船に分乗興津沖目指
して出船する。行手の朝靄を通して赤いと
云ふか黄色と云ふたがよいか大きな太陽が
顔を出せば、靈峰富士も目前に現はれ、今
日の幸を祝ふが如く、實に清が/\しい朝
である。
 午前中は學校前にてやりたるも氣溫低下
の爲か當りも少なく、午後より清見寺前に
變りたるも大差なく、尤も早く清見寺前へ
變りたる船は入喰の面白さを味はつたとの
事ではあるが、一般にポツ/\程度の成績

順位   氏   名   キ ス  其 他  合 計 キス一人當り
一  小林、馬場    一六六   三七  二〇三   八三
二  妹尾、前田、林  二三二   一八  二五〇   七七
三  牛山、服部、堀  一五二   一八  一七〇   五〇
四  永井、松原     九四    九  一〇三   四七
五  □崎、 三谷     九四     六  一〇〇   四七
六  横田、高橋     九二   一〇  一〇二   四六
七  菊池、只腰     八六   二一  一〇七   四三
八  多和田、筑紫    八〇   一〇   九〇   四〇
九  窪田、風間     七二    五   七七   三六
十  阿部、岡村、堀江 一〇五   二一  一二六   三五
十一 片岡、中里     六九   一七   八六   三四
十二 篠塚、長野、東   九六    八  一○四   三二
十三 鈴木、楳田、加納  九四   一一  一〇五   三一
十四 深瀨、福原、藤井  八七   一九  一〇六   二九
十五 内藤、田島、間瀨  八三   一九  一○二   二七
十六 石井、藤田、坂田  七五   二八  一○三   二五
十七 依田、石川、加藤  七四   一〇   八四   二四
計     四十三名  一、七五一 二六七 二、〇一八  四一

である。
 朝見た太陽は何時の間にか雲にかくれ完
全な曇りになり、更に山の方では黑い雲が
出て來たと思ふ間もなく、ピカ/\ゴロ
/\と夕立模樣になつて來たので、海上で
夕立に會つてはたまらぬと、時間は早いが
三時頃に切上げ京稲に引揚げた。皆が宿へ
着くか着かぬ中にザアーと大夕立。良い時
に切上げたもので三十分も遅れゝば一同濡
鼠になるところであつた。「釣は見切が大
切」と一つの敎を受けた樣である。
 夜食の御馳走になつて居る中、獲物審査
も終り成績發表となれば本年もまた小林組
が第一位で本社釣友會々長の貫錄を示す。
夕立も去つたので晴間を幸ひ、重たき魚
籠を家苞にし自動車にて送られ清水驛着。
午後六時七分發の上り列車にて無事歸京し
た。
 工場及山林各位の毎回の御厚遇を深謝し
又清水遠征は本社釣友會の年中行事となる
樣來る年も御招きに與り度く御願ひます次
第である。

    初 夏 か ら 秋 へ

 清水港の白ギス釣が忘れられず、江戶前
で白ギス釣を催さうと定船宿釣松へ電話し
た處、「最近餘り面白くない模樣ですから近日一度試釣に行き其の結果を知らせます」との事で、今に返事が來るか、今か今かと待つて居る内に、とう/\吉報もなく時機を逸し、本年の白ギス釣も駄目になつてしまつた。今年は江戶前の白ギスは一般に振はなかつたので、定連には氣の毒で船宿でも來て下さいと云ふ氣にはなれなかつたらしい。
 盛夏となつては釣もやれず皆思ひ思ひに
山に海に只遊ぶより外なかつた。
 以上の次第で釣友會の催しがないので、
腕にしびれを切らした連中は、九月早々に
江戶前のハゼ釣に出掛けた。
 今年の江戶前のハゼは何年振りとかの豐
漁で、どんな素人、子供でも百や二百は朝
飯前との凄い情報に、更に船宿等の宣傳も
手傳ひ、ソレとばかりに繰出した釣師は何
萬とも算し切れず、只でさへガソリン統制、船頭不足で船の奪ひ合ひの處へ此の景氣では、振りの申込では當ハゼ釣時季中には船の入手は出來ず、定連のみが漸く釣に出掛ける事が出來ると云ふ近來の釣界大異變。吾が釣友會も一ヶ月前からの申込で、漸く十月廿九日に船を入手し得る事が出來た。

    秋 季 海 釣 大 會

 待望のハゼ釣大會の十月二十九日となつ
た。當日は第三次防空演習の燈火管制最中
なので、交通機關の運轉中止其他の爲豫定
の午前七時品川驛集合は危ぶまれたが、流
石時間嚴守の吾が釣友會員の事なれば殆ん
ど大部分は豫定時間より三、四十分も早く
集り、船宿釣松へ先發すれば、最後の部隊
も豫定通り參集して集合は正に百パアーセ
ントの好成績であつた。會する者三十三名
釣友會員の約三分の一。是亦近來に無き好
出席率。
 米の不足で恒例の甘鹽鮭の晝食は船宿で
一旦斷られたが。之を美味しく食はさねば
江戶前釣の釣味を半減されるので、三拜九
拜漸く七分搗米でも宜いからと、用意させ
てあつた鹽鮭の晝食を積込み、抽籤で船を
定め四隻に分乗、エンヂンの音も快調に白
波立てゝ出船する。未だ寒さが加はらぬ爲
め淺き處に居るので御臺場附近で釣始めた
るも、下潮急にて當りなく、鮫洲沖のシビ
の處に轉じ終日ポツ/\乍らの當りを見
る。
 天氣は良く十月末としては暖く冬外套も
脱ぐ樣な調子で日和には惠まれたるも、
成績は左の通りで、本年評判のハゼ釣とし
ては一寸不成績だつたが、例年に比すれば
上々なので、未練はあるが燈火管制中故歸
途の心配もあれば、三時半に打切り四時船
宿へ歸り成績發表。小林會長より夫々賞
品を贈呈し待望のハゼ釣大會を無事終了
した。

位 順   氏  名   船  ハ ゼ  其 他   計
  一   權  藤  二 二  六九    一   七〇
  二   前  田  二 九  五六    七   六三
  三   小林會長  一 二  五六    三   五九
  四   千  葉  四 八  五六    〇   五六
  五   林     四 一  五二    〇   五二
  六   石  井  二 三  五〇    一   五一
  七   加納(芳) 四 三  四九    一   五〇
   八  間  瀨  二 八  四五    一   四六
   九  松  原  三 二  四四    四   四八
   十  石  川  四 五  四二    〇   四二
  十一  永  井  三 四  四一    〇   四一
  十二  菊  池  二 七  三九    三   四二
  十三  田  代  四 七  三九    一   四〇
  十四  原     一 六  三七    二   三九
  十五  依  田  三 七  三五    一   三六
  十六  太  田  四 六  三五    〇   三五
  十七  鹽  崎  一 三  三四    三   三七
  十八  高橋(勝) 三 五  三三    一   三三
  十九  藤  田  一 七  三二    〇   三二
  二十  海  賀  四 四  三〇    〇   三〇
  廿一  大  島  三 八  三〇    〇   三〇
  廿二  相  澤  二 五  二八    一   二九
  廿三  坂  田  三 一  二八    一   二九
  廿四  加納(正) 一 一  二八    〇   二八
  廿五  高橋(關) 二 六  二六    一   二七
  廿六  中  里  二 四  二五    〇   二五
  廿七  片  岡  三 六  一九    一   二〇
  廿八  吉  田  二 一  一八    一   一九
  廿九  山  田  一 五  一八    〇   一八
  三十  只  腰  一 四  一五    〇   一五
  丗一  赤  井  四 二  一五    〇   一五
  丗二  大  平  一 八  一四    一   一五 ブビー賞
  丗三  娓  尾  三 三  一三    〇   一三
      合計      一、一五〇   三五   一、一八五

  船 別 成 績
一 第二號船  三五六  一六  三七二
二 第四號船  三一八   二  三二〇
三 第三號船  二四二   八  二五〇
四 第一號船  二三四   九  二四三

 釣大會では常に第一位を獲得し會長の貫
錄を示される小林會長、本日も第一號船の
筆頭で又一等と思つたが、一足遅れて歸船
した第二號船の成績發表により、門下生の
權藤君及錦洲パルプの前田君に一、二等を
奪はれ遂に第三位となる。會長を凌駕して
多獲した魚の怨みではあるまいが一等の權
藤君、此の大會後間も無く風邪に侵され入
院の已むなきに至り、未だ御出勤になられ
ぬのは御氣の毒である。一日も早く御全快
されんことを祈り、又元氣で釣友會で腕を
振はれん事を切望する。
 尚前記の如く船飢饉で船の獲得困難なの
で約一ヶ月前に參加者を募つた處、四十數
名の申込があり、その積りで船の手配をし
た處決行直前になり十數名の取消者あり、
病氣又は防空演習の警防團員として勤務す
る等の爲實參加不能の人もあつたが、中
には單に嫌になつたから取消と云ふが如き
不都合の人のあつたのは甚だ遺憾であつ
た。釣大會に出席する人は單に出席するか
せぬかで済むが、會を進行せしむる幹事に
は相當の苦勞がある、少しは察して貰ひ度
い。本誌を通じ會員各位に改めて一言する
「約束は必ず守れ」。

 晩 秋 か ら 嚴 冬 へ

 ハゼ釣大會後も新聞、雑誌にハゼ大漁
/\と書立られるので、今一度ハゼ釣會を
催さうと船の手配をしたが、ハゼに加ふる
にボラの盛期となつたので一層船不足とな
り、遂に催す事が出來なかつた。釣友會に
資金でもあれば釣船の五隻や十隻は造つて
常備して置くのだが!會員各位大いに釣
つて資金を造り實現しやうでは有りません
か、呵々。
 尤も乗合、岡張り、其他の方法で其後ハ
ゼ釣を滿喫された方々もある樣だが成績が
判然しないから發表は見合せる。
 紀元二千六百年。此の目出度き年を燃料
不足で寒い家に縮み込んで居るより外氣に
觸れて、身心鍛錬をする方が有意義だから
タナゴ釣會を催さうと二三の有志で千葉縣
運河へタナゴ試釣に出掛けた。未知の土地
故勝手が判らず、敎へらるゝまゝに彼方、
此方を歩き廻り、足の鍛錬を充分にして、
輕い魚箱をさげて歸つて來た。
 更に小林會長、原、石川、坂田組は土浦
在の清明川へ、又石井、永井、新田、高橋
組は新川、多摩川上石原へ夫々タナゴ試釣
に出掛けた前者は各四、五十位後者は
二十位の成績で、各人、上手は千數百を釣
ると云ふのに對しては問題にならない成績
であつた。尤も之は會員が下手の爲ではな
く、晴天續きで減水甚しく、且水が澄んで
居る爲魚が餌付かず何れの方面でも又大家
なるものも本年のタナゴは不漁/\を哨つ
て居る次第。試釣者各位の名譽の爲特に此
の旨附記し、又釣友會としてもタナゴ釣會
は乍殘念催さない事とする。雨よ降れ/\
電力問題解決の爲に、風邪退治保健の爲
に、又吾々釣師の爲に。
(一月末日記)

(「王友」十七號 
  昭和十五年七月五日發行より)

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