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【空想雲上】リリーのセオリー

札幌に横山大観展が来ているので、展示物は後日に回して、足立美術館の安部さんの講演会を聴いてきた。大観の絵を集めた足立全康(ぜんこう)さんの話しや、大観の絵をスクリーンに出して、時系列順に見ていった。

全体的に富士山の絵が目立つのだけど、なんと1,500点も描いたそうだ。なんとも美しい絵たちなので、思わずポストカードやクリアファイルに手が伸びかかったが、また展示場を観に来るので、その時にじっくり絵を鑑賞して、この気持を沈めようと思う。

『リリーのすべて』を観てきた。ヤンサンのBL回で取り上げた『Jの総て』に似たタイトルである。アイナー・ベルナーという風景画家の男が自分の内面にいる"リリー・エルベ"に気づき、妻帯者でもある彼が次第に変化していく様を事実を元に映画化している。世界ではじめて、性別適合手術を受けた人物でもある。

主役をやっているエディ・レッドメインは前回のアカデミー賞で主演男優賞を獲得し『博士と彼女のセオリー』では、ALSという脳から筋肉への命令が伝わりにくくなり、次第に筋肉が衰えていく難病にかかった、理論物理学者のホーキング博士を演じている。

この映画、どちらも「ある男の困難」を妻が一緒になって支えている映画だったりする。つまり1年ごとにエディ・レッドメインを観ていることになるのだ。

『博士と彼女のセオリー』では、どんどん筋力が落ち、妻との関係も少しずつ距離が出てくるのだが、ホーキング博士は最新式の文字パネルを使って新しい学説を書いたり、ヘルパーの女性に恋したりと、なかなか人間臭く生きていくので、そこが面白かったりする。あー難病で可哀想…とはならないのだ。

『リリーのすべて』は、妻のゲルダと一緒に頑張るのだが、リリーは女としての喜びを見つけはじめて、外出する頻度も増え、妻との信頼関係が壊れ始める。それでも最後までゲルダは付き合っていく。

その過程で何度もリリーとゲルダは一緒に「涙を流す」のだけれど、そのシーンが現代でも無数に存在する、性の問題で差別されている人の姿に映り、また旧世代の価値観の中で変わろうとする、我々の苦しみや悲しみにも似ているので、胸にぐっと重くのしかかってくるのだ…。



今月は「ルーム」と「ボーダーライン」を観たいと企んでるイッセイでした。

では、次は近くに更新します。

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