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筆まめではないですが、思ったこと・考えたこと、見たり・聴いたりしたことをすぐに忘れて残…

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筆まめではないですが、思ったこと・考えたこと、見たり・聴いたりしたことをすぐに忘れて残念な気持ちになるので、なるべく残しておこうと思います。

最近の記事

フジロック2023 記録

2023.7.27-7.30 @苗場 今年フジロックに初めて参加した。7-8回連続で参加している音楽オタクの友人の手引きのもと、前夜祭も含め4日間つつがなく楽しむことが出来た。 ベストアクトは?と聞かれると迷ってしまうが、The Strokes、John Carroll Kirby、Cory Wong、Romy、Ginger Root、きゃりーぱみゅぱみゅ辺りが特に心に残っている。多すぎるので、事前に知らずにばったり出会って一目惚れしたRomyを今回のベストとしたい。淡々と

    • 半歩引いてみる。

      2018年12月8日に下書きを作成し、4年あまり寝ていた記事になります。 当時、青年団という劇団がまだこまばアゴラ劇場を拠点にしていた頃、兵庫県豊岡市に新しい拠点となる劇場を建設することが決定し、その事業に関する調査報告の為に当地に赴いた際に書いたメモです。   江原駅(兵庫県豊岡市日高地区)から徒歩5分程度のところにある豊岡市商工会館で行われたとある調査事業の報告会を終え、一人京都へ。  豊岡から福知山を抜け、亀岡からトロッコ電車に乗って嵯峨から京都市内へと入った。紅葉は

      • 駅のベンチからぼーっと街の風景や過ぎゆく電車を眺めている

        2023.7.1|Last Train To London @スタジオ空洞 残像を回収する列車に乗り遅れ、1ヶ月以上プラットホームに取り残されていた。 先日、マミアナと名乗って集っている友人たちと演劇の公演を行った。昨年も同じ時期に公演し、今回で2回目。60分ちょっとの芝居で、池袋の地下にあるスタジオに簡素な舞台を組んで、主に8人でつくりあげ、77人のお客さんに観ていただいた。作品が形になり、たくさんのお客さんに観ていただけたことに感謝できる状況にそっと胸をなでおろしている

        • 2022.10.07-08 福島第一原発・双葉町・大熊町・浪江町視察

          総括 喪失を経験された方々による懸命に繋ごうとする運動と、喪失された土地で新たなことを創出しようとする運動が、いずれも未来を志向して混交する場所。 見聞きすること、特に実際に人の身体から発せられる言葉や、身振り、手振りを含む語りは、情報量がとても豊かであり、自分をグッとその事象に引き込ませる力を持っている。 特に帰還困難地域に指定されている地域において、震災と原発事故の複合的な要因がもたらした結果について考えた。 エネルギー問題に関しては、原発でなくて、再生可能エネル

        フジロック2023 記録

          五反田団『いきしたい』・青年団『思い出せない夢のいくつか』/『眠れない夜なんてない』 @豊岡演劇祭2020

           前田司郎が当日パンフレットに書いていた「夢の文法」が舞台芸術を語るキーワードであるように思えた。 五反田団『いきしたい』2020.9.20 @豊岡市民プラザ  段ボール箱の山が2つ無造作に積まれている。上手側の山の上にはパトライトが載せられている。美術はそれだけで、俳優の演技で空間は埋められていく。段ボールと照明で見立てる芝居。照明が効果的で美しかった。目的と演出がピタりとハマっていて嘘のつき方が鮮やかで見えない景色が豊かに広がっていた。  「奥歯にものが詰ま」った女は、

          五反田団『いきしたい』・青年団『思い出せない夢のいくつか』/『眠れない夜なんてない』 @豊岡演劇祭2020

          彩の国「ヘンリー八世」

          シェイクスピア作品にしては平和な印象。舞台は宮廷とその周りに限られ、ひたすら政治劇が展開される。強大で動ずることのない絶対的地位に立つ国王の下、権力抗争が繰り広げられる。他のシェイクスピア歴史劇と比べると、王の絶対性が特徴と言え、その為か、ドラマに派手さを欠く。ヘンリー八世は、国王至上法の制定、国教会の設立を通してイギリス絶対王政を確立させた王であるという歴史的背景を踏まえると、このような作品になると合点がいく。 演出もいたってシンプルであった。舞台奥上方にパイプオルガンの

          彩の国「ヘンリー八世」

          ロロ「四角い2つのさみしい窓」

          2020.2.15(土)14:00- こまばアゴラ劇場 舞台は、この世界の窓なのかもしれない。とある劇団に魅せられた二人の青年。海と陸の間、舞台と客席の間、人と人の間、彼岸と此岸の間、嘘と本当の間、様々な境界線が交錯する。壁に隔てられた両者を結ぶ窓。壁の上を進んでいけば彼方へと辿り着く。第4の壁は遍在する。でも嘆くことはない。そんな風に思えた。

          ロロ「四角い2つのさみしい窓」

          「ほぼ日」は、虚飾の時代に求められた。

          「ほぼ日」は愛読しているだけでなく、劇団でも仕事をご一緒させていただいている。「ほぼ日」は広告なしのwebコンテンツの配信を中心に、「ほぼ日手帳」などのグッズ販売や、「生活の楽しみ展」といったイベントの企画を行なっている会社だ。人当たりのよさ、心地のよさでいったら他の追随を許さないような会社だと私は考えている。 他のwebメディアには出せない心地よさの源泉はどこにあるのか?1つの考えが思いついた。それは、SNSが普及し誰もが発信者であり受信者となった時代において、web上で

          「ほぼ日」は、虚飾の時代に求められた。

          喰っていい奴は、おれが決める。

          現在公開中のMARVEL映画『ヴェノム』を観て思ったこと。 「カワイイ」という感想が広がっているように、広告の怖さ、不気味さとのギャップを楽しむ人が多い映画だろう。プロットが分かりやすく、登場人物の駆け引きや裏切りなどといった展開がなく、また社会に対するメッセージを訴える素振りもなかった。頭をほとんど使わずにあっさり観られる。と思いきや、僕の目を引いたのはラストの方のシーン。人類の危機を救ったヴェノムは依然主人公に寄生していて、両者は共生している。ヴェノムは生存するために

          喰っていい奴は、おれが決める。