見出し画像

おばあちゃんっ子。


わたしはフランスで産まれて、赤ちゃんのころに東京に移り住んだのだけれど、3歳の時に両親が離婚したのをきっかけに東北の母の実家、つまり私のおばあちゃんの家に母と2人で出戻りました。(祖父は私が生まれる前に他界。)

母は仕事があるので、子育てのほとんとをおばあちゃんが担ってくれていました。

料理、洗濯、保育園の送り迎え。。。
母との喧嘩の仲裁役もおばあちゃん。

こたつでおばあちゃんがいれてくれた緑茶をのみながら、2人で相撲をみて、夜はおばあちゃんのベッドで並んでドラマをみてそのまま寝ることもしばしば。

母は20代〜30代の大半をフランスで過ごしたからか、いろいろと日本の文化に適合せず浮世離れしていたので、ほぼ日本育ちのわたしともあまり相性がよくなく。。。
神経質な母親よりも、大らかでのほほんとしたおばあちゃんが大好きでした。小さい頃は頼りになる存在で、かなりの高齢になってからはとにかくかわいくてしょうがない。

そんなおばあちゃん、なかなかの長生きで、96歳まで生きました。マイペースって長生きするんだなぁ。天へ羽ばたいて消えてしまったのは去年。

そう、昨日はおばあちゃんの一回忌でした。

心不全で具合を悪くしてから、最後の数年間ほぼ寝たきりの生活。その間にたくさん会いに行けたし、結婚して夫を紹介することもできたし、気持ちの覚悟はできていました。ひ孫を見せることができなかったのが少し心残りです。

おばあちゃんは、寝たきりといっても、ほとんど最後までトイレもひとりで出来て、頭も冴えていて。
なんといっても亡くなるとき、危篤のときから一緒にいれるタイミングで、まわりの親戚もみーんな集まって最後を見届けることができて、お盆の暑い時期にその時だけ過ごしやすい涼しい気温の日で、最後までナイスなおばあちゃんでした。

おばあちゃんが亡くなるとき、わたしに会いたいと言ってくれたらしく、母親から「あなたに会いたいと言っています。会いに来てください」とメールが来ました。偶然にも午後半休だった日。仕事終わりでそのまま会いに行きました。その日は幸運なことに金曜日で、仕事は土日休みなのでそのまま泊まり、土曜日の朝に「おはよー!」と声をかけたら小さな声で「おはよ。」と言ってくれたのがおばあちゃんのさいごの言葉。

そのまま肺炎の高熱にうなされ、日曜日の早朝にわたしが二度寝してる間に亡くなりました。
母と叔母は息が遠のくのをみていたらしいので、まじ起こしてよ!って未だに思う。

百まで生きるよ!っておばあちゃんはいつも張り切っていたので、あ〜あと数年だったのに、、という気持ちもあるけど、具合が悪くなってから「長生きすぎるのもつらいもんだね。」と言っていたので、もうじゅうぶんがんばりましたよね。

さいごは綺麗に身支度したおばあちゃんが眠る棺を囲んでなぜかみんな笑顔で記念撮影。
衣装もお化粧も自分たちでやって、お花もたくさん買ってきて飾りました。なんだか賑やかな死後。遺骨はまだ母親の手元にあって、来月にはお墓に納骨しにいくそう。

わたしはというと、おばあちゃんが愛しすぎるので分骨でちょっとだけ骨をわけてもらって、島にもってきました。ほんとはいけないのかもしれないけど、大らかなおばあちゃんなのできっと気にしないでしょう。

骨壷もはりきって手作り!
すっごく可愛くできたので気に入ってます。わたしとおばあちゃんは趣味が合うのできっと喜んでるはず。
わたしは近い未来、陶芸に携わりたいと思っているのだけど、偶然にもおばあちゃんは昔、陶芸家になりたかったらしくて(亡くなったあとに知った。)かわりに叶えたいな。と思って、運命を感じています。うつわが好きなのもおばあちゃんからの影響なのかもな〜。

お洒落で真っ白な髪の毛がチャームポイントのかわいいおばあちゃん。
心の中でずっと生き続けます。



ねんどの材料にさせて頂きます。