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連作SES営業短編 第十二話 インフルエンサー

結構前の事だ。
担当エンジニアがとんで俺はそいつの自宅を訪ねた。
大井町駅から徒歩10分程のアパートは洗濯機を通路に置く造りになっていて、そいつの洗濯機の周りには見たことのないメーカーの洗剤が大量にあった。
そいつはいわゆるネットワークビジネスに嵌まっていた。

この業界にはマルチ商法とかネズミ講に染まる奴が一定数いる。
あんたもツイッタラーだったら判るだろ?
ネットワークビジネスも商材屋も本質的には貧困ビジネスだ。貧して鈍して騙された奴は周囲を巻き込む。そうなる前に排除しなければならない。
そのエンジニアは退職になった。

ゴールデンウィーク明けの月曜日。新緑の頃というには暑い日だった。
その日は2名の入社があった。気の強そうな女と気弱そうな男。今回は広報担当のTikTok経由で俺は面接していない。だからこれはただの印象だ。
俺はいつも通り入社対応をこなして、いつも通りその日の内にスキルシートをばら撒いた。

ロースキル界隈は案件が減っているなんて話も聞いてはいるが2人はあっさり決まった。
女はPMOサポートって呼び方の事務。
男はインフラエンジニアって呼び方の回線工事調整だ。
2人はたまに会って飲みに行っているようだったが、それは俺の管轄外。付き合うなり別れるなり勝手にやってくれ。

豊洲の円形広場で待ち合わせたのは陽が落ちても蒸し暑い8月下旬。
カフェに入りアイスコーヒーを2人分注文する。
定期ヒアリングでインフラエンジニアの話を聞いた。
仕事は順調か。何か現場で困っていることはないか。通り一遍の確認を終えて帰ろうとしたタイミングで奴は話したい事があると言った。

相談は同期の女について。奴が言うにはあくまで仲の良い同期で、付き合っている訳ではないそうだ。
彼女は怪しげなインフルエンサーに心酔していて、勉強会という名の催しに誘われている。
何だか胡散臭いし行きたくないけど同期とあって断り辛い。
どうしたらいいですか。

正直知るかと思ったがそのインフルエンサーの名前は心当たりがあった。
プログラミング講師を名乗っているが、人材会社に人を送り込んでマージンを得ている商材屋だ。
フルリモートで自由な暮らし/貧困から成り上がり/未経験からフリーランス/指導実績300名以上
テンプレート通りのプロフィール。

問題は複数の社員からそいつの名前が出て来た事だ。社内にインフルエンサーのネットワークが出来上がりつつある。社員が引き抜かれる前に対処しなくてはならない。
搾取するのは俺たちだ。インフルエンサーには退場してもらう。

天幕には星々が投影されていてキラキラしたイメージを演出していた。
インフラエンジニアは辺りを見回しているようだ。仕込んだiPhoneからの映像が揺れた。
宇田川町の隠れ家風カフェ。同期のPMOサポートが奴を見つけて手を振る。
俺は奴を勉強会に潜入させた。

参加者は7人。YouTubeで見た顔の主催者が最後に現れて勉強会が始まった。
自己紹介に続いて仕事の悩みや不安を打ち明け合う。
主催者は優しく穏やかな口調で、けれど辛辣にそいつを否定した。サクラも混ざっているようで追随してそいつを責める。
イニシエーションが始まった。

様々な局面を経て、最終的に全員が泣きながら口々に変わりたいと言った。
うちのインフラエンジニアもPMOサポートも号泣している。
プラネタリウムみたいなカフェで泣きながら絶叫する。それは異様な光景だった。

最後に連絡先を交換して勉強会は終わった。
洗脳さえ済めば、後は人材会社に送るだけだ。簡単なお仕事。
あんたも「月単価90万超のフリーランスエンジニア」になってみないか?

商材屋のやり口を晒す動画は上手くまとまっていた。心理学知識の注釈も入れて、人が如何に洗脳されていくかがよく分かる映像に仕上がっている。
編集はうちの広報に頼んだ。
美容にしか興味のないくそ女だと思っていたが、良い出来だ。
感謝を伝えると心理学専攻してたんすよ、と彼女ははにかんだ。

まずはインフラエンジニアとPMOサポートの2人に観せた。
彼女はモザイク処理が施されているとはいえ、自分が隠し撮りされている事に憤慨したが、最後まで見終えると自分が騙されつつあったことに気付いたようだ。怒りの矛先は俺達からインフルエンサーに向いた。

SNSに投稿した動画はバズった。
インフルエンサーは特定されて嫌悪と嘲笑の対象になった。目論見通り。これで奴の誘いに乗る奴も減るだろう。
うちの広報担当はフォロワーが1万を超えて、社長から特別ボーナスが出たそうだ。

うちのインフラエンジニアとPMO補佐は変わらずたまに会って飲みに行っているらしい。
話題は相変わらず仕事や会社の愚痴ばかり。
奴らがこの先どうなるかは最初に言った通りだ。俺の管轄外。

おまけの用語解説
インフルエンサー:

日本語で影響者。2000年代後半から広まって、今では人口に膾炙した言葉といえる。
IT界隈に巣くうインフルエンサーは大きく分けて2通りいるように見える。
ひとつは今回の話に登場したような利益誘導型。
こちらは利益構造さえ見えれば看破しやすいのだけれど、もう片方のパターンは俺もよく分かっていなかった。
一旦、結論固定型とする。

奴らは例えば、SIerを下げてWeb系を持ち上げる。従来型SESをくさして高還元を喧伝する。
そこに利益誘導が見られなかったから、俺の中では長らく謎だったんだけど最近ある仮説を読んで納得した。
世界はこうあって欲しい、こうあるべきだ、という結論がまずあってそこに至る理屈を積み上げる。結論は動かせないから矛盾も生じるんだけど、そこは見ない。
奴らの多くは後戻りの利かないフリーランスや自営業者で、サンクコストバイアスも働いているんじゃないか。

いずれにしてもあんたも俺も、誰かの物語に組み込まれる必要はない。

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