日経ビジネス 「日本では、本にすら触れられない人が増えている」を読んで

「知的無医村を作ってはならない」、という考え方にとても共感しました。本は知の基盤という言葉は、いいかえれば、本を読むということができない人には、知の基盤を得ることは難しかったと思います。もちろん、習字やそろばん、職人のもとで弟子入りなど、本以外でも限定的な知であれば得ることはできたと思います。しかし、これまでの世の中では、本以外から知に触れられる機会はそうそうなかったでしょう。

学習障害や、学習障害といえなくても認知機能の異なりで、本を読んで理解することに困難さを感じる人がいます。例えば鏡文字のように認知してしまう人は文章を読み上げることが困難です。読み上げソフトを使えば、この困難さは解消できると思われます。
また、文章を読むことができても、文章の内容を理解するという段階に困難さを抱えている人もいます。そうした人には映像でダイレクトに伝えることができるようになったと思います。

このような特別な支援は、インターネットを通じて、幅広い人に容易に提供できるようになったと思われます。それだけではなく、学習の進み具合と本人の特徴をデータとして集めれば、データからどうすればより学習要領を上げられるかを考え、さらに提供する教材にフィードバックできるようになりました。

技術の進歩に伴い、本は電子化され、書店に行かなくても本が買えるようになりました。しかし、それだけにとどまらず、データが相互に行き来できること、ビックデータを解析できることで、さらに人々が知に振れやすくなる方法はまだあると思います。

私も、筆者と同じく学生のころは新聞配達をしていました。貧乏だったこともありますが、学費を親が払ってくれなかったからです。私は働きながらでも学びたかったのです。私の父はアルコール依存症かつ発達障害のため、偏った考え方の父の命令により、自宅で、特に父が見ている目の前では勉強することは許されませんでした。そのため、勉強するどころか、本を読むことさえせず、いまだに小学校の漢字の読み書きに苦労するくらいです。最近の言葉では私のような親を毒親というそうです。私は、「親が勉強するなというはずがない」、「勉強ができないのはお前自身のせいだ」、などといわれ自己責任を問われ続けてきました。私は特別なケースだという人もいるでしょう。しかし、現在、多くの人が何らかの事情で学習する機会、もしくは意欲をそがれていると思います。そのため、現在、何らかの事情で知に触れられない環境にある子供たちにも、知の基盤が届くようにしていただきたいと切に願います。

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