名物女将の旅館
貶(けな)されれば落ち込み、褒められれば嬉しくなるのが人間だ。
しかし、褒められて落ち込む場合もあることを、僕は知っている。
―――――――――――――――――――
知人からサバゲーの貸切ゲームに誘われたのは、五年ほど前のことだ。
開催日のスケジュールを調べてみると、ちょうど仕事は入っていなかったので、僕はありがたく参加させてもらうことにした。
フィールドは山梨県にあるとのことで、帰りの渋滞や運転疲れが予想された。
開催日翌日の仕事は夕方からだったので、僕は現地に一泊してみようと考えた。
早速インターネットで宿を探しはじめたが、なかなか見つからない。
「お、ここいいな」と思う宿を見つけても、「二名様~」である旅館がほとんどなのだ。
一人で泊まれる旅館が少ないことを、そのとき初めて知った。
ホテルならそこそこあるようだが、どうしても旅館に泊まりたかった。
ホテルのベッドがどうにも合わないのと、大きな風呂が好きだからだ。
一時間近くパソコン画面を睨みつけ、ようやく良さそうな旅館を見つけた。
露天ではないものの温泉もあるようだし、僕の好物である、うなぎを出してくれるらしかった。しかも天然の!
宿のホームページには、60歳前後と思われる女将が抹茶を立てる姿が載っていて、
「女将は人の良いところを見つける名人」
と記されていた。
占いとはちょっと違うが、それも楽しみの一つになった。
予約はすんなりと取れ、その日はすぐに訪れた。
サバゲーはいつも以上に楽しめた。
初めてのフィールドだったのも要因の一つではあるが、帰りの運転の心配がないことや、天然うなぎが待っていることのほうが大きかった気がする。
コンビニに寄ってから、宿を目指した。
本降りとなった雨が落ちる駐車場に車を停め、引き戸を滑らせる。
「いらっしゃいませ」
すぐに女将が出迎えてくれた。
「雨の中ようこそ」
おお、あの人だ、と僕は少しだけ舞い上がった。
部屋に案内され、座布団に腰を下ろすと、女将は抹茶を立ててくれた。
館内施設や、周辺でできるレジャーなどに関して、終始にこやかに説明してくれた。
抹茶を飲み終えた僕は、さっそく風呂に向かった。
一日遊んだあとに浸かる温泉は格別だった。
貸切であるため気兼ねする必要もなく、広い湯舟で、「ああ、あの狙撃は気持ちよかったな」などと、日中のファインプレーを思い返した。
一度部屋に戻り、浴衣で食事処に向かった。
もともと日に四組しか泊まれない小ぢんまりした旅館だが、平日だからだろう、僕以外の客は一組だけだった。
すでにカップルらしき男女が席に着き、食事を楽しんでいるようだった。
女将は張り切った様子で、二人に料理の説明をしている。
僕の席は、少し離れた場所に用意されていた。
そこに座って聞き耳を立てていると、女将の声が聞こえてきた。
カップルの容姿や、食事の所作などを褒めている。
おお、さすがは「人の良いところを見つける名人!」と僕はやや興奮した。
料理はすごい量だった。
メインのうなぎが入らなくなるのではないかと心配するほどだったが、天然うなぎの美味さは、僕の満腹感などたやすく消し去った。
思わず「おいしかったです」と伝えると、女将は嬉しそうに礼を言った。
カップルも満足そうだった。そちらのテーブルを片付けながら女将は、女性の食べっぷりを褒めていた。
やがて、女将は「おやすみなさい」と言って食事処から出ていった。当然ながら、明日も早起きしなければならないのだろう。
僕だけはまだ良いところを見つけてもらえていない状態だが、自分からけしかけるのはルール違反であるように思え、挨拶を返すにとどまった。
残されたカップルと僕は、会話をするようになっていた。
サバゲーをして、渋滞を避けるために泊まることにしたのだと説明すると、「サバゲーですか。僕も興味あるんですよ」と男性は応えた。
「エアガン持ってるもんね」と彼女がつづく。
そうとわかれば僕の心のドアは完全に開け放たれ、いま振り返れば相手が求めてもいないようなことまで喋っていた。
こんどは僕が二人について訊ねると、男性のほうは医者で、女性のほうは看護師であることがわかった。
どうりで言動から知性を感じるわけだ、と妙に納得した。
結婚も決まっているらしく、二人は少ない休みを合わせ、過密スケジュールでの旅行をしているのだという。
しかしあいにくの雨で、予定はだいぶ狂ってしまったらしい。
僕は雨を憎んだ。
こんな素敵な二人の、数年に一度行けるかどうかの旅行を邪魔するなんて、ひどすぎるじゃないか!
せめて、二人が予定を変更したことで、本来できるはずだった思い出よりも素晴らしい思い出を、つくらせてあげてくれよ。うう……。うう……。
「あなたの良いところは、その優しさです」
寝ていたはずの女将が突然現れて、僕を褒めてくれる――なんてことは起こらなかった。
夜は更けていき、気づけばだいぶ酔っていた。
僕たちはそれぞれ部屋に戻り、僕は雨音を聞きながら眠りに就いた。
翌朝、食事処で朝食を食べ終え、例のカップルにお別れをした。
部屋で荷物をまとめながら、僕はこの旅を振り返る。
好きな趣味で遊び、温泉に浸かり、美味いものを食べ、幸せを願わずにはいられないような、善良な人たちとの出会いもあった。
だが、満点ではない。
自分はまだ、女将に褒めてもらっていないのだ。
荷物を持って、部屋をあとにした。
カップルはすでにチェックアウトを済ませたらしく、館内はとても静かだった。
玄関にあるカウンターで、チェックアウトの手続きをする。
女将はニコニコと笑っているが、僕を褒めてはくれなかった。
「人の良いところを見つける名人」に見つけられないのだとしたら、自分はいったい誰に、良いところを見つけてもらえるというのだろう。
そんな、落胆に似た気持ちを抱えながら、僕は宿を出た。
雨が降っていたのだが、女将は見送りに出てくれた。
「あ、大丈夫ですよ。雨すごいんで」
僕は振り返ってそう言うと、車に向き直る。
そのとき、とうとう女将は、僕を褒めてくれた。
「素敵なお車ですね」
胸に喜びは生まれず、悲しみが広がっていく。
女将から見た僕の長所は、素敵な車を所有しているところだったようだ。
「はは。ありがとうございます。はは」
僕は運転席に乗り込み、車を発進させた。
少し離れたところで、女将は笑顔でお辞儀をしている。
必ずまた来ます。あなたにたくさん褒めてもらえるような、魅力的な人間になって――。
ハンドルを握りながら、僕はこの車を大切にしようと思った。
現時点での、僕の唯一の長所なのだから……。
さらに追い打ちをかけるように、三号線上りで、朝の渋滞が僕を待っていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?