散ると知りながら咲き誇るのは罪ですか?
みなさんこんにちは。
我々は日常生活において、無意識的に恥を回避するように行動する。これは当然かもしれない。できることなら、恥をかかないように生きていたい。
でもね、みなさんに言いたい事がある。
このような日々の選択の連続の中で、行動を避けてしまう。成果が得られそうな「選択肢」が見えたとしても、その中に恥が潜んでいることを察知すると、目を曇らせてしまう。
ならば、これを逆手にとろう。
恥を目印にしよう。
「迷ったときは、恥ずかしいと思うほうを選ぶ」ことをマイルールにするだけで、行動するときに積極的になれる。恥ずかしいほうを選択するだけで、あなたは席を譲れるようになり、困っていそうな人に声をかけられるようになり、会議で発言できる人になる。僕はこんな考えで、これまでの自分を破壊してきた。
それで、自分にこう言ったんだ。
舐めくさるな。
最初の一歩目がずっと踏み出せずにいた
でも後ろを振り返っても仕方ありません。恥への免疫を高めて、これからの人生で恥を迎え撃てばいいのです。
恥は周りから押しつけられるのです。そしてわたしたちが最も避けなければいけないことは、人に恥を押しつけることです。自分が恥を避けることはできませんが、人に恥を押しつけないようにすることはできます。
そして逆も然り。わたしたちは恥に支配されると、自分のことしか考えられなくなってしまいます。
一人でも自由になれることを
つまり、自分主体で見渡すと、人の嫌な部分しか目に入らなくなり、更にはメリットにならない人が敵に見えてしまいます。
これを書き進めていくうえで感じたのは、「恥ずかしい」という感情の面白さ。人間だけに備わった、考えれば考えるほど不思議な感情です。直面しているときは人生を支配するほど大きな悩みにもなりますが、一度その恥ずかしい状況を客観的に見てみると笑えてくるのです。
今の世の中、何を言うか以上に、誰が言うかが重要視されます。僕みたいな無名ライダーが何を言ったって誰も興味がないのではないか?
そう思って行動しないのは簡単です。
でも僕は信じています。
打ち合わせで一緒になった新入社員のような、十年前の自分のような、恥におびえて最初の一歩を踏み出せない人が、一人でもこの思いを読んで自由になれることを。
ド派手にいこうぜ
個性の時代と言われつつも、今も SNSを見ると同じような服の写真で溢れかえっている。
それではファッションが苦痛になってしまう。好きな服を着るのは、恥への免疫力を高めるのに有効な方法のひとつでもある。周りに合わせずに自分の好きな服を着るには勇気が必要です。
一般的に、人を茶化すのは、恥を押しつける罪深い行為でもある。もし自分が茶化されたら、そんなくだらないツッコミは上手に打ち返そう。
「そんな悪い子にはプレゼントあげませんよ!」
「本当はやりたいんでしょ!ほら、頭出して」
これくらい返せるようになると、恥を乗り越えて堂々と派手な服も着ることができる。目立つ服を着ることは、自分を恥に慣らすための特訓になる。
潔さがかっこいい理由
経験を重ねるほど「その場をやり過ごす技術」が身についてしまうという側面もある。しかし、いつかその化けの皮が剥がれたときに、あなたはこれまでの信頼を失うことになる。つまり、取り繕うことは大きなリスクでもある。プロフェッショナルの在り方を勘違いしてはいけない。
失敗を知らないプロはいない。自分を自分以上に大きく見せる必要はない。素直に自分の思っていることを話す癖をつけよう。もし一人で解決できそうになければ、相手を巻き込む勇気を持とう。
と相手の知恵も借りることで一緒に解決できるかもしれない。例えばツイッターで、交通工学に精通するふぇーさんに聞かれた時は嬉しかった。僕なんかに聞いてくれるんだと。だから、どんなプロだからと言って一人で背負い込む必要はない。
花だって最初から咲いていない
地面の中で張っていた根から芽が出て、茎が伸びて、それから花をつけたのです。
人の成果も同じで、突然成功したように錯覚しがちだが、
陰で努力した時期があることを忘れてはいけない。
何事も最初から大きな効果や成果を期待してはいけない。しかし自分の取り組みに成果が出ていないことを人に知られるのも恥ずかしいものである。
それは、ただでさえ心理的ハードルの高い最初の一歩に、大きな目標を立てるのは逆効果。
うまくいかなかったにしても、あなたには「勇気を出してやってみた」という貴重な経験が残るんです。
何事もまず始めてみよう
何かを成功させるためには、始める前に十分な準備が必要だと誰しも思うだろう。たしかに十分な準備ができていれば、失敗の確率は減り、成功の確率は高まるかもしれない。
でも、思い当たる節はないだろうか?
行動を始める前にできる準備など、たかが知れている。
なぜなら本当に必要な「準備」は、その行動をやってみた人でないと分からないからである。この世に「完璧な準備」など存在しない。いまや準備と本番に境目はどんどんなくなっている。製品の発売前にたくさんのレビューがネットに溢れ、新しいサービスもベータ版としてユーザーテストを行ってから公開される。
何事もまずは試しにやってみるくらいの気持ちで向き合うのがちょうどいい。
どうせ完璧な準備などできないのだから。
恥ずかしいという瞬間はチャンスの目印
皆ができていないことに安堵してはいけない。それは同時にチャンスでもある。わたしたちは皆同じように恥を回避しようと行動する。つまりあなたが恥ずかしいという気持ちから避けようとした行動は、同じように誰もが避けようとする行動でもある。
誰も座りたがらないその空席に、勇気を出して一番最初に座るだけでいい。恥ずかしいという気持ちを、チャンスを見つける目印にしよう。
誰もまだやっていないことをやるのは、目立つから恥ずかしい。
だからこそ、勇気を出した人が最初の人になれる場合がある。
その根拠に僕もまぁまぁイカれた事をやる。
でもこれにはちゃんとした理由がある。
芸能人の参入も増えて視聴者の取り合いが起きているために、一般人が今から始めるのは苦戦が強いられる。皆が恥ずかしがってできていないことは、早めに始めるだけでも大きなアドバンテージになる。あなたが恥ずかしいと感じたら、それはチャンス。
最後に
羞恥心を捨てれると、日本一周以上の
見たことがないブッ飛んだ景色が見れます。
そうか!自分も変わってやるんだ!!
人生まだまだこれからだ!!
と共感してくれた方はいいね、リポストなどで教えてください!(^o^)
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