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散ると知りながら咲き誇るのは罪ですか?

みなさんこんにちは。


我々は日常生活において、無意識的に恥を回避するように行動する。これは当然かもしれない。できることなら、恥をかかないように生きていたい。

でもね、みなさんに言いたい事がある。

▼ 電車で席を譲るか、スマホに目を落とすか。

▼ 困ってる人に声をかけるか、スルーするか。

▼ 考えたことを発言するか、皆の様子を伺うか。


このような日々の選択の連続の中で、行動を避けてしまう。成果が得られそうな「選択肢」が見えたとしても、その中に恥が潜んでいることを察知すると、目を曇らせてしまう。

ならば、これを逆手にとろう。

恥を目印にしよう。
「迷ったときは、恥ずかしいと思うほうを選ぶ」ことをマイルールにするだけで、行動するときに積極的になれる。恥ずかしいほうを選択するだけで、あなたは席を譲れるようになり、困っていそうな人に声をかけられるようになり、会議で発言できる人になる。僕はこんな考えで、これまでの自分を破壊してきた。


それで、自分にこう言ったんだ。

舐めくさるな。

最初の一歩目がずっと踏み出せずにいた

こちらの内容は十年前の自分に宛てて書いたものでもある。ここに書いたことを当時の自分が理解実践できていれば、もっと自分に納得出来ていたかもしれない。プライドを捨てたら、つかみとれたチャンスはもっとたくさんあったと思います。

でも後ろを振り返っても仕方ありません。恥への免疫を高めて、これからの人生で恥を迎え撃てばいいのです。

恥ずかしい思いをすることは、社会でいろいろな人とかかわって生きていくうえで避けては通れません。しかし恥ずかしいのはあなたのせいではない。

恥は周りから押しつけられるのです。そしてわたしたちが最も避けなければいけないことは、人に恥を押しつけることです。自分が恥を避けることはできませんが、人に恥を押しつけないようにすることはできます。

僕は「達成」と「幸福」は別物だと思っています。周りからは「成功している」ように見えても、その人が幸福かどうかは誰にもわかりません。

そして逆も然り。わたしたちは恥に支配されると、自分のことしか考えられなくなってしまいます。


一人でも自由になれることを

つまり、自分主体で見渡すと、人の嫌な部分しか目に入らなくなり、更にはメリットにならない人が敵に見えてしまいます。

恥を克服できると、幸福度があがります。それは他人と自分を比較することからの解放、そして理想の自分という呪いからの解放を意味します。

これを書き進めていくうえで感じたのは、「恥ずかしい」という感情の面白さ。人間だけに備わった、考えれば考えるほど不思議な感情です。直面しているときは人生を支配するほど大きな悩みにもなりますが、一度その恥ずかしい状況を客観的に見てみると笑えてくるのです。

そして自分の恥を笑えるようになった瞬間に、その恥はもうネガティブな感情ではないのだと。悩みの原因だったはずの恥が、視点を変えるだけでポジティブな笑いに変わっていくように。

今の世の中、何を言うか以上に、誰が言うかが重要視されます。僕みたいな無名ライダーが何を言ったって誰も興味がないのではないか?

そう思って行動しないのは簡単です。

でも僕は信じています。

打ち合わせで一緒になった新入社員のような、十年前の自分のような、恥におびえて最初の一歩を踏み出せない人が、一人でもこの思いを読んで自由になれることを。


ド派手にいこうぜ

服装と恥は切っても切り離せない密接な関係がある。 TPOから外れていないか、周りからダサいと思われていないかと、鏡で自分の姿を見るたびにわたしたちは不安になってしまう。

個性の時代と言われつつも、今も SNSを見ると同じような服の写真で溢れかえっている。

好きで着ているのならいいが、周りの目を意識してそれらを着ているかぎり、これからもずっと「ダサく見られたくない」という気持ちで服を選び続けなければいけなくなる。

それではファッションが苦痛になってしまう。好きな服を着るのは、恥への免疫力を高めるのに有効な方法のひとつでもある。周りに合わせずに自分の好きな服を着るには勇気が必要です。

赤いニットを着れば「今日はサンタがいるなあ」、ミニオンを着れば「ユニバ好きなの?」と、派手な服を着ていくと必ず茶化してくる人が現れる。(僕としては嬉しい)

一般的に、人を茶化すのは、恥を押しつける罪深い行為でもある。もし自分が茶化されたら、そんなくだらないツッコミは上手に打ち返そう。

「そんな悪い子にはプレゼントあげませんよ!」

「本当はやりたいんでしょ!ほら、頭出して」

これくらい返せるようになると、恥を乗り越えて堂々と派手な服も着ることができる。目立つ服を着ることは、自分を恥に慣らすための特訓になる。


潔さがかっこいい理由

その仕事の経験が長くなればなるほど、間違ってはいけない、失敗してはいけないと自分で自分にプレッシャーをかけてしまう。その恐怖心から、知ったかぶりをしたり、間違えないように慎重になってしまう。

経験を重ねるほど「その場をやり過ごす技術」が身についてしまうという側面もある。しかし、いつかその化けの皮が剥がれたときに、あなたはこれまでの信頼を失うことになる。つまり、取り繕うことは大きなリスクでもある。プロフェッショナルの在り方を勘違いしてはいけない。

「その道のプロ」とは、「間違えない人」ではなく、「その領域で誰よりも恥をかいてきた人」のことだ。事前にたくさん失敗を重ね、繰り返し恥をかいたことで、失敗を回避する能力が上がって、プロと呼ばれるようになった人だろう。

失敗を知らないプロはいない。自分を自分以上に大きく見せる必要はない。素直に自分の思っていることを話す癖をつけよう。もし一人で解決できそうになければ、相手を巻き込む勇気を持とう。

「おっしゃっていること正直分からなくて、もう少し説明していただけますか?」

「ちょっと初めてのことなので困っているのですが、どうしたらいいと思いますか?」

と相手の知恵も借りることで一緒に解決できるかもしれない。例えばツイッターで、交通工学に精通するふぇーさんに聞かれた時は嬉しかった。僕なんかに聞いてくれるんだと。だから、どんなプロだからと言って一人で背負い込む必要はない。


花だって最初から咲いていない

きれいに咲いた花を道端で見つけたとき、いきなりその花が咲いたかのように錯覚してしまうが、その花はもちろん突然咲いたわけじゃない。

地面の中で張っていた根から芽が出て、茎が伸びて、それから花をつけたのです。


人の成果も同じで、突然成功したように錯覚しがちだが、


陰で努力した時期があることを忘れてはいけない。

何事も最初から大きな効果や成果を期待してはいけない。しかし自分の取り組みに成果が出ていないことを人に知られるのも恥ずかしいものである。

そういうときは、ひっそりと始めよう。最初は小規模でも、世の中のリアクションがなくても、まずやってみることが大切です。ひっそりと始めることで、自分へのハードルを下げることができる。

それは、ただでさえ心理的ハードルの高い最初の一歩に、大きな目標を立てるのは逆効果。

誰にも知られず始めれば、皆に知られる頃には大きな成果が出ているかもしれないし、情熱が続かなければ、そのままひっそりと止めてしまってもいい。

うまくいかなかったにしても、あなたには「勇気を出してやってみた」という貴重な経験が残るんです。

何事もまず始めてみよう

何かを成功させるためには、始める前に十分な準備が必要だと誰しも思うだろう。たしかに十分な準備ができていれば、失敗の確率は減り、成功の確率は高まるかもしれない。

でも、思い当たる節はないだろうか?

「十分な準備」を追い求めるあまり、行動を起こせなくなったり。新しいことにチャレンジしようとすると「未経験の自分をさらけ出す恥」があなたの邪魔をする。その恥があなたに入念な準備をさせようとする。

行動を始める前にできる準備など、たかが知れている。

なぜなら本当に必要な「準備」は、その行動をやってみた人でないと分からないからである。この世に「完璧な準備」など存在しない。いまや準備と本番に境目はどんどんなくなっている。製品の発売前にたくさんのレビューがネットに溢れ、新しいサービスもベータ版としてユーザーテストを行ってから公開される。

何事もまずは試しにやってみるくらいの気持ちで向き合うのがちょうどいい。

リッターバイクのようなスペックは、最初の一歩を踏み出すには扱いきれず、むしろ邪魔になることもある。始める前の準備はできていなくてもいい。走りながら必要なものを揃えていったほうが、無駄な準備も必要ない。

どうせ完璧な準備などできないのだから。


恥ずかしいという瞬間はチャンスの目印

新しいことにチャレンジする前にふと周囲を見まわすと、「できていないのは私だけじゃない」ということに気づいて、心のどこかで安心してしまう。

皆ができていないことに安堵してはいけない。それは同時にチャンスでもある。わたしたちは皆同じように恥を回避しようと行動する。つまりあなたが恥ずかしいという気持ちから避けようとした行動は、同じように誰もが避けようとする行動でもある。

だとすると、本当は需要があるのに、その席がまだぽっかり空いている可能性がある。あなたがもし恥を感じる選択肢があったとしたら、それは大きなチャンスかもしれない。

誰も座りたがらないその空席に、勇気を出して一番最初に座るだけでいい。恥ずかしいという気持ちを、チャンスを見つける目印にしよう。


誰もまだやっていないことをやるのは、目立つから恥ずかしい。


だからこそ、勇気を出した人が最初の人になれる場合がある。

その根拠に僕もまぁまぁイカれた事をやる。

でもこれにはちゃんとした理由がある。

今やユーチューバーも職業として定着したが、周りが恥ずかしがってやらなかった動画を誰よりも早く撮影して世界中に公開していた人たちが、トップユーチューバーになっている。

芸能人の参入も増えて視聴者の取り合いが起きているために、一般人が今から始めるのは苦戦が強いられる。皆が恥ずかしがってできていないことは、早めに始めるだけでも大きなアドバンテージになる。あなたが恥ずかしいと感じたら、それはチャンス。


最後に

羞恥心を捨てれると、日本一周以上の


見たことがないブッ飛んだ景色が見れます。


そうか!自分も変わってやるんだ!!
人生まだまだこれからだ!!
と共感してくれた方はいいね、リポストなどで教えてください!(^o^)

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