「貯め」の自覚

まったく鬱屈しているという感じでもなく、抑圧をしているわけでもなく、ただ少しだけ「落ち着いて」過ごしている感じがします。


なんとなく無理にでも頑張らなければと思っていたころがあったと自覚をしているけれど、その辺りに比べると随分無理がなくなってきた気がします。

時々自分の身体と精神を削り、おりゃーっと仕掛けてしまって、溜まった疲れを一気に回復しなければならないなんてことがありますが、そういうことも比較的少なくなってきて、いよいよ落ち着いてきているようです。

38歳になってようやく少し「保守的」な気持ちが芽生えてきたのかもしれないとすると、これはようやく良くも悪くも大人になってきたということかもしれませんが、とりあえず今はゴキゲン良い感じです。


グーーっとためて、ドーンと放たれるようなことは、僕の生き方の中でも割とよくあることではあります。なのでまたどっかでドーンといくタイミングがあるかもしれないなーと思いつつ、また同じパターンでいくよりは、違うパターンで、新しい景色を見るようにできたらいいなとも思っています。

望むべくは、「意図せず、意志なく、意欲なく、覇気なく、行為なく、ただただあらゆるものが平和で順調」という無敵な状態をただ過ごすこと。

それはあらゆる面で恵まれ、満たされ、そして飽きてしまって、退屈をする可能性が出てきます。そこでその退屈さと向き合い、退屈という気持ちとも無事に折り合いをつける、きちんと感謝して終わらせていくという方向へと自然と流れていけると素敵だなーと思ってます。


なんとなく、いま頑張っているという自覚はなく、ただし忙しいときは稀にあるけれども、それも時期に過ぎて、また過不足なく満たされ、充実を経て飽きていく、そして一定の諦めを経験して、手放して、ただ呼吸をするだけで十分に嬉しくなっていくように在りたいなと。

いま「貯め」の自覚があります。爆発するというよりも、貯めたものが一定の臨界点を迎えたあたりで、自然と満ちていくようなそんなことになると良いなあと思っています。そのことをイメージもできたし、だからきっとそうなるんじゃないかと思います。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。