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K-## チャイニーズには、ジャパニーズを。

「……この国の雰囲気は素晴らしかった。けれど一つだけとても残念だったのは、人種差別がひどかったことです。どこを歩いていても『チャイニーズ!』と言われました。がっかり」

ネットサーフィンで旅行記をあさるのはいまだに好きだ。読んでいて純粋に面白いものもあれば、その中から実際に役に立つ情報が手に入ることもある。とくに女性の旅人の書いている記事は、男性のそれよりも「清潔さ」「防犯」などの視点から旅のシーンを切りとっていることが多く、参考になる。

最初の文章は、ある女性旅ブロガーの記事を読んでいたときに、どうしても見過ごすことができなかった一文だった。


アジア人がどこの国に行っても「中国人」と呼ばれてしまうのは、一度も海外に出たことがない人にとっても想像に難くないだろう。もはや周知の事実とも言える。

僕にとってケニアは7カ国目であるけど、日本人観光客の多くないイランだけでなく、割とメジャーなスペインでも「チャイナ」「ニーハオ」「ジャッキーチェン」と声をかけられることは少なくなかった。

旅慣れしたバックパッカーなんだから「中国人」とカテゴライズされるのにも慣れろ、なんて通ぶったセリフを吐きたいわけじゃない。

あの一文が僕の心がざわつかせたのは、そこにコミュニケーションが見当たらなかったからだ。


ケニアでは「チャイニーズ」の代わりに、僕たちアジア人に対して「チンチョン」という声かけ(そう呼んでおく)がなされることが多い。しかもかなり多い。

首都ナイロビは中国のビジネスマンが増えていて、アジア人はそう珍しくもないみたいだけれど、僕の滞在していたJujaでは60日間のうち、1日たりとも声をかけられなかった日はなかった。他のエリアでも、ナイロビを除けばほぼ全てのエリアで最低3回は「チンチョン」をいただく。

2ヶ月累計で180チンチョンもうければ、さすがに見えてくるものはある。
それは、彼らはコミュニケーションをはかりたいのだ、ということ。

もちろん明らかにバカにしてくるやつも当然いるけど、大部分は珍しがってとりあえず知っている言葉を投げかけているだけだ。

僕は思う。それは「人種差別」なんかでは決してない。


旅における最大の楽しみ。それは、観光地の光を捉えたキラキラしたスマートフォンの光を目に大量に浴びせることではない。
自分の人生でもう二度と会うことがないであろう人々と、通じない言葉をすり合わせながら過ごした、その時間だ。
そしてその時間は、コミュニケーションによってしか手に入れることはできない。

コミュニケーションは、理解し合うことではなく、相手を理解しようとするその態度だ。だから、彼らを信じろと言っているのではない。対話をしてほしいのだ。それでも嫌なやつだったら、それでいいじゃん、そう思う。

僕をざわつかせたのは、旅慣れしているはずの彼女が、コミュニケーションをはかろうとしなかったからだ。「差別」と決めつけて思考停止に陥って、彼らが何を考えているのかまで考えが及んでいない、その姿勢に僕はひどくがっかりしたのだ。


「チンチョン」はチャンスだ。僕はこう返す。「アイムジャパニーズ」

すると、彼らはたいてい「Oh ジャパニーズ?」と返してくれる。そうしたらこっちのもの。近づいて行って、握手する。特別なことはいらない。仲良くなれるかもしれないし、なれないかもしれない。それでも、何もしないで愚痴を言っているのとは全くちがう。

中国呼ばわりされたくないとか、そういうどうでもいいプライドは置いておいて。

いま、目の前にいるこの人に集中するのだ。この人がこの国で過ごした時間と、この国の文化と。その入り口が「チャイニーズ」だ。



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