見出し画像

J-3 そういえばケニアの前は、イランでした。

こんにちは、こたろうです。

「ケニアにいくケニアにいく」と言いながら、未だにケニアに行っていないブログも第4回になりました。

行く行く詐欺も甚だしいな!いい加減いけよ!という声にお応えして、行ってきました...

イランに。

もうかれこれ3年前の話です。


大学初の一人旅、中東・イラン

いやいやいや、なんでイランやねんと。わかります。僕もそう思います。
一言で言うとキャラ被りを避けたかったからです。

もともとはインドに行こうかなぁ、と考えていました。

僕が浪人を経験したことは以前にも触れましたが、その時期に

「あ〜...大学入ったら休学...バックパッカー...価値観変わりてえ......」と思っており

「リュック一つでインド...深夜特急...ガンジス...!」とインドを夢想してました。安直です。

しかし、浪人も明ける頃、高校時代の友人がインドに行きやがりました。「すげえなあ」とか思うのが普通なのかと思いますが、僕の場合はこう直感しました。

あっこれはキャラが被る。差別化しないと。

他人に指摘される前に自分から大声で叫びますけど、僕は「自分のこと大好き」なんで
「自分の交友関係の中でバックパッカーのメッカ・インドに行っている人間がいて、しかも時期が近い」
ということはすでにセルフブランディングの失敗なわけです。これは避けたい。

そこで、どこに行こうか...と考え考え、たどり着いた結論が、中東・イラン

(ちなみに冒頭の写真は自撮りです。さみしいですね。)


「イラン怖い国でしょ?」「それはイラク!」

...というやりとり、帰国後100回くらいしました。

このブログでは地図を参照することが多いですが、今回も見てみると

なので、まあ無理はないかな!うん!

でもアメリカの侵攻でざわざわしたのはイラク戦争だし、まあちょっと、ちょっと違うんだ!1文字くらい!!

冗談はさておき。

僕の渡航前のイランに対するイメージもそんな感じでした。

「中東・イスラム過激派・アブナイ」みたいな。「石油・黒い目だしの女性・アブナイ」みたいな。

漠然と「中東」ってくくってしまって、その先が思考停止してた感がありました。イスラム・ナゾだ、と。

友人との差別化でイランと決めた、とはいえさすがに突発的ではありませんでした。思考停止ぎみだった中東、自分の中でのイスラム圏へのイメージを変えてみたいなぁ〜と考えていた矢先「イラン、中東のなかでも安全らしい」と噂をポロポロ耳にするように。安全だと?じゃあ行くか!と、チケットを即決しました。おい!前回のブログはなんなんだ!

でもやっぱり怖いんです。公用語はペルシャ語だし。英語ほぼ通じないし。アメリカと仲悪いし。

開けてびっくり。
イラン、超いいとこです。


イラン、カントリーオブホスピタリティ

イランの思い出は?と聞かれれば、僕の中ではたくさんの「イランの人たち」が思い返されます。旅の思い出は出会いの思い出ですが、本当にイランでの僕の記憶の1シーン1シーンに登場人物がいます。

イランですごいのは、街中でキョロキョロしているととりあえず「どうした、助けてやるぞ」と誰かがやってくること。で、ここは重要なことなんですが、道案内してくれてもタカられないんです。すごくない?

滞在中に何度もそういう場面に出くわしましたが、一度たりともお金をせびられない。一度もですよ。

古都・エスファハンにて。
(僕のあごはおいておいて)このすっげえイケメンのお兄さん、ホーミドと言うのですが、彼が極めつけにすごかった。

イランでは日本の寺をはるかに凌ぐ勢いででモスク(イスラム教の寺院)があります。作りも大小あったり様々で、どれも見ていて飽きないのでよく中に入って見ていました。

ここでも、はーっ綺麗だなあ、と突っ立っていたら、スタスタ...とイケメンがやってきて礼拝を始めたんです。それはもうスマートに。

信仰が生活の一部になっているってこういうことなんだな、かっこいいなぁ、と思っていると、なんとこちらにやってきていうんです。

「ついてこい。案内してやる」(ペルシャ語)

おいおいおいイケメンは顔だけじゃないのかよ...とテクテク着いていくのですが、え?ここ本当になんかあるの?と思うような路地裏や、しまいには屋根の上なんかも登ったりして、このお兄さんはどこに行くんだ...本当に何が待っているんだ...

と、さすがに不安になりかけた先にたどり着いたのが、なんとイラン名産・ペルシャ絨毯職人の作業場

この写真のおじさんの仕事は、使い終わった絨毯をほどいて、糸を再利用できるようにすること。じーっと見ていたのですが、なかなか根気のいる、かつ途方にくれそうな作業でした。この小屋の絨毯を全部解くのに一体何年かかるんだ...。

広場とかで絨毯作りの店頭実演とかやってるところあるじゃないですか。違うんですよ、だってここマジで観光客はたどり着けないから。

砂漠の国特有の、埃っぽい匂いが立ち込める中「兄ちゃんよく来たな、これが俺らの仕事だよ」と話すおじさんたちの言葉には、仕事に対するプライドというか、俺らがペルシャの誇りを伝えているんだぜ、という気概を感じて、とてもカッコよかったのを思い出します。

帰り際、ホーミドにずっと気になっていたことを聞きました。「イランの人はみんなとても親切だ。どうしてこんなによくしてくれるの?」
すると彼が片言の英語で返してくれたんです。

「俺はイランが好きだし、お前にもイランを好きになってもらいたい。だから当然のことだろ?」

素直に衝撃でした。すげえなイラン人...と。

昨今やれオモテナシだなんだと日本が威張っておりますが、ホスピタリティって別に「俺はホスピタリティがあるぞ〜〜〜」って騒ぐものじゃないよね?と胸を打たれた記憶があります。

ホーミド、彼も例に漏れず、ここまですっごいところに案内してくれた割に「じゃ、俺はこれで帰るから。子供待ってるし」と帰って行きました。
アッラーに感謝......。


「俺らは金もないし、自由もないし、セックスもできない」

イランすげえイランすげえ、と騒いできましたが、たくさんの出会いはキラキラしたものばかりではありませんでした。

イランはイスラム教の国。イスラム圏では、豚肉を食べることと飲酒が禁じられているのは有名ですね。

それが理由なのか非常に喫煙率が高い。もちろん酒場なんてありません。その代わりの社交場として機能しているのがチャイハーネという水タバコ:ハブルバブルが吸えるお店です。
(注:Hubble Bubble(英) 「シーシャ」はアラビア語なのでイランでは通じない。ハブルバブルって言っている人が多かった)

チャイハーネ行きたいけどどこがいいのかわからん...と思っていたところ、たまたまお土産物屋さんで出会った若者たちが

「お前日本人か!最高かよ!俺らと遊ぼうぜ!」

と言ってくれて、いきなり若者と水タバコを吸いに行くことになりました。お前らが最高かよ。

左から、ホセイン・アーマド・アルマン。みな24、25歳だったのもあってすごく話が合いました。

「今通った女の子めちゃイケてね?」「いやあれはないわ〜お前B専なの?」と、どこの国に行っても男はみんなアホです。

でもそんなフランクな彼らだからこそ、真面目な話をするときの説得力が違います。
彼らは僕の目をしっかりと見て、こう話してくれました。

「街中で頭にぐるぐる巻いてるジジイの写真、よく見るだろ?あれは最高指導者だ。あいつらの汚職はひどいんだ。あいつらのせいでイランがクソみたいな国になってる。」

「教育も良いものではないし、経済状況もよくない。インターネットには規制がかかってて自由な表現ができないし、イスラム教の戒律のせいで酒も飲めない。婚前交渉も禁じられてるからセックスもできないんだ。この国に自由なんてない

ここで、ハッとしました。それはイランという国に対してではなく、自分のこれまでの態度に対してでした。

アジアの東の果てに住む僕たち日本人は「中東・イスラム」とくくりがちです。だからイスラムの戒律・慣習に従いながらも、それに対して疑問を抱いたりそれに反抗したりする人たちがいる、ということになかなか思いをはせることがない。

くくってはいけない、と頭ではわかっていても実際に思い知らされるのはショックでした。

この後、「へっへっへうちで酒飲もうぜ...!」とアーマドの家に連れて行ってもらったのですが、「ママいたわ、無理だった...」とお茶目なところもまた若者って感じでしたが。(写真はアーマド妹と。15歳とは思えない)

ちなみに、仲良くなるとみんな酒飲もうといってきますが、イランで飲酒は犯罪なので、くれぐれもお気をつけを。


「私はイランが好きじゃない。それでも時代は変わっていく」

イランを離れる日、首都テヘランの市場に立ち寄った時のこと。

飛行機までの時間があったので、アイスを片手にぼーっと、街行く人を眺めていました。

はい、すかさず登場!ぼーっとしていれば現れる、イランのおっさん!

本当はここで写真を出したかったのですが、撮影NGということで写真が残っていません!

イメージでいうと、映画「アイアンマン」にちょい役で出てきて、トニーの脱出を助けるんだけど殺されちゃうめっちゃいいやつのイェンセンみたいな顔してました。まったく伝わらない!伝わらない比喩!!伝わらない長文太字!!!

(調べたらこの役者の人、イラン出身だった...マジかよ...どうりで......)

このイェンセン、僕の飛行機の時間までガイドをしてくれました。

首都・テヘランで新聞記者をされているだけあって、英語も堪能。そして知見も豊富であったので旅行中で一番に突っ込んだ会話をすることができました。

おそらく僕一人では入ることのなかった、昔ながらのペルシャ料理レストランにて、彼は話します。「私はイラン人が好きじゃない」

新聞記者という視点から、イランという国がどう動いてきたのか、イスラムの戒律が、現代にどう影響を与えてきたのか、ゆっくりと、思慮深い口調で語ってくれました。イスラムの戒律のせいで、性習慣が乱れていることなど、本当によく思っていないんだな、という表情であったのを思い出します。

けれども、と続けます。

「ここ10年間でイランは急激に変わってきている。私は、スカーフの被り方がラフになってきていること(髪が見えてはいけない)や、酒を飲むことについて、よくは思っていない。しかし、それも時代の流れだ。私がどうこう考えようと、イランは変わっていく」


イランのリアル、日本のリアル

イラン訪問は僕の中で、「国家」とか「国民のありかた」というトピックについて考える機会でした。

先の若者は、自分の周りで今まさに起きていることを通して
新聞記者のおじさんは大きな流れの中で

どちらも真剣にイランという国のことを考えていました。

考えが起こるための範囲が違うけれど、それはきっと、どちらが正しい視点である、とかではなくてどちらも彼らにとっての「リアル」だったんだろうな、と考えています。

日本で生活していると、法律ではなく「戒律」によって生活が縛られることはありません。イランではイスラムの戒律がダイレクトに国民生活に食い込んでくる。だから「リアル」なんでしょう。

日本人が政治に興味がない、とよく言われてしまうのはその「リアル」が足りてないことが一つの原因なのかな、と思っています。




マジメだし長いな!!!!!!!!

旅行記も一つのブログ記事にまとめると読むの疲れるな!!コツコツやろうな!!!!

渡航まで残り2週間なんで、着々と準備進めています。次回はアフリカ渡航のための準備記事にしようかしら。

最近食べたいのは麻婆豆腐。それでは!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?