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【2日目】3年ぶりの八郷 〜ショック編〜

あめにも舎に到着すると、すごいことになっていました。。。

今回は、ぼくの失敗談と、ついでにそれをどう乗り越えていこうとしているのか?についてリポートしようと思います。

読んだら思わず笑って「失敗してもいいんだな!」「人生で取り返しのつかない失敗なんてほとんどないんだな」と、前向きな気持ちになればうれしいです!

ズバリ、しぶとくあれば道は拓けます。

3大ショック大公開

3年ぶりのあめにも舎で、ぼくがショックを受けたのは主に次の3つです。

  1. (無許可で)屋根の色を変更

  2. 庭木がグチャグチャ

  3. 不調の給湯器は「思ったより高いから直せない」「退去します」

屋根の色を無許可で変更

では、1〜3を順番に見ていきましょう!

1.(無許可で)屋根の色を変更

眼前におかしな色のあめにも舎が現れたとき、思考停止に陥るほどのショックを受けました。

「これは父の想いが形になったあめにも舎じゃない!」という、もうどうにもならない衝動。衝動に合理性なんてありませんから、しばらく衝動の好きにさせておくしかありません。

なにが話をややこしくしているのか?

ここで、話をややこしくしている2つの要因(失敗談)について補足します。

  • 現入居者様には、父がやっていた農業小学校を継承する方向で、特別に安く入居を許可

  • 父が体調を崩しバタバタの中で募集→面談→入居となり賃貸借契約を結ばなかった

「えー?!契約書がないってあり得ない!!!!」

そうです、笑ってください(笑)。ただ、契約書があってもなくても、揉める時は揉め、揉めない時は揉めません。契約書があっても普通に夜逃げは起きます(ぼくも東京の物件で1度やられてます)。

ここで押さえておきたいのは「なぜそうなったのか?」をいつまでもグルグル考えていても意味がなく事態を悪化させるだけということ。

トラブル(挫折)が起きた時、どう乗り越えていくのか?という抽象度を1段上げた話になりますが、原因追求を続けると、基本的に行動力(エネルギー)が落ちます。これは自分の経験(体感)的にも、心理学的にも当てはまります。

で、すごく単純な話で、行動力が落ちると現実が変わらない(トラブルが解決しない)わけです。

誰もが大小様々なトラブル(挫折)を経験されていると思います。例えとしてぼくのケースですぐに思い出すのは次の3つです。

  • 俳優時代、腰痛が悪化し半年間の舞台降板を余儀なくされた時

  • 両親の介護でそれまで通りの活動ができなくなった時

  • 劇団(株式会社)が倒産しハローワークに通っている時

たいした挫折ではありませんが、当時は当時なりに、惨めさや悲しみで行動力が低下した状態が続いて大変でした。振り返れば、いわゆるうつ病やうつ状態という診断結果が出てもおかしくない状態だったと思います。病院に行かなかったので出てませんが。

トラブル(挫折)が起きた時、私たちはどうやって乗り越えるのか?

では具体的にどうするか?状況的には、心身はしんどくてエネルギーを低下させる原因追求型の問いが次々頭に浮んでいます。「なぜあの時契約を結ばなかったのか?」のみたいな。

こういった問いに対して出てくるのは大概「自分はいつも軽率だ」とか「自分には経営の才能なんてない」とか、非合理なセリフばかりですから、そこに反論します。「それってほんと?」とか。実践してレベルが上がっていくと自分でも「バカなの?」と思わず笑ってしまうほどの非合理ぶりに気づきます。「〝いつも〟は大袈裟でしょ」とか突っ込みを入れられるようになります。あとは時間の問題で、小さな行動のアイデアが浮かんできますから、行動に移せば自動的に解決へと向かっていきます。

こういった反論の練習は、小さなトラブル(挫折)で小まめにやっておいた方がいいです。練習を続ければ、大切な家族や仲間が自分への原因追求で辛そうな時、抜け出す手助けだってできるかもしれません。

ちなみに、上に書いたような単純なこと(頭に非合理なセリフが浮かんでいる)に私たちが対応できないのは、そもそも自分の頭のなかでそんなセリフの応酬が繰り広げられていることに、自分自身が気づいていないからです。

あめにも舎ショック!に話を戻します。1つ目の(無許可で)屋根色の変更、、、めちゃくちゃショックでした。

2.経済的損失も大きい庭木グチャグチャ問題

では2つ目、庭木グチャグチャの件。これも酷い。わかる方にはわかると思いますが、経済的損失が大きいです。まともな庭に戻すのに、最低3年はかかると予想しています。

父があめにも舎の周囲に植えたのは、カナメモチかその亜種のレッドロビン。生垣としてメジャーな樹木で、生命力が強く、春先の赤い新芽が特徴的です。

その生命力の強い木が、葉はスカスカで生垣の体をなさず、2階の窓に届くほどに伸びているか、枯れかけていました。

伸びすぎ、もしくは枯れかけのカナメモチ

カナメモチは常緑樹なので、今年の秋冬は剪定できず次は来春。5ヶ月ほどただ時が過ぎるのを待つだけ。伸びすぎた木は、強剪定すれば一本丸ごと枯れるリスクがあり、必要な部分に葉がない間伸びした樹体のバランスを取り戻すのに最低3年はかかるでしょう。ほとんど葉がない低木(枯れの可能性)は、植え替えが必要かもしれません。

今後、あめにも舎をどのように活用していくかまだ決めていませんが、はっきりしているのは、なかなかの経済的損失だということです。

加えて、心理的にもキツい

入居時に庭木の扱いについて先方と詳細を詰めなかったのはぼくの失敗ですが、7年間手入れをせず(に見える)報連相ゼロはあまりに酷いじゃないかと。結果だけ見ると父(=あめにも舎)への敬意が感じられず非常に悲しかったです。現入居者様には、農業小学校継承の挨拶のため病身の父にも会っていただいているので。

3.不調の給湯器は「思ったより高いから直せない」「退去します」

3つ目の給湯器ショックは、「あれ?これは普通に大家さん負担じゃないの?」と思われるトピックですよね。ところが、ここに前述のややこしい要因が絡んできます。

現入居者様には、父の農業小学校を継続するよう取り組みましょうと、特別に安い家賃で入っていただきました。

8年前、先方が「○円しか出せない」と言ってきた額を聞いて、普通なら入居を断るところでしたが「修繕は自分でやる」と交渉があり、受け入れたのです。この修繕は借主負担という合意がなければ、残念ですが他の入居希望者様に貸していました。

給湯器は今年9月〜10月ごろ不具合が出てきて騙し騙し使っているそうですが、「見積もりを取ったら思ったより高かったので直せない」「退去します」とのこと。

おいおいおい、、、「話が全然違うじゃないか」と(苦笑)。

リーダーは〝組む相手の見極め〟を極めろ

今、ぼくが人と組む際に重要視するのが、トラブルのたびに強くなる人なのか、弱くなる人なのか?です。

もしタイムマシンで7年前に戻って、今入居中者様が「入居したい」「農業小学校ぜひやりたい」と言ったら、事前にもっと人物を見極める時間を取ったと思いますし、最終的にやさと農業小学校プロジェクトのパートナーに選ばないという判断をしたと思います。

当時は当時で精一杯でしたね。経験も足りませんでしたし、父の入院の手配やらで、焦ってもいたと思います。

今、判断の際に耳を傾けるのは、相手が無意識で使っている言葉です。人の言葉使いの裏には、その人が無意識に頭の中でやっているトラブル(挫折)に対する説明のスタイルと呼ぶべきものがあり、説明スタイルは訓練すれば見抜いて改善できるようになります。

私たちの人生に、大小のトラブル(挫折)は日常茶飯事。そのトラブルのたびに強くなる人なのか、弱くなる人なのか?の差はとてつもなく大きいです。だからその見極めには惜しまずリソースを投入しますし、迷うなら判断を延期したっていいと思います。

ぼくは組織を運営していく時の評価軸として、「能力」「想いの強さ」に加え、「トラブル(挫折)に対する反応」を加えることで仕事がもっと面白く、クリエイティブで生産的になりました。

「トラブル(挫折)に対する説明のスタイル」は、学習性無力感として理論化されています。ご興味ある方は、その権威であるマーティン・セリグマン博士の著書がすばらしいので参考にしてください。

こちらの本、決してオプティミスト(楽観主義者)が万能、ペシミスト(悲観主義者)は不要という短絡的な内容ではないので誤解なきように。

ここで再度、あめにも舎ショック!に話を戻すと、ぼくは7年前、貸すべきでない人に、貸すべきでない家賃設定で貸してしまった可能性があるわけです。

繰り返しになりますが、こういった場面で大事なのは「なぜ貸すべきでない人に貸してしまったんだろう?」という原因追求型の問いオンパレードは放置しないこと。慣れないうちは信頼できる友人や家族、もしくは専門家に手伝ってもらうといいでしょう。

しぶとくあれば道は拓ける

今週金曜日、入居者様と話し合いの場を持つ予定です(電話かオンライン)。現在、話し合いの着地点と進め方について、先方とメールで詰めているところです。相手がどう出てくるかは当然わからないわけですが、その都度ベターな動きをしていきます。

こんな風に、明るくしぶとく楽しんで仕事をしていくって大事だと思うんです。

ぼくはおそらく、不利な条件下だとしても、利益率の高い事業を楽しんで創り上げていくのが好きなタイプでしょう。その土台に、しぶとさは必須だと思うのです。逆の言い方をすれば、しぶとさがなければ技術は磨かれないし、才能らしきもの(タネ)があっても花開くことはないんですよね。

幼少期に、大自然のなか身体を思いっきり使える環境で育ててくれた今は亡き両親、青年期にぼくを鍛え上げてくれた劇団の先輩方、いままで出会ってくれたすべての仲間たちに感謝です。

日本から、しぶとい人がずいぶん減ったような気がします。でも大丈夫、お互い切磋琢磨しながら、しぶとく生き抜いていきましょう。

次回のnote、いったいどうなる?

次回は、このショッキングな出来事の続報か、八郷滞在2日目の茨城県古河市での新たな出会い/奇跡の再会について書こうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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