板津 淳

劇団ふるさときゃらばんを経て、現在は場と場所の企画・運営/人材育成/株式会社エドウィン…

板津 淳

劇団ふるさときゃらばんを経て、現在は場と場所の企画・運営/人材育成/株式会社エドウィン・コパード・ジャパン代表取締役/表現と顎/よく歌う

最近の記事

選手は戦士。野生味のなさは致命的。

昨夜は男子サッカー日本代表アジア杯を、DAZNでライブ観戦。 我らがサムライブルーは、試合開始からフォーカスの弱いボヤけた空気感。試合前、板倉滉選手の顔が強張っているのが画面越しに見えて、「珍しい」とつぶやいた。緊張に慣れておらず、耐えられないのかもしれない。 今の選手たちを見ていると、頭のいいスマートな世代だなと思う。対戦相手のデータは素早く頭に叩き込める。高い技術力。コツコツ努力できる。これまでのプロキャリアのなかで緊張することがなかったのかもしれない(だいぶ先輩には

    • 【2日目】3年ぶりの八郷 〜ショック編〜

      あめにも舎に到着すると、すごいことになっていました。。。 今回は、ぼくの失敗談と、ついでにそれをどう乗り越えていこうとしているのか?についてリポートしようと思います。 読んだら思わず笑って「失敗してもいいんだな!」「人生で取り返しのつかない失敗なんてほとんどないんだな」と、前向きな気持ちになればうれしいです! ズバリ、しぶとくあれば道は拓けます。 3大ショック大公開3年ぶりのあめにも舎で、ぼくがショックを受けたのは主に次の3つです。 (無許可で)屋根の色を変更 庭

      • 【1日目】3年ぶりの八郷 〜希望編〜

        3年ぶりに八郷(茨城県石岡市)へ行ってきました! 今回、八郷を訪れた目的は情報収集(人に会う、気になる場所に行く)。 ただ、情報収集という言葉そのままのニュアンスよりは、もっと有機的に「なんでもあり!」な設定で出かけました。 1日目は、羽田から土浦市へ電車移動し(品川から1本でラクラク90分!)、予約しておいたものすごい格安レンタカーに乗って八郷に向かいました。 知ってました?こちらのレンタカー屋さん。ぼくは今回初めて知って、あまりの安さに驚愕しました。 旭川空港を

        • よちよち進む、やさとプロジェクト(仮)の進捗報告

          さて、すでに初雪をコンプリート済みの北海道旭川市から、明日久しぶりに八郷(茨城県石岡市)に行きます。石岡に2泊したあと、そのまま東京で2泊。出張前はなにかとパタパタしております(笑)。 タイトルには進捗報告と描きましたが、要は進捗報告の名を借りた、やさとプロジェクト(仮)についての思考プロセスのシェアです。恥ずかしー。 約3年ぶりの八郷は情報収集から八郷へ行くのは、父が亡くなったのが令和元年(2019年)7月で、たしかその翌年に行ったののが最後なので約3年ぶり。懐かしい方

        選手は戦士。野生味のなさは致命的。

          やさと農業小学校のはじまり(文:板津洋吉)

          前回の記事に続いて、父・板津洋吉が、なぜやさと農業小学校の開校を志し、あめにも舎を建てるに至ったのか、本人の記録を紐解いてみました。 前回の記事 ↓ ↓ ↓ 以下、父が残した文章(原文ママ)になります。 〝スキ〟応援いただけると励みになります! 今西先生との出会い1996年、グリーンチャンネルという農業と食べ物のPRを中心にした番組づくりで、菅井農業小学校に初めてお邪魔し、今西祐行先生の考え方と実践に強い感動を受けました。 土を耕し、種をまき、育て、収穫するという、

          やさと農業小学校のはじまり(文:板津洋吉)

          VIVA!やさとプロジェクト(仮)

          気になっていたプロジェクトを、「そろそろやるか!」と思い立ち、スタートしようと思います。 父が亡くなったのが令和元年(2019年)。彼は茨城県石岡市の旧八郷地区に建物を残していました。 平成28年(2016年)に父が倒れて、「空き家にしておけないなぁ」と、住居として貸りてもらっていますが、個人に貸すには余りあるご立派な建物。 たしか、総床面積は200平米超えてたかと。 そもそも、なぜ父はこんな大きな建物を建てたのか?父は退職後、都市部に住む子どもたちに、生きる力を共に

          VIVA!やさとプロジェクト(仮)

          運が良くなる方法

          脳科学者の茂木健一郎さんが、セレンディピティ(幸運な偶然)に出会うためには?で力説している3つの要素。 Action/行動 Awareness/気づき Acceptance/受容 セレンディピティに出会うためには準備が必須であり、行動し続け、気づける状態にあり、(緩急どうであれ)変化を受け入れる。これら要素が揃ってはじめてそれに出会うという。なるほど至極真っ当だ。 ぼくなりに補足するとこうなる。 行動し続けている 気づける状態にある ただ受け容れる この3要素、相互

          運が良くなる方法

          他人の不幸は蜜の味〜シャーデンフロイデ

          程度の違いこそあれ、人はより良く生きたいと願っているのでは?と思っている。そのために、自分を知り、他者を知り、人間というものを知りたいのだろう。 今日、読書をしていて、劇団時代の恩師・石塚克彦の「人間を知っている」レベルの高さにあらためて驚いた。 石塚との付き合いは20年以上前なので、「脳科学的には」とか「認知科学的には」などと言われるずっと前のこと。 あらためて、劇団ふるさときゃらばんを率いて作・演出を担い、創立から数年で組織を躍進させたその根源となる彼の力に感銘を受

          他人の不幸は蜜の味〜シャーデンフロイデ

          フィードバックの勘違い=センスがない

          フィードバック=言語 という勘違いがあるように見えて残念に思うことが多い。自己成長の機会をみすみす逃しているからだ。 言語化することの役割やパワーに疑いの余地はない。 でも、フィードバックを言語でしか受け取れないのは、ものすごく人生損している。 ぼくがこのようにフィードバックを捉えるようになったのは、演劇界で育った影響が大きいと思う。 例えば、自分が何かを話す(表現をする)。すると、相手は何らかの表現をする。 喜ぶかもしれないし、怒るかもしれない。もしくは無反応と

          フィードバックの勘違い=センスがない

          フィードバックとアドバイスの違い

          ぼくが育った演劇界には〝ダメ出し〟というものが存在する。 ただこのダメ出し、今となっては一般社会にも広く認知されていると認知しているのだけどどうだろう? たぶんお笑いの一般化とともに、ダメ出しという言葉も一般化されたのではと推察する。 で、そのダメ出し。 舞台で最終的に創りたい世界観・空気感(ゴール)があり、そこへ一歩でも近づくための行いだ。 中身をざっくりと2つに分けると、フィードバックとアドバイスだとぼくは捉えている。 フィードバックは相手の鏡になること、アド

          フィードバックとアドバイスの違い

          『ショウ・マスト・ゴー・オン』

          三谷幸喜さん作・演出の舞台『ショウ・マスト・ゴー・オン』を観た。 観たといってもオンライン。イープラスの舞台中継サービスを利用した。北海道の自宅のソファで、妻と2人で3,220円。あまりにお手軽で驚き。 今日の舞台は主演の鈴木京香さんがコロナ陽性判定で降板、代役を三谷幸喜さんが務めるというレアな回だった。 内容は文字通り「ショーを止めるな」という舞台裏のドタバタ劇。妻はまったく違う業界出身の人なので、一緒に観劇していると、自分にとっての当たり前は相手にとっての当たり前で

          『ショウ・マスト・ゴー・オン』

          感動とは

          ふるさときゃらばんに入団してまもなく、どういう文脈だったかはすっかり忘れたが、ある先輩俳優がこんなことを言った。たしか若いころ東京キットブラザーズにいた先輩で、この発言の頃には柴田恭兵さんばりに演技に渋みが出てきた頃合いだったと思う。 この言葉は、当時は当時でわかったような気がしていたが、それ以降ときどき思い出す。 演劇だったら、感動は観客(顧客)満足度の向上に寄与する必須条件だろう。また一般的にいうビジネスだったら、見込み客や顧客が購買に至るには感情が動く(感動する)こ

          感動とは

          共感と日本刀、どちらがお好き?

          昨日『ぼくの仕事のベース』に、こんなことを書いた。 言葉にして気づいたのは、その一方で自分の中には相反するものがいる、と思い出した。それは〝怪獣〟がいる、ということだ。 どういうことかというと、ぼくはよく「優しそう」とか「怒らないんでしょ」とか言われるが、ところがどっこいとんでもない激しさを持った自分がいて、それは時折出現して、どかーんとちゃぶ台をひっくり返したり、相手が誰であろうはっきりとモノを申し上げる。 演劇や長編小説って、非効率なぐらい長い文脈のなかでじわりとし

          共感と日本刀、どちらがお好き?

          ぼくの仕事のベース

          ぼくが社会に出て最初に仕事をしたのは、石塚克彦という劇作家・演出家の元でだった(あの業界を「社会に出た」と言っていいのかどうかわからないが)。結局18年間、彼と仕事をした。 石塚は若いころ紆余曲折あった末に、「地域をつないでいたムラ芝居が風前の灯だ」「だからムラ芝居を復活させて全国巡演するのだ」ということになって劇団ふるさときゃらばんを創立した。 その辺りは石塚の死後出版された『ミュージカルへのまわり道』(農山漁村文化協会)に詳しい。 劇場に足を運ぶのは町や村の農家のお

          ぼくの仕事のベース