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FF16の感想「繊細なドラマ描写とカタルシスの不足」(ネタバレなし版)

▼買いか否かの重圧に向き合う。

 ”あの”ファイナルファンタジー最新作、FF16が発売された。
皆様はいま、レビューや感想を見て、「買うに値するか」を考えておいででしょうか? あるいは、感想を分かち合うことで「楽しそうかどうか」を見極めておいででしょうか?

 そりゃそうですよね。

 何せ、現状「PS5で専売」でPS5を持っていない人も多いスタートライン。さらに賛否両論あった「FF15」の続編でありつつ、賞賛の声が高い「FF14」の制作陣が多く関わっているのです。その「注目度」から、6万円近く払う価値があるかどうか大変吟味が難しくなっています。
 こういった経緯があり、多くの人が買うかどうかの判断をしたいと思っているなか、最速レビューで酷評があったり、一方で絶賛の声があったり、判断が付かない状態です。

 ここでまず、レビューを見る時に、皆様はいくつか冷静になる必要があります。

 あなたが”納得する感想”を見ても、それはゲームを遊ぶかどうかの判断にはなりません。例えば否定的な文言を見たとしても、「6万円払うほどではなかったか」と”安堵する気持ちを得る”ものであり、また神ゲーとあれば「その体験を6万円前後で買うべきか?!」と”焦燥を得る”だけのものです。
 私はそういった感情に振り回されると公平な評価ができない作品だと思い、感想を始める前に皆様に問いかけました。FF16は、それくらい繊細なゲームだと感じているのです。
 FF16は確かに面白かった。しかし、その面白さを得るにはゲームに没頭するだけの情熱が必要であり、またそれは”巨大タイトル”が背負う重圧に阻害されるタイプのものだからです。

 なぜなら、FF16は極めて丁寧な人物描写が素晴らしいからです。

 例えば、
・耐え忍ぶ弟の握りこぶしに、兄として気遣い言葉を継ぐ姿。
・一瞬言い淀んだ間に、仲間へ心配を悟られまいと逡巡している様。
・死を受け入れていた身内に、たまさかの再会をして嗚咽混じりに膝から崩れ落ちる情景。
・ 主人公が墓前でただ一言、「行ってきます」と発した瞬間の覚悟の決まった姿。
 これらの描写に始まり、物語を読み込む、人物達の想いを背負っていく、そういった「物語へ能動的な精神の働き」を得なければ、味の欠ける作品だと思ったのです。
 また過激な描写が多くありますが、それらは「心を強く持って挑んで欲しい」と言うシナリオの要請であり、これは主人公が奮起していく気持ちの動き方にもシンクロしている内容だと感じます。

 また、人物の描写だけではありません。使っている武器のデザイン一つで国が識別できたり、植物の植生だけで土地の豊かさを感じたり、知識の深淵に潜れば世界の背景や人物の癖の一つまで知ることができる。そういった「知への探求」が多く練り込まれているのです。
 サブクエストで関係キャラクター達の過去や未来が見えてくるのを含め、語り部の議事録やヴィヴィアンレポートと言う膨大な設定資料集がゲーム内に存在し、それを端から端まで読みつくす人間にはとてつもなく楽しい作りになっています。
 つまり、余白を読み取るではなく、ゲームなんだから、遊んだ先に世界が描かれている。そういった作品に私は感じました。

 買いか否かの重圧を全世界から一身に受けている作品ですが、製作陣からは改めて「FFが作り上げてきた共通幻想を楽しんでくれ」と言う想いを感じます。特に、まっさらな気持ちで始め、ゲーマーとしての自分を忘れてプレイすれば、できの良いゲームであったと言えるでしょう。


 ただ、それがファイナルファンタジーである必要であるかは意見の分かれることでしょう。そういった「制作の意図を想像した上で強く納得できる面」と「だからこそ納得できない面」が同時に存在しているのが、FF16の評価が分かれてしまう要因のように感じます。



▼アクションRPGの意味に浸る:感想①

 上記の通り、一番評価しているのはドラマ性です。
 いまの技術を使い、PS5が描く細かな描写はまさしく「最新のRPG」と言えるでしょう。 FF14でもその手腕を発揮したシナリオ班。そして、取りまとめる吉田プロデューサーに期待する、濃厚なシナリオだったと言えます。また、それを彩る祖堅さん率いるサウンドチームの織り成す音楽、スクエニが総力をあげたグラフィックス表現は、"ただリアルなだけではない"ものでした。
  ロールプレイングゲームのFINAL FANTASYを想像したときに、今の時代に敢えて発表すると言う覚悟を感じたと言うのは上記の通りです。

 そしてこれは、アクションRPGに大きく舵を取ったことに表れていると考えています。
  RPGが発表されて間もない頃、容量も限られた時代。上から見下ろしていた視点で、FF・DQはゲームシーンを牽引するJRPGの二大巨頭と言って差し支えなかった。

 だが、それは昨今大きく変わってしまった。何が変わったのか?
 それは、単純に「社会におけるゲームの立ち位置」です。

 FFが世に出た35年前、1987年はゲームと言うものは親世代に認知されない”敵”でした。1960年代の人々が親であり、また、その人達はコンピューターがまだ馴染みでない1940年代の価値観の中で社会は動いています。そんな社会の移り変わる1980年~1990年に、FFDQは支持されていたのです。
 少し背景を思い出せば、アニメやインターネットなどはまだ世の暗部でした。"オタク文化"などと揶揄され、日陰者の象徴だったのです。
  例えば、
・あなたは誰も身近に遊んでいないゲームを遊ぶでしょうか?
・世間に後ろ指を刺されながら認められないゲームを遊び続けるでしょうか?
・格闘ゲームを数人のグループの中で、トップに出られるように修行するだろうか?
・ゲームを始めるとチュートリアルもなく始まり、数秒の死で100円玉が消し飛ぶゲームを繰り返し遊ぶだろうか?
 当時のゲームのほとんどは、こういった要素があったと言って過言ではありません。(いや、過言ではあるかもしれない)
 そんな中で、FFやDQは家庭に降り立った。 拙いながら、言葉で、映像で、音楽であなたに語りかけ、死を経験しながらも時間さえかければ少しずつ成長し、強くなっていく主人公たち。そして、システムを理解することで強敵を上回る。それが、物語の結末を手繰り寄せ、困難を打ち破る。これが、DQFFが私たちにもたらしてきたカタルシスなのです。

 しかし、いまやゲームが敵ではなくなった時代に生きた人々が、社会を動かし「ゲームが趣味です」と公言することがほとんど厭われなくなりました。誰もが持つスマートフォンではアプリゲームが氾濫し、動画サイトを開けばゲーム実況と言うプレイ体験を共有する文化が花開いている。いまや、そのゲームを遊ぶことで生業とする人さえ出るほどゲームは"認知されてしまった"のです。

 FF16発売直前。ツイッターのとある呟きで、
古きゲーマーツイ主「若手がゲームを一通り遊ぶと公言したので聞きに行ったら、DQFFは遊ぶ気が無いと言う」(意訳)
 そんな言葉を見かけました。
 その時に、DQFFの支持の弛みを感じたのではなく、ゲームと言う趣味の意味が変わったのだなと感じました。
 ゲーム自体は、私にとっても友達とのコミュニケーションの架け橋の一つでしたが、それは「隠された同士を見つける為の秘密の符合」でした。しかし、昨今ではゲームが趣味と言うのを媒介として、「公共の場に入る為のチケット」と言って過言ではないのです。

 そのためか、いまのゲームの大半は"簡単"で"わかりやすい"です。 この"簡単"で"わかりやすい"のは、ゲームの難易度ではなく、ゲームを初め、クリアし、うまくなっていく過程が可視化されていることを指します。

 ここにきて、ようやく「アクション」である意味に繋がります。
 「アクション」と言う要素は、プレイヤースキルに大きく依存するものの、誰もが直感的に理解できる要素です。昨今話題のゲームも、アクション要素が少なからず強いのは言うまでもありません。特にAPEX始めFPSゲーム然り、今の時代にアクション要素が大きく選ばれているのは間違いありません。FFにそれを足すことで、「進化を続ける最新のRPG」であることを付加したのではないか。もちろんFF14にも少しばかりアクション要素があり、実績があるのですが……。おそらくそういった意味が少なからずあったと私は感じます。


 ただし、DQFFのファンが求めたカタルシス、広く遊ばれるアクション要素、表現力が広がったことで産まれた繊細な描写。これらがそれぞれ独立したものであったとも言えるように感じます。
・往来のファンが求めたカタルシス。
・いまのユーザーが求めるアクション要素。
・RPGファンが求めたファンタジードラマ。
 その全てを掛け合わせた結果、それぞれのジャンルに住む人々が同時に接種するには正しかったかは少し疑問符が残ります。

 往来のファンはアクション要素の不慣れさに違和感がありますし、アクション要素を求めるいまのユーザーにはドラマが重く長すぎて、RPGファンが求めるにはカタルシスが重すぎた。そういった違和感はあるかもしれません。



▼往来のファンとして見る「これからのFFへ」:感想②

  ここまで丁寧に書いたからこそ、皆様に改めて本作の満足度を私の尺度で書かせていただきます。
 ★10段階評価であれば、私にとっては★8です。その多くは、やはりカタルシスの重さや、方向性による満足感の不足でした。

 特に私が望みたかった点は、
・ヘイトを高めていた敵キャラクター達の末路。
・苦難を共にしてきた仲間達のその後。
・アクション要素に変わった戦闘の成長度合い。
 でした。

 上記を翻せば、
・ヘイトを高めていたキャラクター達を大技で倒したかった。
・苦難を共にした仲間が"分かりやすく"幸せになって欲しかった。
・アクションの有無とは別に、従来のFFで感じる成長を感じたかった。

 このようになるでしょう。それ以外はおおむね満足しています。
 これは、今回のFF16が目指したゲーム体験とは私の趣味嗜好がそぐわないゆえの内容であり、「大作」「ファイナルファンタジー」ゆえの不満点だと思います。その他、ネタバレを含む具体的な内容はまた別の記事にしようと思います。

 しかし、これは過去作でも生じる可能性があった不満点なので、「FF16だから」と取り立てて言うものではありません。
 
FFはその都度、時代や要望に合わせて進化してきました。
 
ATBゲージでのバトル。その撤廃。グラフィックの変更や、世界観が毎回違うなど。あげたらキリがありません。
 
その上で、今作FF16は、FFとして現代に挑んだ作品としてまごうことなきファイナルファンタジー作品であったことは間違いありません。



▼最後に。

 とは言え、売れなければ次回作が出せないのも事実。
 正直、PS5をお持ちであれば買いではありますが、本体ごと購入し6万円の価値を見出すのは相当なゲームファンでなければ難しいように感じます。(私はその相当なゲームファンだと思いますが)
 そして、もし爆発的に売れなければFF17は無いのではないかとも感じてしまいます。この消化不良な形でFFシリーズが終焉を迎えるのもいささか悲しさが強いです……。とは言え6万円と言う価値で強く推す動機はなく、厳しい評価を下してしまったとも言えるでしょう。


 感想と言うのはレビュアーである「私」と読んでいる「あなた」の属性がわかることで、より意味のあるものと思います。
・レビュアーはいままでのFFが好きなのか、それともアクションゲームが好きなのか。
・どれくらい公平性を持って評価しているか。
・あるいは自分と好きなゲームが同じか/嫌いなゲームが同じか。
こういった要素は検討の際に重要視されるべき部分でしょう。
 その参考までに、私が歴代のFFに感じた良かった点と不満点を並べることで、FF16への評価を多角的に感じとって頂ければと思います。

歴代のFF総覧:良かった点と不満点

FF1:★7

〇原点ゆえの基準。まるは良いと感じる要素。
▲原点ゆえに基準。さんかくは不満点の要素。

FF2:★7

〇特殊な成長システムの破天荒さ。
▲展開の早い物語。
▲人物の煩雑さ。

FF3:★8

〇ジョブシステムによる戦略・成長の広さ。
〇世界の広がり。
▲物語の納得感。
▲ラストダンジョン。

FF4:★7

〇テンポの良い物語展開。
〇ATBゲージのバトル。
▲バトル戦略性の幅の無さ。

FF5:★9

〇ジョブシステムによる戦略・成長の広さ。
〇気持ちの良い仲間キャラクター達。
▲煩雑な世界設定。理解しづらさ。

FF6:★9

〇登場キャラ毎の役割。戦略性の良さ。
〇物語のテンポの良さ。
▲帝国。
▲ケフカ。

FF7:★9

〇マテリア成長システムの幅広さ。
〇個性的なキャラクター。
〇豊富なミニゲーム。
〇世界観設定。
▲途中の鬱展開。
▲結末。

FF8:★8

〇チャレンジされた世界設定。
〇ジャンクションシステムの独自性。
〇カード。
▲レベル基準の敵システム。
▲不明瞭な裏設定。

FF9:★8

〇世界観設定。
〇やり込み要素の規模感。
▲物語の展開のカタルシスの薄さ。
▲オズマ。

FF10:★8

〇スフィアボードによる成長システム。
〇ブリッツボール。
〇限界突破の爽快感。
▲シーモア。
▲エンディング。

FF11:未プレイ


FF12:★9

〇ガンビットシステム。
〇この世界観で物語を生きていく感覚。
▲プレイフィールのもっさり感。
▲やり込みの規模感。
▲ヤズマット。

FF13:★6

〇映像演出。
〇音楽。
×ストーリー展開。

FF14:★10

◎全体を通してゲームシステムとゲームシナリオへの落とし込み方。
〇適度なアクションとパズル要素のある戦闘。
〇コンテンツの豊富さ。
▲コンテンツの豊富さ。
▲新生は★6。蒼天は★7。紅蓮は★9。漆黒~★10でお願いします。

FF15:★7

〇旅をしている感覚。
〇発見していく感覚。
▲納得感の薄さ。

FF16:★8

〇繊細な物語・人物描写。
〇分かりやすいプレイフィール。
▲カタルシスの不適合。

 以上。
 レビューとして皆様に意義あるものとなっていれば幸いです。





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