虐待サバイバー、しま

虐待を受けて育ち、それを認識したのが45歳。棒に振った人生は戻らないが、せめて残りの人…

虐待サバイバー、しま

虐待を受けて育ち、それを認識したのが45歳。棒に振った人生は戻らないが、せめて残りの人生は納得できるものにしたい。ただ苦しかった人生、息をするだけで精一杯の毎日、自分の生きづらさの原因を知った今、どう生きるのか、生きながら書き、書きながら考え、答えを求めて生き抜きたい。

最近の記事

悪徳心理士から金を取り返しました

セラピーのフォローアップとして払ってしまった、1年分の代金10万円を取り返しました。 その臨床心理士は私に、愛着障害のセラピーのフォローアップをしてやると言いました。 同時に私の非公式の連れ合いには、私と別れなければいけない、あなたの手に負えるような人間じゃない、いつか刺し殺される、私から接触があれば警察を呼ぶように、3ヶ月そうしたらその後のケアとしてフォローアップをしてやる、と言ったそうです。 人の苦しみにつけ込んで、私と連れ合いを引っ掻き回して、2人の間にトラブルを

    • 不愉快な気分に任せて、嫌ったらしい心理士の話をします。

      心理士ってクライエントに利することが出来なきゃ、失格だと思っています。 あんたは愛着障害を治せないまま大人になってしまった、大人でも治せますというのでアメリカまで愛着障害を治療すべく行きました。 去年の12月に3週間です。 集中してセラピーを受けましたが、普通の人が泣き喚いたり叫んだり取り乱したりするところでも、私はウンスンでした。 あら?思ってたのと違う。でも皆が同じ反応をするわけではないからと言われ、じゃあ大丈夫かなとその場は流しました。 子供の頃から、人前で取り

      • 少し前まで一緒に生きていこうと言っていた口が、生きていると迷惑だから死んで、と言った。けどまだ生きてる。完遂できないで申し訳ない

        • 懲りずに酒を飲んでしまう

          先日、一人で初めて芋焼酎を飲んでみました。 相棒から、くいくい飲めるから気を付けるようにアドバイスされたのに飲み過ぎて、ひどく悪酔いして二日酔いになってしまいました。 気持ちが悪くて、頭が痛くてさんざんな思いをしたので、二度と酒なんか飲みたくないと強く思ったのに、今日も飲んでいます。 一昨日がその悪酔いした日にもかかわらずです。 どうも寂しいとか、不安だとか、暇だとかを酒で紛らわせたくなります。 このまま進行するとまずいと思いますが、現状は一時的に「可」、ということにしていま

        悪徳心理士から金を取り返しました

          ユーチューバー

          最近ユーチューバーの方の動画を見始めました。 小学生が見るもの、素人が無茶しているもの、と勝手に想像して、食わず嫌いで見なかったんです。 見始めたら面白くて面白くて、次から次へと見ています。 特に気に入っているのが、わくわくシニアライフまさみさんのチャンネル。 日々の生活の何気ない物事と、女友達との交流がそれこそわくわくします。 年齢を重ねてもこんなに楽しそうに生活できたらいいな、と勝手ながら思います。 人生の少し先輩がどう過ごしてらっしゃるのか、お手本として見ている感じも

          10年目をどう祝おう

          9年前の明日起きたことを祝いたい。9年前の明日から計算すると、明日は10年目になる。10年目は切りがいいのでなんとなく節目にしたい。 明日10年目がスタートする。どうやって始めようか。いつも通りじゃもったいない気がするし、特別になにができるかと考えている。結局こうやって考えている時間が貴重で、明日から始まる10年目を祝うには気分よく、平和に、でもちょっといつもよりは特別な気分にできたらいい。 スーパーに好きな花があったら買って来よう。いつもはメガネで過ごしているけど、化粧が映

          10年目をどう祝おう

          本当はきれいに暮らしたい

          部屋を片付けたい。すっきり整理整頓された部屋にして、掃除機や雑巾がけもしやすくしたい。 まず古い雑誌を2~3冊捨ててみた。住所と名前が入っている書類を床にそのままにしていたのだけれど、破って捨てた。 戸棚にしっかりした紙製の箱があって、何が入っているのかと中を見たら空き箱だった。多分何か入れるのにいいと思ってとっておいたのだろう。これも開いてリサイクルごみ入れへ。 そうすると、ちょっとすっきりした。私にしかわからない変化でも、ほんの少しだけど片付きだした。 少しでも行動すると

          本当はきれいに暮らしたい

          リモートでセラピーのフォローアップを1時間受けた。心理士2人と私と非公式連れ合いの4人で。 カップルカウンセリングという感じだが、始めるまで不安感が強かったが終わってみてホッとしている。次回はアメリカでセラピーを受けたときの博士とリモートでお会いできるという。とても嬉しい。

          リモートでセラピーのフォローアップを1時間受けた。心理士2人と私と非公式連れ合いの4人で。 カップルカウンセリングという感じだが、始めるまで不安感が強かったが終わってみてホッとしている。次回はアメリカでセラピーを受けたときの博士とリモートでお会いできるという。とても嬉しい。

          どうも孤独だ。 いい大人が寂しくて一人でいられないなんて、恥ずかしいと思う。 それでも孤独に耐えられない。 ウイスキーを飲んでnoteに投稿したら、その後どうしようか、困ったもんだ。

          どうも孤独だ。 いい大人が寂しくて一人でいられないなんて、恥ずかしいと思う。 それでも孤独に耐えられない。 ウイスキーを飲んでnoteに投稿したら、その後どうしようか、困ったもんだ。

          どうやって生きていったらいいだろう

          両親が家を建て替えるという。私は店舗併用住宅として、カフェをやらせてほしいと頼んだ。 繊細過ぎて会社勤めには向かない非公式連れ合いと会社勤めが苦痛な私でカフェを経営できたらいいなと考えたのである。 あれやこれや説教を喰らい自分で稼いだお金で始めるようにとのことだった。 両親の言い分はもっともで、反論のしようがない。こんな時代に素人がカフェなぞ始めてもどうにもならないというのもわかる。 では私は、これからどうやって生きて行ったらいいのだろう。 健康で利発だった子供が虐待を受け、

          どうやって生きていったらいいだろう

          あきれる話

          もう子供産むなんて無理ですよね。 いやいやそもそも子供なんて産めないですよね。 産んだら育てなければいけないですからね。 私に子育ては無理ですもんね。 まず子供産む資格がないですよね。 いよいよタイムリミットが来るとなると何度も繰り返し考えたことをまた考える。考えが問いかけの形をしているのは、お伺いを立てなければいけない人がいるからだ。母、父、妹、世間様。 私が子供を産むとして、両親と妹は反対だろう。私には経済力がないというだろう。でも経済力以上に彼らが問題視しているのは、

          妹は遠いまま

          母は姪に私が受けられなかった恩恵を惜しみなく注ぐので、私は姪に嫉妬し、さらに姪の母親である妹に八つ当たりしたことがあります。 私としては母から受けた虐待、ハラスメント、しつけ、どれもただ耐え忍ぶには苛烈過ぎたので、妹にも共感して欲しかったのです。 君だって知ってるよね?という気持ちで。 そうだったよね、やばかったよねと相槌を打ってほしかったのですが、妹は姪の育児を母に助けてもらううちに昔のことはなかったことにしたか忘れてしまったようで、私がいかに苦しんだか、現在も続く苦し

          死ぬことしか考えられなくなる時間

          私はたびたび死ぬことで頭がいっぱいになります。 臨床心理士にその時間、乖離が起きていると言われて、これを乖離と呼ぶのかと理解したのがついこの間です。 具体的には私が首をくくってぶら下がっている光景と、死ねばいいのにという言葉が同時に頭に浮かびます。 実際に自分でも、死ねばいいのにとつぶやきもします。何度も。 もう死ぬしか解決策はないという考えで頭がいっぱいになります。 今はもうその状態から離れてしまっているので、正確なことは忘れてしまっているのですが、死んで自分に復讐す

          死ぬことしか考えられなくなる時間

          自分自身と自分の人生に納得いかない

          自分は普通の皆さんと比べてどうしてこんなになってしまったのか、こんなはずじゃなかったと思います。 普通に見える方々にも色々辛いことや悩みがあるかもしれませんが、やはり普通の方々が羨ましいです。 会社に勤めて週末は家族と過ごす。 じゃあそうすればいいじゃない、そう思って会社勤めしてみました。 そうじゃなくて、生まれて育ってくる過程が重要で、私にはもうどうにもできないのだと気づきました。 小学校、中学校、高校、大学、社会人、とちゃんと帰属してきたかったのです。 私は高校を

          自分自身と自分の人生に納得いかない

          中絶

          30歳代前半のある年、中絶手術を受けました。 そのころの私は、自己肯定感が今よりも低く、物事を判断する力が衰えていて認知機能も低下していたと思います。 うつ病の治療で抗うつ剤と抗不安剤を飲んでいました。 当時の私は、母の兄、私から見て伯父に交際を勧められるまま、とても醜いある人と性交渉をする関係になりました。 全然好きでない人と性交渉をして妊娠しました。 妊娠なんてとんでもないことで、困り果てて怒りました。 中絶をお願いしようと地縁の無い産婦人科に行きました。 この産

          もっとひどい目にあっている人もたくさんいる中、恥ずかしいのですが、家族から受けた言葉、身体的暴力を思い出したので記します。

          私は健康で朗らかで、心優しい利発な子供だった。 保育園へ0歳児クラスから通い、2~3歳ころには物心がついていて、そのころの記憶もはっきりとある。 その健康で利発な子供が5歳児ころには周りの目を気にし、自分の厳しい成育環境から、自分は将来他人よりとびぬけた存在になるという選民思想を持つに至っていた。 こんなに厳しく、鉄のように毎日打たれていたらさぞかし強い鋼のような立派な人間に仕上がるに違いない、という思想である。 結果は違った。 13歳で抑うつ状態が慢性化し、15歳では

          もっとひどい目にあっている人もたくさんいる中、恥ずかしいのですが、家族から受けた言葉、身体的暴力を思い出したので記します。