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ep1 変わった子供時代

               〜生まれてから小学校で学級新聞を作るまで


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「かわいげのない子供だった」

自分の子供時代を振り返るとこの言葉しか出てこない。

私は生まれたときに既に「分けられた世界」にいたのかもしれない

母親の出産生涯によって障害を持ってこの世の中に生まれてきた。

世間では、こう言う者を障害者と定義してるらしい。

子供の頃に痛いほど知らされた現実である。

私は主に身体に障害がある。手と足、言語が不自由である。

もう少し具体的に書いてみると、人よりも運動ができなかったり、食事の時に箸を持つことができなかったり、初対面の方とは会話を聞き取ってもらうことはできない。

ここに「障害」というものが発生しているんだろうと思って40年も過ごしてきている。

しかしこれは、カバーできる事柄ばかりだと自分では思っている。

運動は自己満足で動かせば身体にいいことだし、箸を使う文化は世界単位で考えればほんの一部の単位だ。スプーンとフォークがあれば世界中で、食事できる。

会話だって紙とペンがあれば言いたいことは伝わる。

だから「障害」って何?って子供の頃からずっと思っていた。

でも私の周りの大人は、「障害児」として私に接する。できないことを仮定して、何でも事を進めようとしていく。

つまり、「分けられて」いることを子供ながらに感じてしまうのだ

私は、身体には障害があるものの思考は人並みに築けていたので、だんだんそうした現実に気づいて言ってしまう。

私の周りは「つまらない」事が増えて言ってしまっていた。「気を回す」これができるようになるのは20代の話である。

子供の頃は皆、自分のことでいっぱいになるものである。そんな子供時代を振り返ると、まさに私は「かわいげのない」子供だったと振り返ってしまう。

「できない」という言葉よりも「自分に合わせる」と言う言葉が好きだった

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生まれたときから、「障害」というキーワードが一緒に来るようになってしまった。

それに伴い「できない」と言うキーワードも一緒に来るようになってしまった。「できない」という言葉は絶望的な悲しい言葉だと子供の時から思っている。

なぜそこで、決めつけるのだろうか?

「分けられて」いるように感じる瞬間である。

他に選択肢がないのだろうか?子供心に自分はいろんな事を考えていた。

「できた」「できる」という言葉は、たまらなく大好きな言葉だった。

「できた」という言葉にはたくさん意味があると思っている。

たとえば、運動会でかけっこがある。誰もが1番を取りたくなるものである。

私も1番はとりたいと思ったことがあった。

今でも良く覚えている保育所の運動会の練習中、1番を取りたくて走路をはみ出し内側を走った。

あとで母親にめちゃくちゃ怒られたことも良く覚えている。母親は自分から「分けられた世界」に進むことを止めてくれた。

私はこの時、ズルして運動では勝てないことを悟った。つまり自分から「分けられた世界」に進んではいけないことを理解できた最初の瞬間である。

では自分にとって、かけっこで「できた」とは何になるのだろうか。

5歳児なりに考えて、用意された走路を正々堂々と自分のスピードで走ることに満足を感じたときに自分は、かけっこが「できた」と結論することができたと思う。

自己満足と言う言葉を都合よく使っていると思われるが、子供の頃に「できた」と言う気持ちを必要程度に抱くことによって、自分は自信を持って生きる術を得てきたのだと思う。

さらに「できない」ことは確かにたくさんあった

一方で「自分に合わせて」自分が挑戦できる答えや目標を設定して挑もうとするそんな子供にいつの間にか自分はなっていたのかも知れない。

自分の思いが伝わらないというジレンマに

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「分けられた世界」に留まることがとても嫌だった。

「自分に合わせる」という手段を覚えて、そこから少しでも抜け出そうとしている自分がいた。

そういう自分は、よく大人とぶつかり合うことが多かった。

子供ながらにしっかりと意思を持てるようになってしまったので、自分をアピールしたくなるものだ。

しかし私は言葉が不自由である。つまり自分が思っていることをうまく伝えることができない。私は子供の頃このジレンマに思い悩まされた。

でも悩んでいるときにはいいことがある。

小学校の6年生の時に、国語の授業で新聞を作るという授業がある。

ちょうどその時、私の担任の先生は、この新聞を作ることを通年の課題にしてくれた。今考えるとその先生は大きなプロジェクトを仕掛けてくれた。

そして、自分が言いたいこと周りに訴えたいことは、その新聞を使って伝えて行くように教えてくださった。

ありとあらゆる事を記事にした。

今取り組んでること、日々感じてること、楽しかったこと、怒ってること、悲しいこと、障がいがあるということ

たくさん、ワープロで記事を書いて、印刷し、学校中に貼った

私は、小学校も後の中学校も普通学校にある支援学級で勉強していた

そこは、私にとっては「分けられた世界」であったが、「新聞」というアウトプットによってその境界線は薄くなった。

私はこの通年の学習によって、自分が伝えたいことは文字にアウトプットして伝えることを学ぶことができた。

これは後々の自分において大きく影響してきている。

ep2につづく

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