いとバイ通信 2-19

いとバイ通信 2-19

コロナ禍を社会学の教材に/1年を振り返る/その1

2021.1.25(月)

【世界を実感したい】

私が初めて海外を経験したのは1976年で24歳の時でした。当時としてはまだ日本で始まったばかりのスタディツアーに参加したのです。それは事前に参加者同士が3か月間毎週集まって学習会行い、シンガポール、マレーシア、タイを1か月余りで回る「足で体験する東南アジアセミナー」でした。事前に訪問国の学習することによって頭の中で一度その国のことを自分なりにイメージしました。その上で現地に行くとイメージできなかった生の経験をしたのでした。

例えば学習会では真珠湾攻撃と同じ日に日本軍がマレーシアに進行しシンガポールへ向かった歴史を知りました。日本は1943~45マレーシアを植民地にしたのでした。マレーシアのクアンタンに行った時のことでした。私たち3人はバスに乗って車掌さんに予約しているホテルの一番近いところで降ろしてくださいと頼んだのですがホテルから一番遠い郊外のバス停に降ろされてしまいました。乗客たちは微妙な表情だったことを覚えています。私たちは中国系(?)の車掌さんが日本人に対して細やかないじわるをしたのだろうと解釈しました。

クアンタンの小さな漁村に行った時その時の解釈を確信させる体験をしました。漁村の優しそうなおじさんが魚村を案内してくれました。おじさんにお茶をごちそうになっていた時ガムの包み紙に「1943~45」と書いてくれました。おじさんは私が小さい頃戦争ドラマでしか聞いたことのない命令形の日本語を怖い顔をして言ってくれました。残念ながらその言葉自体は覚えていません。おじさんは日本の軍人がそう言っていたと言い鉄砲を撃つジェスチャーをしました。日本軍は植民地にしていた1943~45に早くも現地の人々に日本語教育を強制していたのでした。おじさんは子供だったのでその教育を受けたのです。マレーシアにはマレー系、中国系、インド系のマレーシア人がいたのですがその中でも中国系の人には特に日本軍が行った迫害は強力なものだったようです。車掌さんはその子孫かもしれません。そんなことからすると細やかな仕返しだったのではないかと思いました。

【バングラデシュでの体験】

スタディツアーのあとそのままNGO駐在員としてバングラデシュで1年半滞在しました。

【世界各国への旅行】
これまでインド、フィリピン、台湾、中国、韓国、ギリシャ、シリア、トルコ、イタリア、ドイツ、フランス、スペインにも行きました。

【世界の今】

私はこれらの体験から世界を実感することの大切さを味わったのです。昨年本格的にコロナのパンデミックが始まりました。それまでは世界を認識する方法としての共通基準を見つけることが難しかったのですがコロナの流行は世界の今を知るための基準になると直感したのでした。2020年5月にコロナ禍を社会学の教材にしようと呼びかけたのでした。

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