農薬の歴史  1

ウグイスがやっと一人前の鳴き声に近づいてきました。

農薬の歴史を振り返ります。

1828年に有機化合物である「尿素」が初めて合成されます。それまでは有機体は生物しか作ることができないと信じられていました。尿素の合成で人類は人工的にいろいろな物質をつくり出すことができるとわかりました。学者たちは新しい物質を合成することに夢中になり、その中に農薬として使われるようになった物質がありました。

1800年代の中頃フランスには自然食品店ができました。この店は全国に百を超えるチェーン店となり今日に至っています。化学物質の合成に湧く頃、同時期にその危険性を予知していた人たちがいたことは驚きです。

1914年~18年の第一次世界大戦で化学兵器が使われました。風向きが敵陣に向かっている時に塩素ガスなどを風に乗せて攻撃するというものです。戦争が終了しても塩素ガスの生産は落ちませんでした。それは化学兵器であったものを平和利用と言い換え「農薬」として使うようになったからです。

第二次世界大戦では化学戦が一層進み、人間を殺すための化学物質を見つけるために昆虫が実験台として使われました。そして戦争が終わると昆虫での実験成果が農薬として生かされ、世界中で農薬が使われるようになりました。

「農薬」は戦争中は人間を殺すための化学兵器として開発されたので農薬が人間に無害なはずはありません。

米国の生物ジャーナリストであるレイチェル・カーソン女史が自然破壊を警告する「沈黙の春」を1962年に発表。この本は世界で使われている農薬の安全性に焦点をあてられました。彼女自身の見解のほか当時の最高水準の専門家の意見も掲載されています。この本は世界中で発生していた農薬問題の取り組みに大きな影響を与えました。

日本では20世紀中頃、高度経済成長の最中に4大公害病が起こりました。作家の有吉佐和子は1974~75年に「複合汚染」を発表。この本は多方面から環境問題を取材し人間は複合的な環境汚染にさらされていることを指摘しました。

私は生産者のことを伝えるため産直クラブの生産者を取材してきました。生産者が自然派の農産物を作るようになった「きっかけ」を聞いてみると「沈黙の春」と「複合汚染」を読んだことだと複数の生産者が答えています。この2冊は環境問題の古典のような本です。でもその魅力はいまだ失われていません。


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