見出し画像

240103:正しいとか正しくないとか

 年末から実家に帰って、母とふたりだらだらりと過ごしてぼんやり年明けを迎えた。ふたりして「あけましておめでとう」「ことしもよろしく」と言い合った後にやっぱり「年明けの実感がないよなぁ」と言った。きっと1年後にも同じことを言いながら年明けを迎えるのだろう。

 お昼ごろに祖父母の家に行き、祖母のお雑煮を1年ぶりに食べた。これを食べると、すこしだけお正月の気分になる。祖父母の家に行くとお正月は毎回天ぷらとお雑煮を食べることになっているから。実家でいろいろ食べ過ぎて、あまりお腹が空いていなかったのが残念。
 ところで、祖母は孫に「これ食べ」といろんなものを出してくるのだけど、どうやら母も同じだ。実家に甥たちが来たときに「これあるで、あれもあるで」といろいろ出してきた。遺伝だ。祖母の実家がそういう家だったからで、ルーツはそこから来ているらしい。祖母という生き物になるとみんなそうなっていくだけなのかもしれないけれど。おかげで体重が増えた。

 祖父母の家から実家に帰ってきたころに、地震があった。けっこう揺れた。炊飯器や電子レンジを置いているラックがぐらぐらに揺れて、思わず抑えにいってしまったほど。揺れが落ち着いてからSNSを見たら、能登半島のほうでおおきな地震が起きていた。本州全体が揺れるほどのおおきな地震だった。そして日本海側全体に出される津波警報。
 以前働いていた職場で同期だった、おなじ誕生日の友人が新潟に住んでいることを思い出して連絡した。返事はしばらくしてから届いて、家族と高台に避難しているとのことですこし安心した。新年の挨拶もせず安否確認がことし最初の連絡になるなんて。

 テレビは見ないようにしている。3.11のとき、世界の滅亡のような映像ばかり流れていて、気持ちが塞いだ日々を思い出してしまうから。だけどSNSにも情報はあふれていて、やっぱりすこし落ち込んでいる。なるべくSNSから離れるべきなのだろうけれど、そうすると眠るしかやることがなくなってしまう。
 こういうとき、どう過ごすのが正しいのかわからなくなる。いつも通りに過ごしていいのだろうし、きっとそうすべきなのだろうけれど、いつも通りってなんだっけと迷子になってしまう。
 いまどんな言葉を発しても正しくないような気持ちになっている。これも3.11のときとおなじ。わたしはあのときから何を学んだんだろう。
 なにか言葉を発したいわたしと、どんな言葉を発すればいいのかわからないわたしと。新年早々、気持ちの置き所がわからない。

 どうか、どなた様もご安全に。