創作のアレコレ〜番外編~

 先程このような記事を書かせていただきました。読んでくださった方に感謝です。
 とある方の話も書きたかったのですが、そちらでは割愛させていただきました。多分その人のダイレクトマーケティングになると思ったので悩んだのですが、御本人が「私は存在自体フリー素材なので」との返答を頂いたので勝手に書きます。
 私はダイマは得意なんだ、ハハッ。

 来月発行予定の新刊のカバー・表紙・扉絵を担当してくださったのがフォロワーの葦原傘水さんです。別の場所で出逢って一年ほどのお付き合いになります。全くどうでもいい情報ですが、今年の初めに新年Skype飲み会なるものを開いてワインを三本空けて次の日くたばっていた人がいます。私です

 私は基本自分のために作品を書いていますが、しかし時に寂しくなるのも、自己承認欲求に悩まされることもあります。そんな中で傘水さんの存在がなければ、ここまで来れなかったのではないかなと思います。大袈裟なんですけどね。
 以前から作品を読んでいただき、反応をくださったのが傘水さんでした。いつも好きというシンプルな言葉を投げてくださり、時に絵にして返してくれて、こんなに反応を貰っていいのか? というくらいに作品を見詰めてくれていました。
 それだけでなく、私はその人の描写だとか信念だとか、他の人には見られない執着めいた熱情がとても好きで惹かれたのが大きかったです。「あ、こういうのを描く人がいたんだ!」という出逢いの衝撃は今も忘れられません。あまりコメントを残す人間ではなかったのですが、勢いで書いたら優しい返答をいただきました。
 傘水さんはもしかしたら、その場では異端だったのかもしれません。でも読みたいものを描いていたのがその人でしたし、作品もただ描いているわけではなく、どうしてそこへ行き着くのかという哲学であったり、生々しい欲望や疑念が垣間見える。私はそういったものに惹かれました。それに妥協しない。その姿勢は私が真似できるかと言ったら即答できません。
 それに向こうの考える死生観や人生というもの、命の在り方、どう生きて選択しても必ず発生する不条理や無情さ、そんなものが心にはつらく、しかしだからこそ痛みが、生がより良く伝わる。私が傘水さんの作品を愛する理由のひとつでもあります。

 それから絵描きと物書きはとある場所であったり人であったりと、状況によっては不思議と相容れないケースが見受けられたりします。小説は絵や漫画より見てもらえないことが多いということが前提にあるからでしょうか。幸いなことに私の知り合いの絵描きは文章も大好きな方ばかりだったのですが、境界なんてないと暗に告げてくれたのも傘水さんだと思っています。
 たまたま似たものを好んでいたおかげか、別所で面白い試みもしたりしました。色々あって作品に触れる機会がなくなっていたのですが、またこちらで再会することができ、夢だった表紙依頼をすることができ。そうでなくとも時々私の作品に触れては形にしてくれたり、私も向こうの創作物に触れて、形として出してみたり。
 でも私としては馴れ合いだとか、そういった様に思ったことはなくて。新鮮な刺激の与え合い、送り合いになっていたらいいなと常に願いながら真剣にやり取りをする。なので友達でありながらも信頼のおける創作仲間であり、ライバルでもあるのだろうと思います。何故なら私は向こうに嫉妬することがあるので!
 しかし嫉妬できるほどのものを相手が持っている、でも落ち込むどころかやる気に満ちてくる。この人がこんな良いものを描けるのなら、私も何かやれるかもしれない、という気にさせてもらっているのです。別の理由でやる気が削げても、励ましてくれるのはいつも先方でした。だから嫉妬とは言いますけど、そんな後暗いものではないのです。
 傘水さんが長い時間をかけて取り組んでくれたカバーから表紙、扉絵もこちらの意図を丁寧に取り組んでくれたからこそ、作品もより良いものに仕上がることと思います。悪夢を見てまで人力してくださったので、文章と併せてこちらも楽しんでいただけたら幸いです。
(来年なにか楽しいことができたらいいなと思っています)
 
 最後に先方の作品をダイマして以上とさせていただきます。おや? こんなところにBOOTHリンクが……?

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