手々握る

 私には3歳半になる息子がいる。顔がちょっと女の子よりで、名前も女の子みたいなのでよく間違えられる。名前の由来は人との縁を大事にできる子に育つように、そう名付けている。あわよくばナイスミドルになった時に似合う名前にした。所謂キラキラネームではないはずだ。
 息子は暴走機関車みたいな子で、スーパーに連れていけば猛突進、そして急ブレーキ、アンドモップとなり店内の床を全身で磨き始めるようなやんちゃボーイなので、買い物がろくにできず、近所に住む祖母に預けて買い物をする。
 それが最近までの話だ。今日、私は息子を連れて買い物に行った。
「かっかと手繋いでてね」
「うん」
 息子の小さい手がきゅっと私の手を握り、同じテンポで歩く。私は早くなりすぎないようにゆったりと。息子はとことこと歩く。紺色のダッフルコートを着て。
「トーマスのラムネ買っていい?」
 息子のトレンドはきかんしゃトーマスだ。「一個だよ」と言うと頷き、急ぐことなくお菓子売り場へと向かう。同い年くらいの男の子に「こんにちは」と挨拶をしながら、息子はお目当てのラムネを手にし、トーマスの顔がついたラムネボトルをカゴへとそっと入れた。
「お雑煮作るから野菜コーナー行こうね」
「おやさい?」
「うん、ごぼうとか」
「だいこんは?」
「大根はもらったものがたくさんあるから買わないよー」
 そうやって息子は着いていった。お喋りしながらお雑煮の材料だとか、ここ最近のご馳走続きのために胃弱となった自分用に長芋やおくらなんかもカゴに放り込み、レジへと向かった。
 ――すっかりお兄ちゃんだ。レジ横のお菓子コーナーをじっと見詰めていたが、ちゃんと約束通りお菓子をひとつに抑え、隣で会計するのを待っている。
 少し前まで待つのが辛抱ならなかった息子はいなくて、私と会話ができるようになった我が子は覚えたたくさんの言葉を繋げて私との会話を受け止め、投げる。そしてまた受け止めていく。
 家電量販店にも行った。ドライヤーを見に行って
「かっかどれにするの?」
「うーん」
「これ?」
「ちょっと高いなぁ」
なんて話もしながら、今日の買い物を終えた。おまけにこっそりとカプセルプラレールを一度やらせると、きかんしゃの車庫がころりと転がった。息子は不満を言わず、むしろ手持ちのきかんしゃを収められると理解したからか、「はやくあけよー」と急かしていた。
 車の中だと落とすから、家に着いたら開けようね。その言葉を素直に受け止め、息子はラムネを齧りながら最後まで言うことを聞いてくれた。
 私が思うほどに子は大人へと向かう、それはもう物凄いスピードで。息子はまだおむつが外れないのだけど、いつか一丁前にお気に入りのパンツを見付けるのだろうし、絵が描けるようになったり、色んなことができてくるのだろう。
 ぼく、という一人称ともいつかお別れが来るのかもしれない。寂しがるのはいつだって私の方だ。息子は過ぎ行く時間に虚しさも寂寥も覚えたりはしない。今日も私をかっかと呼んで、好きなきかんしゃトーマスと遊んで、お菓子ばかり食べないでと私に叱られ、お風呂は必ず私と入って、それから一緒に寝て。息子は一日一日を全身で、目一杯楽しみ味わっている。
 私はこの奔放さだとか楽観さを奪ってはいけないのだ。たとえ世の中が彼に優しくない可能性があったとしても。私が彼の親になったからには、最低限社会に殺されぬ生活を約束したい。それから、あなたが人を傷つけ陥れない人にならないように教えていけたら。
 私にはできることなんて大してないのかもしれないけれど、今を精一杯生きるあなただからこそ、たくさんのものが変わってもその優しさだとか朗らかさが失われないように、私は見守っていきたい。

 しかしいつかあのふわふわほっぺだとか、むにむにしたお尻とオサラバするのは惜しいなぁ、という残念な母親の本音も零して今日の日記を終えようと思う。本当にうちの息子は顔がいい。

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