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あんたなんか死んでしまえ!って思っていいんだ

先生のコンサルが続き、今度は先生が

「何か嫌なことがあって、嫌な感情をした自分を
決して否定してはだめですよ。

そのときは、○○と思っている私がいる。
と肯定してください。」と言われました。

当時の私には、だっ嫌いで憎くて恨んでいるHさんという人がいました。
それも親戚にです。

とにかく大嫌いで、出来たらこの世からいなくなってほしいと
思うほどでした。

でもどんなに嫌な人でも、親戚付き合いしている人ですから
時には会わないわけにはいけません。

それがとても苦痛で嫌でした。

でも先生の言うことは、とにかく守っていたので、
何か嫌なことがあるたび

「Hさんが、またこんな意地悪をした。本当に死んじまえ!!
・・・と思っている私がいる。」

「Hさんに、嫌がらせをされた。早く死んじまえ!!
・・・と思っている私がいる。」

と繰り返し、自分の思いを肯定していました。


そんなある日、Hさんと会うことになりました。

またいつものように嫌な思い、辛い思いをするんだ。
いやだなーと思っていたら

あれ? いつもと違う・・・。
と、なんだか変な感じを覚えたのです。

用事がすんで帰りの車の中で、
「今日、Hさん、なんだか優しかったね。」

と言うと、主人も子供も
「えっ! いつもと何にも変わらないよ。」
と言うんです。

「そう、そうかな・・・。」

そのときは、それで話は終わったのですが、
また後日Hさんに会ったとき、やっぱりいつもと違うように感じたのです。

「ねぇ、やっぱりHさん、なんだか変わったよね。」

と言うと、また主人も子供も
「えっ!? だからいつもと同じで何も変わらないよ。」
と言うんです。

そうなんです。よーく考えてみると
Hさんが変わったと思っているのは私だけだったんです。

つまり、Hさんは何も変わっていないのです。
(私から言わせると意地悪で、常識が無いままなんです。)

そう、変わったのは私。
というか、Hさんに対しての私の受け止め方が変わったのです。

今までは、Hさんに対して嫌だ! 大嫌いだ! という
否定的な思いだけでHさんを見ていた状態だったのです。

だからいつまでたってもHさんのことを
嫌な人でしかなかったのです。

言葉では、Hさんのことが嫌いなのは当然。
Hさんが悪いんだから・・・。

と言っていても、実は心のどこかでは
私自身気が付かないところで、
Hさんのことを憎んでいる自分のことを
赦していなかったのです。

でも、Hさんに対して大嫌いだ!
という思いをいつもしている自分に対して、

Hさんのことが大嫌いでもいいんだよ
とHさんのことが大嫌いな自分を肯定する(赦す)ことによって、
だんだんHさんに対しての思いが変わってきたのです。

Hさんのことが大嫌いと思えば思うほど、
Hさんの嫌なところしか見えなくなってしまったんです。

そう、すべて私の心が映し出していた嫌なHさんだったんです。
(もちろん今でもHさんのことは嫌いですが。)

よく誰かに相談すると、
嫌いな人を許しましょう。
嫌いな人を好きになりましょう。

と言われる人がいますが、

嫌いな人を許すことはないのです。
嫌いな人を好きになることはないのです。

嫌いな人のことを嫌いと思っている自分のことを
赦すだけでいいんです。

Hさんのことを好きとか嫌いとか考えるのではなく、
Hさんのことを大嫌いと思っている私自身を赦すことで
Hさんに対しての私の思いが変わったんです。


でもこのときの私には、なぜHさんが変わったと思ったのか、
まだちゃんとわかっていなかったのです。

Hさんが変わったと思えた理由が分かるには、
まだもう少し時間がかかるのでした。

ただ単純な私は、Hさんが変わったと思っていることに
ただただ喜んでいるだけでした。

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