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ハムスター職人の休日

【期間限定99円】

『すぐ読める。すぐ変になる』

伊藤円によるヘンテコショートショート集『のうぢる』上巻。シュールでナンセンスな不思議なショートショートをたっぷり54本収録。
次の駅で降りるまでの、頼んだ料理がくるまでの、あとちょっとで家を出るまでの、じっくり本を読むつもりではないけれどなんとなく活字を読みたい時の、何だか退屈な毎日を手軽に変えたい時の、そんな隙間にぴったりな変で不思議なショートショート集。ぜひお楽しみください!


ざらりとしたものが鼓膜に触れ、途端音が鳴り響いた。レトロゲームのような単調な音。その連続がサザエさんのエンディングテーマを模ると、天井から作業デスクに伸びるダクトがたかたか揺れ始めた。その振動は塊となってダクト内を着実に移動してきた。騒がしく、忙しく、或る帰結を孕みながら。よく知る能天気なアニメーションが脳裏に浮かんだ。まさしくそれがダクト内の塊の正体であるようだった。もはや音楽は軽快さを帯びていた。みるみるうちに揺れが下降した。ある非現実な期待が胸をときめかせ、しかし、ダクトから飛び出したのは磯野家の面々ではなく、大量のハムスターだった。

十匹、二十匹、それ以上、数えきれない。茶色を主に黒や白、グレーにライトイエロー、一色染めの個体があればまだら模様の個体もあり、あるいはスターやハートのようなワンポイントを持つ個体と、種々様々な組み合わせが混ざっている。ぐるりを落下防止柵に囲まれた作業机の机面をそれらのハムスターたちが動き回る。ビリヤード玉のように反発し続ける。ぼたぼた足音を踏みならし、きいきい鳴き声をこだまさせ、いかにも威勢がいいのがわかる。突如大挙したハムスターたちに、白く無機質な作業室がどこか腑抜けた感触が満ちている。いったいいつ、サザエさんのテーマが止まっていたのかもわからない。

そんな中、奥村さんは明確な呼吸で、ハムスターの群れに右手を突き込んだ。

迷いなく一匹のハムスターを掴み上げると、一瞬で顔の前に連れてきた。その一動作の間にハムスターは裏返り、可愛らしい手足をじたばたさせていた。そして必死に身を捩るその動きに合わせるよう、奥村さんはハムスターを右手側に設置されたAのボックスにそっと離した。するとハムスターは何事もなかったかのようにちろちろと自分の居場所を探しに、箱の中を動き出した。その間、一秒とかかっていなかった。

そして奥村さんの目には先とは違う冷たい光が灯っていた。いよいよ、奥村さんの仕事が始まるのだ。

一度肩を軽く持ち上げると、奥村さんは両手をハムスターの群れに仕向けた。先ずは右手がハムスターを掴んだ。それを目前に運ぶと同時に左手がハムスターを掴んだ。確認を終えた右手がAのボックスにハムスターを放せば今度は左手が目前に運ばれ、その間に右手は次のハムスターを掴んだ。捕獲、確認、仕分、この一連の動作は無駄なく、淀みなく、そして両の手によって機械的に成されるのだった。一動作の間はやはり一秒もなく、しかし両手になったことで出来高は二倍になっていた。右、左、右、左……みるみるうちにデスクからハムスターが消えていく。A、A、B、A……そしていっこう目を瞠るのは、奥村さんの選別にミスがないことだ。

一般的にハムスター職人として一人立ちするには短くとも五年かかると言う。

捕まえ方一つにしても様々な技術的な壁があるが、何よりも難しいのが選別らしい。無論、初心者でも時間をかければ選別することは可能だ。しかしながら、2000年〜2023年に行われた新入社員研修においての最優秀選別時間を参照すると、多少筋が良くても一匹のハムスターに対して5.8秒を必要とする。言うまでもないが、彼らが一匹のハムスターに苦戦している間、奥村さんはに10匹以上のハムスターを選別している。いかに奥村さんの仕事が熟達したものかがわかるだろう。しかし最も驚くべきは、奥村さんがまだ、入社二年を迎えようかという若手であることだ。

「ほとんど感覚なんですよね。もちろんいい加減にやってるわけじゃないですよ。なんていうか、答え合わせに近いと言うか」

ふふふと笑みすら零しながらしかし、奥村さんの作業の手は止まらない。ころころと視線を動かし的確なハムスターを掴み、選別していく。なるほど答え合わせ、この言葉に偽りはないようだ。奥村さんの右手は常にAのボックスを選び、左手はBのボックスを選ぶ。ハムスターを見た瞬間に、奥村さんの選別は始まり、そして終わっているのだ。

「もちろん最初のころは失敗だらけでしたよ。オス・メスの判別みたいな仕事かと思ってたらまったく違うんですもん。それを分けろって言われたって困りますよ。でも、不思議なもので、しばらくやってくるとわかってくるんですよね。そのハムスターがAなのか、Bなのか」

作業が始まって十分も経たぬうちに虫のように集まっていたハムスターは残り一匹となっていた。その最後の一匹を右手で掴み、裏返すとしかし、奥村さんはAのボックス、そしてBのボックスにもハムスターを導かず、くるりと振り返ると真後ろに設置してあった小型のケージに放した。

「この子はC。AでもBでもないものはCっていう簡単な話ではあるんですけど、実際のところはC+ですかね。そのあたりは流石に精査が必要なので、月末に再選別をしていきます」

奥村さんは微笑みながら、壁の赤い大きな丸いボタンを押した。ベルトコンベアが動き出し、AのボックスとBのボックスが其々の別の部屋に運ばれて行った。空間は殺伐を取り戻した。しかし奥村さんの目にはすでに鋭い光が光っていた。瞬間、音が鳴り始めた。レトロゲームな音色の、サザエさんのテーマ。大きな気配がある。塊の異動を感じる。

「これの繰り返しです」

くいっと肩を持ち上げて、奥村さんは第二ゲートを迎えた。



「お待たせしましたー」

そう言ってエントランスにやってきた奥村さんは別人のようだった。ゆったりとしたジーンズに白いTシャツ。ポニーテールに結った後ろ髪がふらふら揺れていた。衛生服とマスクで隠されていたのが大きいが、そこには二十代前半の若い女の子の姿があった。この女の子が日本を代表するハムスター職人とは、にわかには考えられないだろう。むしろその手に握られたインスタント・カメラが似合う、年頃の女の子に相違ない。

「はい。いつもはさすがにあれですけど、今日は取材ってことで」

奥村さんは恥ずかしそうに笑い、インスタント・カメラを掲げた。

奥村さんの趣味はカメラ散歩だ。

ともあれ何も本格的なものはないと奥村さんは言う。コンテストに送るだとか誰かに披露するだとか言うこともなく、ただただ街を散策してふと気になった景色を撮影する。フィルムが終わったら現像に出して次のカメラを使う。写真はアルバムにしまって見返したりもするけれど、別にそれがいい写真だろうとまずい写真だろうと構わない。とにかく歩いて、写真を撮って、それで十分らしい。写真というのも、元々散歩の趣味があったのだが、いい加減街並みに飽きてきて、気分転換に導入してみただけとのことで、確かに、奥村さんの足取りはおよそ被写体を探しているようには見えない。

「一枚も撮らない日もありますよ。別にそれでもいいですし。ただ、カメラがあるってことが、何となく頼もしい感じがするんですよね」

その言葉通り、奥村さんはただの一枚も写真を撮らずに川にやってきた。水辺に近づくとしゃがみこんで、足元の小さな石ころを弄んだ。目つきこそ柔和だったが、それはどこか作業所での仕事を思わせるものだった。

「職業病かな。こうして石を選別したりして。合ってるのか、っていうか正解とかもよくわかんないですけど、一応こう分けてみたりして」

AとBのボックスがあるかのように、奥村さんの手は素晴らしいスピードで石ころを選別していった。本人がわからないくらいだ、理解しようもないが、そこには何か大きな真実があるように思えてしまう。比重なのか、柄なのか、はたまた何かの素材として適しているのか、そこには、確かに、明確なルールを感じないわけにはいかなかった。ぽん、ぽん、と小石が左右に振り分けられる。かちん、かちん、と可愛らしい音がする。ひとしきり選別を終えると、一枚の小石を川に落とした。小さな水しぶき、それが収まるのを見届けて、奥村さんは腰を上げた。

――なぜハムスター職人に?

「楽そうだなって思ったのがきっかけですね。そんなもんじゃないかな、みんな。この仕事する人なんて。自分で言うのもなんですけど、憧れられるような仕事じゃないと思ってます」

――やりがいを感じますか?

「んー、それなりに、ですかね。新しい記録が出たりするとやったって思うけど、だから何だって思ったりもしますしね。でも、職人としての自負みたいなものはあるかもしれないです。こうして取材してもらっていることも、嬉しいですしね」

――今後の目標は?

「そうですねえ。何もないかも。私って本当に何もなくて。強いていうならお金がほしいですね。さっき職人としての自負だとか言いましたけど、困らないくらいお金があったら辞めますもん。本当にやりたいことはこれじゃない、でも本当にやりたいこともない、だから仕方なくやっていたら、以外と才能があったけど、別にやりたいわけじゃないし、まあ面白がってくれる人もいるみたいだからいいかな、というような、変な感じですね。頑張りたいとは、思いますけど……何なんでしょうかね」

川をあとにして奥村さんは街に戻った。一件のチェーン店のカフェに入り、アイスカフェオレを注文した。そして、鞄から一冊の本を出した。ちゅうちゅう小口にカフェオレを飲みながら頁を捲っていった。好き勝手散歩をしたあと休むこの時間が何よりも好きだと奥村さんは言った。

「1セットになっているかも。散歩して、写真撮ったり撮らなかったりして、カフェで本読んで、帰るんです。別に何も起こらなくても、これが幸せですね。こういう時間を失わないために仕事をしているのかも。でね、今読んでるこれ、面白いんですよ。『のうぢる』って言って、ショートショートみたいなのの詰め合わせです。て言ってもびっくりするような結末とかはなくって、意味不明なものが意味不明なまま終わるんですよね。短いシュール作品みたいな。これがちょうどいいんですよね。誰が書いたのかもよく知らない、偶然見つけたんですけど、はまっちゃって。心地いいんですよね。まったくあり得ない世界の作り話なんですけど、すぐ隣で起きているようでもあって。私の仕事ももしかすると、のうぢるから何かの間違いで現実に反映されてしまった仕事なのかもなって、そんなふうに思わせてもくれる、いい作品集だと思いますよ。下巻も楽しみです」

普段は一時間以上粘ると言うが、取材ということもあり30分も滞在せず店を出た。この後は? と聞くと奥村さんは、「家に帰るだけ」と言った。日本を代表するハムスター職人の休日は、我々一般人と何ら変わりなく過ぎるようだ。そして奥村さんは最後、一枚の写真を撮った。それは道だった。車の一台もなければ歩行者もいない、ただの二車線道路。撮影した理由を聞いても明確な答えはなかった。しかし理解した。ただ、何となく。それこそが奥村さんの哲学でありそして、ハムスター職人たり得る才覚なのだ。

取材中、奥村さんは言った。

「ハムスターたちの行動には当然、一つ一つ意味があります。でも意味が終結しているから、無意味に見える。だからこそこっちもあえて無意味のglassesをかけるんです。すると少しずつ見えてきますよ。何も天才ってわけじゃないです、本当に。私も苦労しましたけど、段々、わかってきましたから」

行き先なき散策、使われないカメラ、シュール小説。曖昧の中にある曖昧な答えを見据え、奥村さんは明日もハムスターを選別する。



【期間限定99円】

『すぐ読める。すぐ変になる』

伊藤円によるヘンテコショートショート集『のうぢる』上巻。シュールでナンセンスな不思議なショートショートをたっぷり54本収録。
次の駅で降りるまでの、頼んだ料理がくるまでの、あとちょっとで家を出るまでの、じっくり本を読むつもりではないけれどなんとなく活字を読みたい時の、何だか退屈な毎日を手軽に変えたい時の、そんな隙間にぴったりな変で不思議なショートショート集。ぜひお楽しみください!



収録作品
アラスカのミーナ / 涙の銀貨 / クレジット埼玉のすゝめ / バイトの女神 / テネシーロイヤルワシントンクラブ / ミーハー / 葛根湯 / 反省 / オブサーバー / やぎ座の神話 / 図解「こどものあそび」その3 険悪しりとり / マイクがいっぽん / 美人局 / おいしい白髪ねぎのつくりかた / 木苺るみアワード / 未来の昔話 / 完全なる飼育 / 油谷くん、おおいにうたう / アール・スチーム / お犬さま / みかん農家ウィン・ウィン物語 / ボーダー・コリー / 全国スピーチコンテスト川崎予選『無人島に持っていくものベスト3』 / いわくつき / リサイタル・イン・バス・ルーム / ヤー・フレンズ / 虫相撲 / ホームルーム百景 / ペンフレンド / テネシーロイヤルワシントンクラブ2 / ニュルンペン・ニュルルンイン・モーガン / 人生ゲーム人生 / 母からの手紙/販売員A / イン・フェスティバル / 記帳ミス / 子どもは育つよすくすくと / 知られざるブルースの歴史~幻のファズサウンド ミント・グリーニア~ / 世界平和/僕の暮らし、私の暮らし / 情報求ム / パーフェクトファミリー / から揚げと妹 / 第12話・ヤンキー姉さんとの出会い / インチキ魔術師と猫のフーゴ / ロックオペラ / 馬鹿田馬鹿助の思案 / うたえばんばん / 待ちぼうけ / うるせぇ猫 / 歌声喫茶 / 白い午後 / 伊勢崎にて / まぶたの裏の住人

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