海賊ブラッド (20)盗賊、海賊

 キャプテン・ブラッドは生ぬるい夕闇の中、独り船尾を歩いていた。丁度、船員が三つの灯に火を点け、大きな船尾ランタンが放つ金色の輝きが大きく広がっていった。彼の周りは全てが平穏だった。その日の戦いの痕跡は既に拭い去られ、甲板にはモップがかけられ、船内には完全に秩序が回復されていた。夜の静けさと美しさによって無頼な気性が柔らげられたのか、メインハッチ(昇降口)にしゃがんだ男達の集団は眠たげに船歌を唄っていた。彼等は左舷の見張り担当であり、間もなく鳴らされるはずの八点鐘を待っていた。

 キャプテン・ブラッドには彼等の声は聞こえていなかった。彼には自分をシーフ(盗賊)やパイレート(海賊)と呼ぶ無情な言葉のこだましか聞こえていなかったのである。

 シーフ(盗賊)やパイレート(海賊)!

 ある種の事物が特定の形状をしているのを知識の上では何年も前から承知していたはずの人間が、にもかかわらず、自分自身の感覚を通じて改めてそれを発見して衝撃を受けるというのは、人間性の奇妙な真実のひとつとして存在するものであるが、これは彼の信念に関する問題にも完全に当てはまっていた。そもそもの初め、三年前にトルトゥーガ島で冒険家としての人生を半ば強制されて以降、彼はその道筋に沿って進んできたのだが、誘惑に屈した自分をアラベラ・ビショップがどのように見なすかは承知していた。自分はもはや、彼女から永遠に拒絶される身なのだという決定的な確信は、ある種の自暴自棄な蛮勇として己の精神に導入され、漂泊者の道を選ぶ最後の後押しとして作用していた。

 彼女との再会など完全に計算外であり、このような事態は夢にも思っていなかった。彼等は永久に隔てられ、それはもはや取り返しのつかぬものと考えていた。だが、それにもかかわらず、彼女についての確信があっても尚、彼にとっては苦痛の源であるこの内省が悔恨をもたらす事なく、ブラッドは常に彼女の思想を我が前に置き続けながら、フィリバスター(不法戦士)として荒ぶる年月を活動してきたのであった。彼は自身に対してのみにとどまらず、自分の後に従う者達にもそれを抑制として使用していた。これほど厳しく統制された海賊団は他になく、これほど確固として節度が保たれ、行き過ぎた略奪や暴行を禁じられていたのは、キャプテン・ブラッドと航海を共にした者達だけだった。先に記した通り、この問題は他の事柄と同様に、首領の命令に絶対服従しなければならぬと契約に明記されていた。そして彼は、その統率の下で成し遂げられた尋常ならざる成功により、バッカニア(海賊)達の間では類を見ない厳格な規律を課す事が可能になっていた。その一連の厳しい規律は、彼が思いを寄せた痩せっぽちの小娘に対する敬意に基づいているのだと打ち明けたなら、この男達は彼をどれほど嘲笑するだろうか?その小娘が今日、シーフ(盗賊)やパイレート(海賊)を彼女の知己には数えないと告げた事実を付け加えたならば、その笑いはどれほど大きくなるだろうか?

 シーフ(盗賊)やパイレート(海賊)!

 この言葉が如何にまとわりつき、如何に刺すような痛みを与え、心に焼きついたか!

 心理学者でもなく、女心の曲がりくねった働きを研究した経験もない彼は思いもしなかったのだが、彼女がそのような言葉でブラッドを呼称したのは、二人が邂逅したまさにその瞬間という時と状況であるという事実は、それ自体が注目に値するものであろう。彼はそれが示唆する問題を認識せず、それが為に真相を追究する事ができなかった。さもなければ、彼は即座に結論に至っていたかもしれない。囚われの身から救い出された恩により、彼には感謝を向けてしかるべきであろうに、彼女は苦渋に満ちた態度を示した。これはその苦渋が感謝よりも先に立ち、かつ根深いものであったからに違いないと。彼女はブラッドの選択した道について聞かされたが為に動揺していた。それは何故であろうか?彼は自分自身にそれを問う事をしなかった。そうしていれば、幾許(いくばく)かの光が差し込み、彼の暗闇を、陰々滅々とした失意を照らしていたであろうに。恐らく、それがさして興味のない問題であれば、彼女もあれほど動揺はすまい――彼の行動について私的な憤りを感じていなければ。恐らく、それ以外に彼女が示したような苦渋と軽蔑の極に至らせるものはないはずだと、彼は推論していたに違いないのだ。

 だがそれは、第三者の判断である。キャプテン・ブラッドはそのように理性的な考えはしていなかった。実際、その夜の彼には理性的な考えなど微塵もなかった。この数年間、彼女に抱き続けていた半ば神聖を帯びた愛と、今、彼女が彼に呼び起こした邪悪な熱情の狭間で、彼の心は葛藤に陥っていたのである。両極端の、そして紙一重の感覚によって混乱し、それがどちらなのか自分にも区別がつかなくなっていた。そして両極端の愛と憎悪は、今夜、キャプテン・ブラッドの魂の中で混乱の極にあり、その融合によって恐ろしい熱情と化していた。

 シーフ(盗賊)やパイレート(海賊)!

 彼が苦しめられた惨い不正にも、彼がバルバドスからの逃亡後に陥った絶望的な状況、彼を追い詰めた諸々の事情についても斟酌せず、彼女が何の留保もなしに彼を定義づけたのがそれであった。彼がフィリバスター(不法戦士)という稼業に身を置く者としては可能な限りその手を綺麗に保っているという事実も、かつて一度は敬意を抱いた男に判決を下すに際して、酌量すべき情状として彼女の心に浮かぶ事はなかった。彼女は彼に与える寛容も慈悲も持ってはいなかった。彼女は既に申し立てを略説し、有罪を宜告し、あの一言で判決を下したのである。彼女の目には、彼はシーフ(盗賊)やパイレート(海賊)に過ぎなかった。それ以上でも、それ以下でもなかった。では、彼女は何者であろうか?慈悲を持ちあわせぬ類の人間とは?彼は星々に問いかけた。

 よし、彼女がこれまでの彼を形づくってきたように、彼女にこれからの彼を形づくらせればよいではないか。彼女はシーフ(盗賊)やパイレート(海賊)という烙印を彼に押したのだ。彼女の見立ては正しいと証明してやればいい。これより先は、シーフ(盗賊)やパイレート(海賊)にふさわしく振舞えばよいのだ。それ以上でもそれ以下でもないように。容赦なく、無慈悲に、その呼称に値する他の全ての者達と同じように。それによって彼は、今まで懸命に針路を保とうと努めてきた感傷的な理想から開放され、二つの世界の間で最善を尽くすという滑稽な葛藤を終わらせる事ができるのだ。彼女は彼がどの世界に属する者かをはっきりと示した。彼女が正しい事を証明してやればいい。彼女は彼の船に乗っており、彼の手中にあり、そして彼は彼女を切望しているのだ。

 タフレール(船尾手摺)に寄りかかり、薄い燐光を発する航跡を見下ろしながら、彼は静かに嘲るように笑ったが、自分自身の笑いの邪悪な響きによって驚かされた。彼は不意に我に返り、身を震わせた。野卑な笑い声を断つように嗚咽が漏れた。手で顔を覆った彼は、その冷たさが頬を濡らすもののせいであるのに気づいた。

 一方、キャプテン・ブラッドに比べれば人類の半分についてよく知るジュリアン卿は、かのバッカニアが完全に見落とした不可思議な問題を解明すべく専念していた。筆者の疑う処では、彼は漠然とした嫉妬のようなものに駆り立てられていたように思われる。自分達が潜り抜けた危難の最中におけるビショップ嬢の振舞いは、猫をかぶったような洗練された優美なたおやかさには欠けるとも、むしろそれを欠くが故にこそ、一層称賛に値する女性も存在するのだと卿に悟らせていた。キャプテン・ブラッドと彼女との以前の関係は、実際にはどのようなものであったのだろうかと疑問に思い、ある種の不安を意識した彼は、今、この問題を調査するように駆り立てられたのである。

 既に記した通り、卿の薄青い微睡むような瞳は注意深く、そして彼の知性はなかなかに鋭かった。

 彼はいくつかの事柄を見落としていた、あるいは少なくとも観察が足りていなかった手抜かりを認め、そしてその事柄と最近の観察結果を迅速に関連づける作業にその日を費やしていた。

 手近な例を挙げれば、彼はブラッドの船がアラベラ号と名付けられている事実に目をとめたが、アラベラというのはビショップ嬢の名前である。そして彼はキャプテン・ブラッドとミス・ビショップが邂逅した際の奇妙な一部始終と、その邂逅が双方に引き起こした不思議な変化を既に観察していた。

 かのレディはあのキャプテンに対して、法外なまでに無礼だった。それは彼女のような状況に置かれたレディがブラッドのような男に対してとるにしては、あまりに愚かな態度であった。そして常のビショップ嬢ならば、あのように愚かな振舞いをするとは到底思えなかった。彼女の無礼にもかかわらず、彼女がブラッドにとっては敵にあたる男の姪であるという事実にもかかわらず、ビショップ嬢と卿はブラッドの船において最大限の気遣いを示されていた。それぞれが自由に使えるように船室が与えられ、そこには彼等の乏しい手荷物の残りとビショップ嬢のメイドが既にきちんと移されていた。二人にはグレートキャビン(船長室)での自由が許され、彼等はこの船のマスター(航海長)であるピットとブラッドの副長ウォルヴァーストンと共に食卓に着き、この両者からは最大限の丁重さをもって扱われていた。そこにはブラッドその人も同席するはずであったが、彼は二人と顔を会わせる機会を周到にと表現してよいほど徹底的に避けていた。

 卿の頭脳は素早く、そして慎重に、考察と観察と関連づけにより筋道をつけて行った。考察の材料を使い果たすと、彼はビショップ嬢から更なる情報を求める事に決めた。その為にはピットとウォルヴァーストンが退出するまで待たねばならないだろうと。しかし卿は然程長く待つ必要はなかった。何故ならば、ピットが先に退出したウォルヴァーストンを追って立ち上がった時、ビショップ嬢が彼を呼び止めて質問したのである。

「ミスター・ピット」彼女は尋ねた。「貴方はキャプテン・ブラッドと一緒にバルバドスから逃れた人達の一人ではなくて?」

「そうです。それに、貴女の叔父さんの奴隷の一人でもありました」

「それで貴方は、それ以来ずっとキャプテン・ブラッドと一緒に?」

「常に彼の航海士としてね、マダム」

 彼女は頷いた。ビショップ嬢は非常に落ち着き、そして自制を保っていた。しかし卿は、この日に経験した事を考えれば無理もないとはいえ、彼女が異常に青ざめている事に気づいた。

「貴方はカユザックという名前のフランス人と一緒に航海をした事はあって?」

「カユザック?」ピットは笑った。その名前はお笑いぐさの記憶を呼び起こした。「ええ。奴とはマラカイボで一緒でした」

「では、ルバスールという名前のフランス人も?」

 卿はこれらの名前を彼女が記憶していた事に驚いた。

「アイ(はい)。カユザックはルバスールの副長でしたから、奴が命を落とすまでですが」

「命を落とすまで?」

「ルバスールがですよ。奴は二年前にヴァージン諸島の島の一つで殺されました」

 しばしの間があった。それから更に静かな声でビショップ嬢が尋ねた。

「誰が彼を殺したのですか?」

 ピットはあっさりと答えた。答えてならない理由はなかったものの、とはいえ彼はこの矢継ぎ早の質問に好奇心を感じ始めていた。

「キャプテン・ブラッドが殺したんです」

「それは、何故?」

 ピットはためらった。これは女性の耳に快い物語ではあるまい。

「二人は争いました」彼は簡潔に言った。

「それは……あるレディをめぐって?」ビショップ嬢は容赦なく彼を問い詰めた。

「そういう言い方もできますね」

「そのお嬢さんは、何とおっしゃる方?」

 ピットは眉を上げた。しかし彼は答えた。

「ミス・ドジェロン。トルトゥーガ総督の令嬢です。彼女はあのルバスールの奴と駆け落ちして、そして……そしてピーターは奴の汚い手中から彼女を救い出したんです。奴は腹黒い悪党で、ピーターは奴にふさわしい末路を用意してやっただけの話です」

「わかりました。それで……それなのに、キャプテン・ブラッドは、まだ彼女と結婚していないのですか?」

「してませんよ」マドモアゼル・ドジェロンをキャプテンの未来の妻と噂する、トルトゥーガ島ではお馴染みのゴシップが全くの事実無根と知るピットは一笑に付した。

 ビショップ嬢は静かに頷き、そしてジェレミー・ピットは質問攻めが終わった事に安堵して、退出する為に背を向けた。彼は戸口でちょっとした情報を伝える為に立ち止まった。

「キャプテンがお二人の為に当船の針路を変更したのをお伝えすれば、お気持ちも安らぐかもしれませんね。ポートロイヤルに接近する危険を冒してジャマイカの浜から貴方がたを上陸させるのは、キャプテンの意向によるものです。我々は既に針路を転じたので、この風が続けば、程なく御自宅にお帰りになれるでしょう、マダム」

「実に懇篤(こんとく)な方だ」返答しようともしないビショップ嬢を眺めながら、卿が物憂げに言った。彼女は陰鬱なまなざしで虚空を凝視したまま座していた。

「まったくですよ」ピットが同意した。「キャプテンの立場からしたら、大変な危険を冒しているんですから。でも、それがキャプテンのいつものやり方なんですよ」

 ピットは退出し、後に残された卿は物思わしげな様子で、その微睡むような青い瞳はつぶさにビショップ嬢の心ここに在らぬ表情を検分し、その胸の内はいよいよ落ちつかぬものとなっていた。ようやくビショップ嬢は彼に視線を向け、そして話しかけた。

「カユザックの話は本当だったようですね」

「貴方がそれを確かめていた事には気づいていました」卿はそう言った。「それが何故なのかと不思議に思っているのですが」

 答えを返されぬまま、面長の顔を囲む金色の鬘(かつら)の巻き毛を繊細な指でもてあそびつつ、卿は静かに彼女を観察し続けた。

 思いに沈んだまま座しているビショップ嬢は、眉を寄せ、テーブルクロスを縁どる精緻なスペインレースをじっと見つめていた。遂に卿は静寂を破った。

「仰天させられますね、あの男には」ゆっくりとして、もの憂げな、決してその落ち着きを失わぬような声で彼は言った。「我々の為に針路を変えたという、その事自体も驚きに値するが。しかし彼が我々の為に危険を冒すとは――あえてジャマイカ水域に入るとは……。仰天ものだ」

 ビショップ嬢は視線を上げて彼を見た。彼女は考え込んでいるようだった。それから彼女の唇は奇妙に震え、侮蔑に近いと彼には思われる態度を示した。彼女のほっそりした指がテーブルをトントンと叩いた。

「それより驚くべきなのは、あの人が私達を人質として利用しない事ですね」ようやく彼女は口にした。

「貴女はそるされるに値するでしょうね」

「あら、でも何故?」

「貴女が彼に向かっておっしゃった言葉で」

「ああいった事柄については、あのように表現するのが普通ではないかしら」

「貴女はそうなさると?まったく!褒められた話ではありませんよ。あのような言動は、余程の未熟か、あるいは度の過ぎた愚かさをひけらかすものです」卿はサンダーランド伯流の処世術に学んだ者であった。彼は少し置いてから付け加えた。「そして忘恩を露呈するものでもありますね」

 うっすらとした朱が彼女の頬に上った。「随分厳しい事をおっしゃいますのね。悲しいわ。お叱りの理由には、卿おひとりの信条よりも確かな根拠がありますのかしら。恩知らずというのが未熟な人間と愚か者だけの欠陥だなんて、初耳です」

「そのような事を言ったのではありませんよ、マダム」彼女の辛辣な態度に誘われて、彼の語気も辛辣さを帯びた。「御傾聴いただければ、誤解もなくなると思いますが。私は貴女と違って常に自分の考えを率直に口にする訳ではありませんが、少なくとも伝えねばならぬ事については率直に申しますので。感謝に欠けるのは人の常かもしれません。しかし、それをあからさまに示すのは子供じみています」

「私……私にはわかりませんわ」彼女は眉を寄せた。「私がどのように、誰に対して感謝に欠けるとおっしゃるの?」

「誰に?キャプテン・ブラッドにですよ。彼は我々を救出しにやってきたではありませんか?」

「彼が?」彼女の態度は冷ややかだった。「ミラグロッサ号に私達が乗っていた事を彼が知っていたなんて、存じませんでした」

 卿はわずかに苛立ちを示した。

「彼が我々を救出した事は、貴女も承知なさっているはずですよ」彼は言った。「そして、貴女のように植民地にお住まいの方が、イングランドでさえ知られている事実を見落とすはずがない。あのブラッド一味が襲うのは常にスペイン船だけです。ですから貴女がシーフ(盗賊)やパイレート(海賊)と呼んだのは、あの時の彼に対しては言い過ぎであり、いま少し言葉を選んで慎重になさるべきでした」

「慎重?」彼女の声は軽蔑的だった。「慎重に何をするべきだったとおっしゃるの?」

「すべき事は何も――私の認識する限りでは。ただ寛容を学ぶ事を除いては。率直にお話ししますが、マダム、ブラッドと同じ境遇に置かれたとして、私は自分がそう親切に振舞えるとは思えませんね!まったく!彼がイングランド人の手にかかって経験した事を思い起こせば、貴女も私同様、彼がスペイン船とイングランド船を区別している事に驚嘆なさると思いますが。奴隷として売られるとはね!うう!」卿は怖気を振るった。「しかも忌まわしい植民地の農園主に!」彼は突然言葉を切った。「失礼、ミス・ビショップ。つい……」

「卿は弁護に熱中なさるあまり、我を忘れてしまわれたのね、あの……シー・ロバー(海賊)について」ビショップ嬢の嘲りはほとんど激烈なものだった。

 卿は再び彼女を凝視した。それから彼は大きなペールブルーの目を半ば閉じて、わずかに首をかしげた。「貴女が何故それほどまでに彼を憎むのか、不思議ですね」彼は静かに言った。

 彼はビショップ嬢の頬に突然燃え上がった緋色の炎と、その額に急激に浮かんだ強い嫌悪を見て取った。自分は彼女を相当に怒らせたらしい、と彼は判断した。しかし激発はなかった。彼女は自制を取り戻した。

「憎むですって?まぁ!心外ね!あんな輩は気にもしていませんわ」

「では、今後は大いに気にかけるべきですね、マダム」卿は率直に考えを話した。「彼には注目されるだけの価値がある。国王陛下の海軍にとって、彼は逸材ですよ――彼が今朝やってのけたような事ができる男ならばね。デ・ロイテルの下で積んだ経験は伊達ではないようだ。故ロイテル提督は偉大な海の男であったが、如何に見積もっても弟子は師に劣らぬ雄才のようだ。今の英国海軍に彼と張り合えるだけの人材がいるかどうか。至近距離にあって、冷静に敵艦二隻の中に自船を突入させ、戦況を逆転させるとはね!それには勇気と機転、それに独創力が必要だ。そして彼の機略によって欺かれたのは、我々のような海に不慣れな者だけではない。スペイン海軍の提督ですら、ブラッドに王手をかけられるまで意図を読む事はできなかった。素晴らしい男ですよ、ミス・ビショップ。注目に価する人物です」

 ビショップ嬢は皮肉を言わずにはいられなかった。

「サンダーランド伯への影響力をお使いになって、国王陛下があの人を将校に任命なさるようお勧めするべきね」

 卿は静かに笑った。「お任せあれ、既にお勧めしましたよ。このポケットには陛下の任官辞令があります」そして彼はそっけない事情説明によって彼女を更に驚かせた。卿は彼女を驚嘆に落とし込んだままその場を去り、ブラッドを探しに出向いた。とはいえ彼は尚も策をめぐらせていた。もしも彼女がブラッドに対する態度についてもう少し譲歩を示してくれれば、卿にとっては更に好都合であったのだが。

 卿はクォーターデッキ(船尾甲板)をゆっくりと歩いているキャプテンを見つけたが、その男がこのような稼業にありながらも悪魔に抗い格闘して、精神的に疲れ切っている事は知る由もなかった。親しげな愛想のよい態度で、ジュリアン卿は自分の腕をキャプテンの腕に置き、横に並んだ。

「一体何の真似です?」不快を露にしてブラッドは厳しい口調で言った。卿は動じなかった。

「貴方とは、ぜひ友誼を結びたいのですよ」彼は丁重に言った。

「なんとも畏れ多い事だ!」

 ジュリアン卿はあからさまな皮肉を無視した。

「私が貴方を探す為にインド洋にやってきた事を思えば、我々がこのような形で対面するのは奇妙なめぐり合わせですね」

「私を探し回っているのは貴方だけではありませんよ」ブラッドは嘲るように言った。「とはいえ、その大半はスペイン人で、貴方ほどの運も持ちあわせてはいなかったが」

「貴方は完全に私を誤解しておられる」ジュリアン卿は言った。その上で、彼は自身とその任務について説明した。

 彼がそれを話し終えた時には、驚きでしばし立ち尽くしていたキャプテン・ブラッドであったが、卿の腕をほどくと向かい合う位置に来た。

「貴方がたは、この船においては私のゲスト(客人)だ」彼は更に言った。「そして私は、未だ旧き良き日々に身に着けた礼節の名残のようなものをわきまえているのだ、シーフ(盗賊)やパイレート(海賊)であるとしても。故に私は、よりにもよってこのような申し出を携えていらした貴方とサンダーランド伯――親族である貴方を倣岸にも派遣するよう仕向けたのは、あの閣下なのだから――についての感想を口にするのは控えましょう。とはいえ、ジェームズ・スチュアートの大臣が、人間は誰もが皆、賄賂を使えば己を信頼する者達を簡単に裏切るはずと考えていたとて、さして驚くべき話でもないが」彼は片腕を振って海賊達の半ば物悲しい調子の船歌が聞こえてくるウエスト(中部甲板)を示した。

「それも誤解ですよ」懸念と憤慨の半ばする調子でジュリアン卿は声を上げた。「そのような意図はありません。貴方の部下達も含めての任官辞令です」

「そして貴方は彼等が同胞の――『浜辺の同胞』の狩りをする為に、私に従うと思われるのか?私に言わせれば、ジュリアン卿、誤解しておられるのは貴方だ。イングランドには、もはや名誉という概念すら存在しないのだろうか?ああ、それにまだある。貴方は私にあのジェームズ王の辞令を受け取る事ができるとお考えか?申し上げるが、私はそんなもので自分の手を汚すつもりはない――たとえそれがシーフ(盗賊)やパイレート(海賊)の手であろうとも。シーフ(盗賊)やパイレート(海賊)は、貴方が今日お聞きになった通りにビショップ嬢が私を呼ぶのに使った言葉だ――蔑むべき者、追放されし者。そして私をそのような身に追いやったのは誰だ?誰が私をシーフ(盗賊)やパイレート(海賊)にしたのだ?」

「貴方が謀反人であったのなら…?」卿はそう口にしかけた。

「貴方は私がそのような者――謀反人などではなかった事を理解しておくべきだ。そして濡れ衣を着せられたのですらない、それならばまだ許せるほどだ。連中は自分達の卑劣な仕打ちを取り繕おうとすらしなかった。嗚呼、そうだ。冤罪ではない。私は己の実際の行いによって有罪を宣告されたのだ、それ以上でも以下でもない。あの血に餓えた吸血鬼ジェフリーズ――バッドセス(奴に災あれ)!――は私に死刑を宣告し、そして奴の御立派な主人であるジェームズ・スチュアートは、その後に私を奴隷として売り飛ばしたのだ。私がマーシー(憐み)に基づいて行動したという理由によって。生相憐む精神から、思想信条や政治的立場に関りなく、同胞の苦痛を和らげようと努めたという理由によって。叛逆に与した一人の人間の傷を手当てしたという理由によって。私の犯した罪はそれが全てだ。それは全て記録に残されているはずだ。そして私が奴隷として売られた理由は、神の定めた法に反してジェームズ・スチュアートによって執行されているイングランドの法によって、謀反人を匿った者、あるいはその世話をした者は、その者自身もまた叛逆の罪を犯しているとされるからだ。貴方は奴隷の身に落とされる境遇を夢にでも考えた事があるのか?」

 彼は激情の最高潮で突然言葉を切った。彼はひと呼吸おき、それからあたかも外套を脱ぎ捨てるかのように昂ぶりを捨て去った。彼の声は再び低くなった。彼は疲労と軽蔑の小さな笑いを発した。

「おっと!つまらぬ事で癇癪を起こしてしまった。釈明させていただくが、これは常の私の振舞いではありません。御厚意については感謝いたします、ジュリアン卿。心より。とはいえ御理解いただけるはずです、恐らくは。致し方のない事であると」

 ジュリアン卿はじっと立っていた。彼はブラッドの激情的で心を揺すぶるような言葉の噴出に打たれ、深い衝撃を受けていた。それは鋭く明快で、この男の人類に対する厳しい主張の論拠を非常な説得力をもって提示し、彼に着せられた全ての罪に対する完璧な弁明と正当な根拠となっていた。大きな船尾ランタンに照らされて蒼白い微光を帯びたブラッドの鋭く不敵な顔を見る卿の目には葛藤があった。彼は忸怩たる思いであった。

 卿は深い溜息をついた。「残念だ」彼はゆっくりと言った。「ああ、まったくもって――呪わしくも残念な事だ!」彼は突然の義侠心に駆られて手を差し出した。「だが、我々の間に悪感情はないだろう、キャプテン・ブラッド!」

「おお、悪感情などありませんよ。しかし……。私はシーフ(盗賊)やパイレート(海賊)の類ですから」喜びの欠けた笑みを浮かべ、差し出された手を無視して彼は踵(きびす)を返した。

 長身の人影が船尾付近の甲板に向かって歩み去るのを眺めながら、ジュリアン卿はしばし立ち尽くしていた。それから両腕を落胆でだらりと垂らし、その場を離れた。

 彼等の船室がある方向に続いている通路に入った処で、卿はビショップ嬢に出くわした。彼女は室外に出てきた処ではなかった。なぜなら彼女は彼に背中を向けており、彼と同じ方向に歩いていたからである。卿は彼女の後に従ったが、彼の心はキャプテン・ブラッドの事で完全に占められており、この時の彼女の行動については意識の外にあった。

 船室に戻った彼はどっかりと椅子に座り、そして常の彼らしからぬ荒々しさで激発した。

「ええい、あれほどの好漢はめったにいないというのに。それなのに彼とは物別れ以外に道がないとは」

「その話は聞いておりました」彼女は小声で認めた。彼女はひどく青ざめ、自分の組んだ手を見つめていた。

 彼は驚いて見上げ、次に物思わしげな目を精査するように彼女に定めた。「私は疑っているのですよ、今」しばし置いて彼は続けた。「あの敵愾心は貴女の言動に影響されたものではないかと。貴女の言葉は彼の心にわだかまっている。彼は私に向かって繰り返し、あの言葉を放ちました。彼は国王陛下の任官辞令を受けないでしょう。それどころか、私の手をとる事すら拒否するでしょう。そのような者の末路はどうなる?命運尽き果てた時、彼はヤードアーム(桁端)でその命を終えるでしょう。あのドン・キホーテのごとき愚か者は、我々の為に今や危地に向かって突き進んでいるのですよ」

「危地って、どのような?」彼女は驚きと共に尋ねた。

「どのような?貴女は彼がジャマイカに向かっている事、そしてジャマイカが英国艦隊の本部である事をお忘れか?貴女の叔父が指揮している……」

 彼女はテーブルの上に身を乗り出して彼の話に割り込んだ。卿は彼女の呼吸が苦しげになり、その目が恐怖で見開かれているのを見て取った。

「でも、それでは彼に逃れる術はありません!」彼女は叫んだ。「ああ、考えられないわ! 彼にとって、この世であれ以上の敵意を持った敵などいません!私の叔父は冷酷で容赦のない人です。叔父がバルバドスの農園を離れてジャマイカの総督代理職を引き受けたのは、ひたすらキャプテン・ブラッドを捕らえて絞首刑にしたいが為だと私は信じています。キャプテン・ブラッドはそれを知らないのです、そうに違いありません……」彼女は無力感を示す弱々しい身振りをして言葉を切った。

「もし彼がそれを知っていたとしても、さしたる違いはなかったと思いますね」厳かに卿は伝えた。「ドン・ミゲルのような敵を許す事ができる男、そして私に向かって断固とした態度をとれるような男は、普通の物差しで計る事はできません。彼は愚直なまでに騎士道的だ」

「そして、それにもかかわらず、彼はこの三年間をずっと、あのように過ごし、あのような事を行ってきたのです」彼女はそう言ったが、しかし今や彼女の口調は悲しげであり、それまでの蔑みは影もなかった。

 筆者の見立てによれば、ジュリアン卿は金言を多用する人物であった。「人生は、時としておそろしく複雑に成り得るものなのですよ」彼は溜息まじりにそう告げた。

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