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苦労の根底部分は同じなのかもしれない

「便利な世の中になった」「あの頃は大変だった」、今と昔を比較してこういったことをいう人は多い。

戦時中の話や戦後の復興期の話などを聞き、物も家も食べ物もないような時代と比べると、確かに今の時代は物は豊富だしそう簡単には死ぬこともない。

それなら今の時代の人はみんな幸福かというとそんなことはなく、今の時代でも相変わらず大変そうにしている人はたくさんいる。

これだけ便利な世の中になったのに、それでも大変そうにしているのは、昔の人に比べて、今の人の大変さに対する忍耐力が落ちてしまっているのだろうか。

個人的には、現代を生きている者として、過去よりも忍耐力が落ちているというような劣化認定されるのは悔しい気持ちもあり、「そんなことはない、いつの時代にも今までにない新しい苦労は生まれているんだ」と、過去の人にも負けてないと思おうとしていた。

最近漫画『ドラえもん』を読んでいるのだが、その中でのび太が「学校や宿題のない過去の方が楽しかったのではないか」と思いつき過去の生活を体験しに行くという話が時々ある。

江戸時代あたりに行ったり、もっと過去の縄文時代あたりに行ったりする。そこで農作業や薪割りをやったり、火山の噴火や野生生物に襲われる体験をして、学校や宿題のない昔もいいことばかりではななく、苦労があったことを知る。

そして現代に戻ってきたのび太は「ぼくらのすんでいるこの時代を少しでもよくするために頑張ろう」と決心する。

時代時代でかかえている問題は違うだろうし、苦労をする内容も違うだろう。でも、どの時代の人も「今の時代をよくしよう」という部分は共通していたのではないかと思う。

「過去の方が大変だった」とか「いやいや現代だって大変だ」とかいって競いあったり、優劣にばかり目を向けると、過去vs現代という構図になってしまう。

でも、どちらの時代も「自分たちの住むこの時代を少しでもよくするために頑張っていた」のだと思うと、同じように苦労を乗り越えようとしている仲間のように思えてくる。

未来では今では考えられないような技術が出現し、今よりも生活が便利になっているかもしれないが、きっとそんな未来であっても過去の人々や現代の人々と同じように「この時代を少しでもよくしよう」と頑張って苦労する仲間がいるのだろうなと思う。

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