DAY142 わたしは祈られている、という気づき。

『わたしは祈られている』
そう気づいたら、涙が溢れた。

細胞のひとつひとつに祈られている。
万物に祈られている。

あなたはここにいていい存在
あなたは愛すべき存在
愛されるべき存在なのだと。

そして
愛そのものなのだと。

わたしが祈っているようでいて
実は祈られていた。

このことが、
わたしのエゴの鼻っぱしを
折られたような感覚になった。

わたしだけが
祈っているのではない。

万物すべてが祈っている。
すべてのものが
わたしを幸せにするために
存在している。

愛と祈りがあって、初めて
感謝が生まれるのだろうと思う。

愛されて、祝福されて
この世に生誕していること。
万物に祈られていること。

それはすなわち、
生かされているということ。
だからこそ感謝が
自然に湧き上がってくる。


愛も祈りも感謝も、
おこなうものではなくて
営みの中で自然と湧き上がるもの。

だから営むのだ。
人間は人間としての営みを。

自然に生かされている
宇宙に生かされている

細胞たち、
スピリットたちに守られて、
祈られて、動いている。


ただ自分と共にあること。
スピリットと共にあること。
すべてが調和の中にあること。

哀しみに目を向ければ
哀しみが映し出されるし
喜びに目を向ければ
喜びがやってくる。

それこそが調和だ。

すべての調和の始まりは
自分とのシンクロニシティ。

完全一致することで、
不完全ささえも、
美しく愛おしいと思える世界がある。

最近、空が美しい。
山も雲も太陽も樹々も風も鳥のさえずりも
そして居合わせたわたしも

すべてが完璧で
何ひとつ欠けていては
完成しなくて

というか、そもそも
欠けているという概念すらなく
すべてが必要なピースで。

観測する、という
わたしの存在さえも
ピースのひとつに過ぎない。

いまここに存在して
すべてを感じながら観測していること
そこから生まれる感情がギフトだ。

この美しきすべてのピースが
わたしをわたしたらしめている。
祈られているって、そういうことだ。

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