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心情写真としてのイチョウ

 私は冬のイチョウが大好きです。
 紅葉の秋が見頃の木ですが、冬の姿もよく見てほしい。荒々しい木肌、複雑に分かれた刺々しい枝々、その異形。モノクロ写真だとそのグロテスクな有り様が際立ちます。

 イチョウに魅せられて10年。そのきっかけとなったのが彼(雄木)です↓ここはガストの駐車場でした。ガストが無くなってもこの木はまだここにあります。

 容赦無い切られ方…

 10年前、スマホかコンデジで何気なく撮ったイチョウをモノクロに編集した瞬間、驚きました。
 「私の心が写っている」と。

 始まりの一枚。

 当時は前の職場で散々辛い目に合い、心身ともにボロボロ、理想と信念は打ち砕かれ、すっかり悲観的になっていました。この写真のイチョウは、偶然にも私の絶望や傷だらけの心の叫びを写しているように見えたのです。そしてこの思い込みに過ぎない一枚の写真に、私はなぜか理解者を得たような安らぎを感じました。こういうのは心理学的に何ていうんでしょうね?今でも不思議に思ってます。

 今の私はあの頃と比べてかなり幸せ。自分で選んだ別の職場で仕事に打ち込み、休みの日は趣味に没頭、充実しています。
 けれど誰もがそうであるように、心の中は複雑で、辛さや哀しみは消えない。大小入り混じった悩みがいつも渦巻いている。なので、私は毎年イチョウを撮ります。その奇妙奇天烈で異様な有り様、痛々しくもありユーモラスでもあり怪物の姿にも見える、美しい木。
 カメラを構えてイチョウと向き合えば、優しく相槌を打ってくれるような気がしてうれしくなるのです。

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