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2023年、初夏~梅雨時のおとぼけビ~バ~を振り返る

6/18(日) YATSUI FESTIVAL! 2023(O-WEST)

6/20(火) 「でも大満足」オジンオズボーン篠宮とのツーマン(高円寺HIGH)

6/22(木) 「rocknomukougawa2023」水中、それは苦しいとのツーマン(新宿Marble)

6/25(日)  SiM主催「DEAD POP FESTiVAL 2023 -解-」(川崎市 東扇島東公園特設会場)


と、おとぼけビ~バ~を4本駆け抜けるように鑑賞。水中のジョニー大蔵大臣(敬称略)とも、やついフェス後の痛飲も含めて5日間で3日お会いするスケジュールで、随所随所の話がすべて面白すぎた。ちなみにおとビ~はその間にも2公演こなしているし、先日は京都大作戦にも出演した。


よよよしえ&ジョニー大蔵大臣(with看板はSUPER BEAVER。ex.マンガショックという衝撃)

ハコの大きさ、客層、雰囲気、野外/室内と、条件も環境も何もかもが異なる中、おとぼけビ~バ~はおとぼけビ~バ~の4人として常に妥協なきパフォーマンス。海外ツアーの怒涛ライブスケジュールを乗り越えてきているだけあり、ON/OFFの切り替えや体力の使い方も含めて彼女たちがプロ(アスリート)であることを実感させられる。

30分でも45分でも60分でも、しっかり魅力をパッケージングする構成は完成度が高い。MCは親切だし、初見の人には「NEXT SONG IS……」と曲タイトルを告げるだけで笑いが取れる。だが、決して弛緩した空気にはさせない、ピンと張り詰めた4人の姿勢たるや。ツーマン2本ではそのときならではのコラボもあったし(篠宮さんのおとび~曲仕込みが凄まじかった)、フェスでは持ち時間30分程度なのに余裕の10曲超え、ラストにはギター投げorダイブと、「芸事・芸人へのリスペクト」「曲の短さ」「ステージングの見せ方」といったメンバーのルーツ・趣向やバンドの特性が、ただ驚かせるだけでなくそのまま個性として受け入れられる状況まで来ているのは確か。タイミング良く名古屋・ブラジルコーヒーでの演奏風景が日本のみならず海外も席巻、トミー・リー、チャド・スミスとまさにビッグネームにまで動画が届くことに。そんな最注目のドラマーかほキッスは、現在もしっかり骨折中なのだ。


かほキッス(骨折から回復中とは思えないハッピーポージング)

一方で、よよよしえのダイブシーンに付けられた醜悪なコメントの数々をはじめ、女性バンドだしこういう表現をしても怒られないだろうと言わんばかりのウザ感想(語尾に褒めてます、と入れれば済むと思ってるやつとか)、少し方向性は異なるがオリエンタリズムベースでの海外評価カテゴリに巻き込まれたりと、何かと音楽以外のノイズが増えているのも事実。世の中に知られはじめるとネガティブウェーブが謎に押し寄せてくるのを実感する。勝手に俎上にあげられるのも考えものだ。

高円寺HIGH本編終了後のよよよしえ。ビートたけし走りで去っていったのを私は見逃していない

それはそれとして。
演奏がテクニカルで凄い、と評価を受けているおとビ〜。もちろんそれには同意するし自分もそう書いてきたが、ただ彼女たちは上手い演奏を見せようとしているのではない。セッションやインプロで巧さを見せるプレイからは遠い位置にあって、楽曲の持つメッセージがもっとも伝わるサウンドを追求する中で、その最適解としてチョイスされたものである。ひろちゃんの話し言葉のように動きまくるベースライン、かほキッスの変拍子×ブラストが入り乱れるのにスケール感のあるドラム、よよよしえのキャッチーなリフと切れ味鋭いオルタナギター、それらは楽曲を完成させる過程で積み上げられた産物であり、だからこそグローバルに人々を惹き付ける力に繋がるのだろう。「携帯みてしまいました」のあの高速ビートは、「Why?」の感情を発露するためにあるから美しい。

飄々とベースを弾くひろちゃんの存在感は髪色と相乗して強い


おとビ〜の音楽的バックボーンが読みづらいのも、そこにひとつの答えがあるように思う(加えて4人に影響を与えた音楽・お笑いがけっこうバラバラ)。しかしながら、その中心にあっこりんりんの深みある歌詞と自在なボーカルがあるというのがやっぱり強みだ。

なんやかんや4人のバランスはいつ見てもステキ

あっこりんりんの歌詞の素晴らしさ、オリジナリティを担っているのは、主観と客観の見事な融合にある。「サラダ取り分けませんことよ」を例に取ると、「女だからって、後輩だからってさも当然のようにサラダ取り分けさせるな!このキモ上司!」と表現しても成立はする。しかし、あっこりんりんは、「場合によっては取り分けてもいいけど、基本は取り分けなくてもいいよね。だって“向き・不向き”があるから」という、至って冷静で、取り分けたがる人の気持ちもおもんばかりながら、なおかつ膝を打つ内容として提示する。「ジジイ is waiting for my reaction」も、便宜上、ジジイとなっているが対象は全年齢なのは聴いていくとよく分かる。よよよしえの「ジジイ、ジジイ、ジジイ、ひとつとばしてクソジジイ」といった口上の“ひとつとばして”は、年齢性別を取り払って、という意味にすら聞こえてくる(自分には)。「孤独死こわい」も一見、刺激的なタイトルと内容だが、孤独も死もすぐそばにあるし、突如として襲いかかってくる怖いものなのは誰もが認識していることなのだ。

MCのときにたまに見られるアイコンタクト


あっこりんりんの考えが、100%の答えや正しさを担っているかと言えばそれは違うだろうし、すべてを受け入れる必要はないだろう。ただ、いつも新しい視点を引き出してくれるし、歌詞だけでなくTwitterやSNSも含めてそれを知ることで世の中や人間の理が腑に落ちることもある。それだけの覚悟、が見える。
メンバー全員で奏でられるサウンドだってそう。あまり類型を見ないから落ち着かないところはあるかもしれないが、その先の見えない展開にある気持ちよさ、一体感を敢えて主張しない潔さが、どこか救いになったり、希望になったり、居場所になったりするのだ。

ひとりきりでさびしくても、それが普通だから、それを抱えたまんま、また逢いましょう――そう告げるのがおとぼけビ~バ~の音楽なのである。


ラブリーサマーちゃんとのツーマンを控える


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