人にどう見られたいかではなく、自分がどう在りたいか。ローランド様のお言葉が心に響き過ぎた話。

人にどう見られたいかではなく、自分がどう在りたいか。
モノを選ぶにあたって彼が言った名言である。

自分が人にどう見られたいか。
自分がどう在りたいか。
この言葉って似ているようで実は全然違う言葉だ。

歌舞伎町界で有名なホスト、ローランド。店舗No.1のホストのイメージなんて、大金を稼ぎ、住む家はとにかく高級、とにかく広い、高級ブランドは山のように買い、自慢の腕時計を身につけて接客をしている。ビップなインスタにはありがちな人を想像する。

しかし彼は少し趣向が違うようだ。
最近までホテル暮らしをしていた彼が家を買った。確かにその場所は東京の夜景を一望できるどこかのタワマンのようではあるが、ものすごくなにもない、シンプルな部屋に住んでいる。そこでセレクトしたものが「自分が本当にお気に入りのもの」だけである。

確かにそこには数々のビップなブランドをセレクトしているが、服も靴もそれは一種類だけというこだわり。そしてハイブランドな靴も修理しながら履き続けているというのだ。さらに驚くのがパンツはユニクロ、美容品は無印、メモ帳はアブラサスという、ローコストからハイコストのセレクトをしている点が面白いと思う。服はHMもちゃんと着るんだよアピールをするセレブ有名人はよく見かけるが、そんなの庶民を味方にするマネジメントの一種だと思う。しかし彼は本当に自分にとって良いものを探しているうちにそれがウン千万の商品であったり、100円単位のものであるだけのようだ。

インスタや動画でよく見かけるWhat's in my bag (カバンの中身)。個人的に見るのは好きなのだが、ブランドが主語になっている人がとても多い気がする。グッチの財布を持っている私。○○を持っている私。それにはとても疑問を感じていた。別にブランドを買うことにいちゃもんをつけているわけではない。個性を爆発せよという話でもない。ただ、インスタにいる人たちは、オシャレなモノを持ってるはずなのに全員同じように見えるのだ。
彼の場合、自分自身がブランドと考える。ローランドというブランド。そんなローランドがブランドが使っているか、使っていないか、あくまでも自分を主体に自分の在り方を決めている。

モノ(装飾)は見栄をはるものとして扱う人が多い。自分というアイコン(ブランド力)が気薄だから、だからこそブランドの力をかり、着飾ればその結果モノが主語になってしまう。ブランドを着ることで、ある種のステータスを感じているのかもしれない。しかし自分自身をちゃんとブランディングしていれば(自分がどう在りたいかを見つけている人は)自ずとモノの主語を借りる必要がないのだ。

モノを買う時に自分はそれを本当に気に入っているであろうか。
気に入っていないのに、人にこう見られたいからものそれを買ってしまっていないだろうか。安いからとりあえずと適当にモノを増やしていっていないだろうか。買いたい衝動だけで買ってしまっていないだろうか。本当に自分が気に入って、本当に欲しいと思っているから買う。これには明らかに物に対する敬意が違うと思う。そうやってひとつひとつのものにこだわりをもつと、彼のようにおのずと物は少なく、ひとつひとつを愛していこうと思うのだろう。

ローランドをものすごくベタ誉めしてしまっているが、彼のモノに対する考え方はとても共感できるし、私もそうやって物を選んていこうと思う。

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