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「才能と感情」

才能のことを英語で "a gift” と言うそうだ。
ギフト。なんといい響きだろう。

才能を自分のものとしてちゃんと所有したらそうなるのだろう。

しかし実際のところどうだ。
日本語で「才能」なんて言葉を日常的に使うだろうか。初めて才能に関してのセミナーに参加した時は「自分に才能なんてあるわけない」という印象しか残らなかった。

もしくは才能があるなどと豪語しているひとほど何やら怪しく聞こえてきたりした。才能という単語一つで、かくも自分の心がまっすぐに立っていられないのを感じた。

とかく、自分のことになると受け止めきれない。
「あなたには〇〇の才能がありますよ」
言うのは構わないが、言われたら「いや、そんなことないです。とんでもないです」そんな気分になったものだ。

ある分野で詳しくなると、その分野の深さが分かるがゆえに一層「そんなことないです」と言ってしまう。

謙虚といえば聞こえはいいが、この状態では才能を生かすことができない。自分の力を自分で過小評価してしまっているからだ。

この逆も然り。
これだけ勉強した。これだけ困難に耐えた。だから自分はすごいんだ。誰の力も借りずにやってきた。そう感じて知らず知らずのうちに傲慢になってしまうこともある。これもまた才能を生かすことができない。

自分の才能を有効に使えるようにするためには、よりフラットに自分の才能を所有していきたい。
ここでいう「才能を自分のものとしてちゃんと所有する」というのは、才能に対して特別すごいわけでなく、卑屈になるわけでもない状態。「それが私に与えられたギフトです(以上マル)」と言える状態だ。

こうなると、精神的にひとと競争することが減る。
他者の才能を認めることができ、また力を借りたり貸したり、
人間関係も良好になりやすい。妬まれることも少ない。
自分のエネルギーがスムーズに使えるようになる。

どうやったらそこに近づけるのか。
こういうことに感情的知性が活かせる。

またの機会で書いてみたい。

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