2013年8月12日の雑文


 ああ、書けない。


 書けない。何も書けない。俺は何を書こうとしていたんだ?それすらわからない。白いなあ…目の前は真っ白だ。僕は紙を真っ白な綺麗なままにしておくか、インクで真っ黒に汚すことのどちらかしかすることができないんだ。


 ああ、白い、白い。せめて青だったらよかったのに。抜けるような空の青の色。あるいは人を引き込んでしまいそうな、誘惑的な海の青。そんな色だったらよかったのに。

 海があればきっと貝もあるだろう。そうしたら俺は貝の殻をこじあけて、その中のふかふかの貝の身のベッドに横たわり、暖かい真珠を抱いて眠ることができたのに。ここは牢獄だ。冷たくて、骨身まで凍えてしまうような床しかない。


 ああ、どこか遠くへ行きたい。遠くとはどこへ?日本の裏側のブラジルだろうか?いや、ブラジルなんて日本と大して変わらない。では火星か?いやいや、もっと遠く。特異点の向こう側まで!そこまで行ったら何があるのだろう?そこには一体何があって、僕はどんなダンスを踊ることができるのだろう?ラジカセぐらいはあるだろうか?ラジオは届くのだろうか?…ラジオの電波も届かないような遠くの場所まで、僕は本当に行きたいのだろうか?


 未来はコーヒーのように真っ黒だ。せめてミルクを加えてカフェオレにしたいものだ。しかしどこにミルクがあるんだ?牛はすべて資本家が独占している。…仕方がない。その辺を歩いている農民を口説き落とし、その母乳をコーヒー用のミルクとしようじゃないか。…しかし子供は何を思うだろう?僕の大切な栄養源を、何でそんなことのために使うんだよ、と恨めし気な目で僕のことを見るかもしれない。なるほどそれは正論だ。しかし…。しかしミルクを分けあうことぐらいは出来るのではないだろうか?

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 パリへ行きたい。嘘だ。

 シンガポールへ行きたい。もう行った。


 君はどこへ行きたい?タイムマシンがあるとする。1回だけ時間遡行をすることができるとする。さて、僕はどこへいくべきなのだろう?行きたいところはたくさんある。しかし、一番行きたいところはどこか?と問われると、僕の口はかたく閉ざされてしまう。貝のように、あるいは(中略)


 僕はどこに行きたいんだろう?


 あるいは、現在にタイムトラベルするのもいいかもしれない。今この瞬間にタイムトラベルするのだ。そうすれば、タイムトラベルを終えて、現在に戻ってきた僕自身と、僕は対話をすることができるはずだ。現在を好き勝手生きて、その上それをもう一回やりなおすことができるだけでなく、すでにトラベルを一度終えた僕自身にいろいろとアドバイスを仰ぐこともできる。うむ、これはなかなかいいアイデアだと思うぞ…

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 ああ、僕はカエサルになりたい。そしてルビコン川を渡る…前にルビコン川で戯れたい。此方と彼方の中間で、あちら側にいくわけでもなく、こちら側へ戻るわけでもなく、中途半端な場所で、絶世の美女とはいわない、どこか心や体がねじまがった女性たちと戯れ続けていたいのだ。それを醜悪な趣味だと言う人はいるかもしれない。しかし、結局のところ、人類はそういう状態になることを待ち望んでいるのではないだろうか?動と動の間の小康状態。期待と不安の入り混じった交感神経が起動している状態。そんな状態でありつづけることを、人は心の底ではのぞんでいるのではないか?そしてその中で永遠に有益なことなど何一つ表現しないダンスを踊り続けていたいと思うものなのではないだろうか?


 画鋲ではタイヤに傷をつけることはできない。アイスピックならばどうだろう?しかしいずれにせよ、これから盗もうとする車のタイヤを破損させる馬鹿はいない。


 ああ、帰りたい。しかし帰るべき場所がわからない。

 ああ、泣きたい。しかし泣き方を忘れてしまった。

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 踊れ踊れ!仮面をつけて、紅をひいて、その汗のにじんだ鍛え上げられた肉体に炎を照り返させるのだ!にじんだ汗など、誰かになめてもらえばいい。そして踊るのだ。最後には自らの体を火に投げ込み、そして灰となるのだ。そうすればきっと君は天国にいける…


 運動して汗をかいた女性は美しい。


 現代ではすべてが労働だ。銀行から金をかりて設備投資をするのも仕事。投資家から金をかきあつめるのも仕事。本屋にできるだけ多く新作を引き取ってもらえるよう交渉するのも仕事。プレゼンも、感情表現をするのも仕事。家族をつくるのも、結婚するのも仕事だ。何もかも仕事。およそ考え付くすべての行動には金が介在している。そのうち歩いたり息をすったり、鼓動をうって全身に血液を送り出したり、金を出して何かを買うことすら労働になってしまうことだろうよ。

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 さあ、何も考えたくないぞ。何もしたくないし、何一つとして生産的なことをしたくない。


 かといって何かを壊すこともしたくない。壊すとは、実はとても生産的な行為なのだ。何か余計なものがその空間を、土地を占めているために存在することができないでいるすばらしいものが世界にはあふれている。口先だけがうまい重鎮のために意欲作を発表できないでいる芸術家。レコード会社の都合により好きな歌を作ることができないでいる作曲家。本妻がいるために好きな相手と結婚することができないでいる2号。天才がいるために1位になることができない万年2位。モーツァルトがいるから輝けないサリエリ。丈高く、鬱蒼と伸ばされた高木の枝葉のために太陽がさえぎられ、うまく成長することができないでいる熱帯地域の下草たち。枚挙にいとまがない。僕が何かを考えたくないのも、何か悪魔のような生き物が僕の貴重な発想力の源泉に石が何かを放り込んで水つまりを発生させてしまったからなのだ。そうだ、きっとそうに違いないのだ…

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 疲れている。筋肉の疲れとはすなわち乳酸がたまっているということだと聞いたことがある。しかし、脳の疲れとはどんなものなのだろう?脳には乳酸はたまるのだろうか?あるいは別の何かがつまるのだろうか?それとも脳が疲れるなどというのはくだらない迷信の一種なのだろうか?

 この考えはどこにも行き着かない。何物をも生み出さない。せめて少女が目の前にいればいいのに。あるいは妹でもいい。高知県沖にあるという伝説の妹背島。そこにはきっと僕が理想とする妹もいることだろう。死ぬまでに一度ぐらいは行ってみたいものだ。

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 cancer(癌)の語源は蟹なのだという。もちろん一般的に蟹を指し示す英語の単語は、crabというものがちゃんとある。しかし心得のあるものならばcancerが蟹の意味も含んでいることをちゃんと知っているだろう。そういう人々はやはり癌を宣告されたとき、得体の知れない蟹が自らの体の中で暴れまわり、ついには自分の命の火がともされているろうそくを蹴飛ばそうとしているところを想像でもするのだろうか?するのだとしたら、どこかそれは滑稽な光景ではないだろうか。いや、本人はきっと真剣で、深刻なのだろうけれど。ちなみに漢字の「癌」の語源は岩、とのことだ。やはり日本人としてはそちらの方がしっくりくるような気がする。それとも西洋の人々は、「おいおい、東洋のやつらのcancerを指し示す単語の語源は岩なんだってよ。cancerの恐ろしさはそんなものじゃないよな。じっと黙ってうごかないでいてくれる岩だったらどんなによかったことか…増殖するからcancerは恐ろしいんじゃないか…」とかなんとかいっているのだろうか。

 まあどうでもいい。

 正確に言うと、もっと別のことについて考えたいということだ。別のこととは何か?神か?虚無か?天皇か?…あるいは数学か…

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