2013年11月29日の日記


 まともな日記は近頃とんと書いていない。それどころか文章すらもろくなものを書いていないのだ。なぜそんなことになってしまったのか?という問いは正しくない。そもそも本当に私は自分に毎日文章書かなければいけないという義務を課していたのか?そういうところから問うていかなければいけないのだ。


 そうだ、必ずしも私は毎日文章を書かなければいけないという戒律のもとで暮らしてきたわけではない。ただなんとなく、書ける気分の時に書いてきた、ただそれだけだったのだ。だから吹雪のように文章が乱れ飛ぶ日もあれば全く凪の日もある。そういうことなのだ。


 そもそも文章など、書こうと思っておいそれと書けるようなものではないのだ。私にとっては。テーマが決まっていなければ私は本当にろくな文章を書くことができない。

 しかしとりあえず今のところ「日記」というテーマは与えられている。とすれば少なくとも今は、今日のところは文章を書くことができるということだろうか。

 今日は1日頭がぼーっとしていた。少し味が濃い目のタンメンを食べた。悪霊を読んだ。ランニングにでかけた… というところだろうか。夕食は納豆、温泉卵、水餃子の入った味噌汁、イカの炒め物であった。

 若干風邪気味でもあったが、心と体を奮い立たせてなんとかランニングへと出かけた。ひどく寒く、風も強かった。体は鉛のように重く、足を出しても出しても亀のような速度でしか前に進むことができなかった。

 紅葉の季節もはやくもたけなわで、ちらほらと葉を完全に落として裸になった木々も姿を現してきた。この街ももう冬に覆われるのだ。とすればありとあらゆる点でやる気がでないのも仕方がないということか。


 冬は人間の矮小さ、無力さを思い知らされる季節だ。気温が1度下がるとその経済効果は数百億円にものぼるとかなんとか。しかし逆にいえば数百億円分も経済が動かないと人は1度の気温低下にすら耐えられないということなのではないだろうか?暖房がより活用されて電力や燃料が余分に消費されるということだけではない。心にぽっかりと空いた穴を埋めるためにみんな何かを買い求めるのだ。その結果経済が動くのだ。そしてその集積が数百億円分の経済効果としてデータに記録されるのだ…

 かくいう私も冬には無力を感じる。自分は風に飛ばされて吹き飛んでしまうような枯葉のような存在なのではないかという錯覚にも襲われる。「自分は何者でもない」。それも悪くはない。何者でもないということは神に最も近い存在であるということだし、また、虚無について腰を据えて考える資格があるのもやはり自らの中の虚無を自覚している人間だろう。とすれば私は人間の文明をここまで発展させてきた、神と無という2つの巨大思想にくるまれながら生きているということになる…

 しかしこんなことはくだらない話だ。冬がもたらした幻想だ。冬の雁の戯れにすぎない…

 てんで日記にならなかった。しかし今日の私にはこれが限界なのだ。許してもらいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?