2013年2月15日の日記


 今日は朝は遅く起きて、朝食を食べてから

しばらく携帯をいじりながらごろごろしていた。

リビングの掃除が終わった後パソコンでdear中文版を聴いたが

とても良かった。元々原曲の歌詞があまり好きではなかったのだが

それが丸ごと中文に差し替えられてしまったので、自由にメロディ

を楽しむことが出来た。翻訳された曲ではたまにこういうことが

起きる。

 昼食のうどんを食べてから昼寝をした。

腹の調子があまりよくないのでランニングはひかえた。

結局今日は朝に2回、夜に1回と合計で3回トイレにいった。

まあこれなら許容範囲といったところだろうが、

大事をとってランニングにはいかなかったのだ。決して

さぼったわけではない。そのはずだ。


 


 夜は手製のチヂミと鶏肉のみそづけ?のようなものであった。

1日中腹はぐるぐるとなっていてかなり不穏な雰囲気であったが

結局血便はでなかった。昨日はお粥という腹に優しいものだったし、

なんとかこのまま持ち直していってくれることを期待している。

 

 今日のニュースはグアムで起きた無差別殺傷事件に

ついての続報がメインだった。日本でなぜ時々痛ましい

事件が起きるのかすらわからないのに、グアムでなぜ

こんな事件が起きたのかなど、わかるはずもあるまい。

結局我々にできるのは悼むことだけである…とミヤネ屋を

みながらうどんをすすって考えていた。

 犯人は地元ではちょっとだけ名をしられた俳優だったらしい。

自主映画を学生がとって、その主役をつとめていたとのこと。

しかし俳優活動はあまりかんばしくなかったようだ。高校を

2年留年して卒業もしている。これだけ材料がそろっていれば、

マスコミはもう自由自在に彼の「犯行動機」をでっちあげることが

可能になるであろう。しかし心の中はわからない。

結局のところ事件は起きてしまったし、被害者は戻ってこない。

いくら事件をわかりやすい形に整理したとしてもその事実は

変わらないのだ。


 まあいい。

 レスリングについてはどうだろうか。オリンピック委員会のロペ会
長という人はまだ本決まりではないと発言しているらしい。

そう発言することで彼はどんな意思を表明しているのだろうか?

全くなんでもいいけれど文化や伝統を大事にしないのだったら

オリンピックの名前はギリシャに返上してもらいたいものだ。

 さて、文章を書きすぎたな。しかし今日はまだもうちょっと文章

書きたい気分だ。

 こうやって文字の流れに身をまかせるのは心地がいい。

なんとなく自分が高尚なことをしているような気分になってくる。

しかも金はかからないし、誰にこの文章が見られるということもない。

ただ見る可能性があるのは未来の自分だけである。

 

 しかしひとたび言葉の奔流からはじきだされると

とたんに不安に襲われる。自分の水源は枯渇してしまったのでは

ないか、自分の中にはもう何も語るに値すべきものはなくなって

しまったのではないか。空気のごとく無限にあると思われたものにも

限りがあったのではないか。そういうことを僕は感じずにいられないのだ。


 まあいい。これ以上書いてしまってはもうこの文章は

日記ではなくなる。今日はこの辺でキーボードをうつ手をとめよう。

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