2011年10月6日の「イルカに救われた話」


 先週の日曜日から昨日の水曜日まで、水源は枯渇していた。水源とは、ようするに気力のことだ。生きる気力。前向きになる力。それが完全に枯渇してしまっていたのだ。原因はおそらく先週の桜台での合宿のせいだろう。さすがに力を使いすぎた。人間の精神とはゴムのようなものだ。伸ばしすぎれば、その反動もすさまじい。しばらくはどうしても使い物にならなくなってしまうのだ。

 そんな枯渇した水源に、また水を取り戻してくれたのは、意外にもイルカだった。


 私も全く予想外だった。まさかイルカにそんなに救われるとは・・もちろんイルカだけのおかげではない。それにイルカは比喩だ。順に説明していこう。


 本当にひどいのはおとといの夜だった。どうしようもなかった。そんな時は思いっきり歩いてどこか遠い図書館で本を読むのが最高の気晴らしになると知っていたから、私は翌日(つまり水曜日)には○○中央図書館に行こうと思っていた。


 しかし水曜日は雨だった。肌寒かったし、図書館まで行くのは正直骨が折れた。しかし結局私は行った。そしてそこで三島由紀夫の「幸福号出帆」を読んだ。家に帰って私は今シーズン初のシチューを食べた(日曜日には今シーズン初の鍋を食べたっけ)


 食後勉強しようと思っていたが、どうしようも刑法の判例を読む気がしなかった。だから私はパソコンを開いた。そこで瘴気に触れた。ネガティブなほうネガティブなほうへと自らを誘ってしまった。そして随分落ち込んでしまった。

 もうインターネット上の何を見ても、心を動かされなくなったしまった。ほとんど完全に水源が枯渇してしまったのだ。


 だから私は、一縷の望みをかけて、ひたすらに光の差すほうへと、私の乗っている泥舟をこいでいった。


 私はブラウザゲームをやった。


 そしてそこでイルカに出あった。イルカをひたすらジャンプさせるゲーム。イルカを空より高く、宇宙まで飛ばすゲーム。それで私の心は飛躍した。

 また、他のいくつかのブラウザゲームの尽力もあって、私はなんとか水源を復活させることができた。

 それでもその夜は寝付くのに時間がかかった。依然として落ち込んでいたのも事実だ。しかし、朝になり、窓の外に広がる一面の青空を見たら、水源は復活した。次々と活力があふれだしてきた。渇ききった大地は水でみたされ、幾槽もの希望を載せた船が、次々と出港していった。その中にはもちろん私を救ってくれたイルカもいた!かくて世界は救われた!色と形を取り戻したのであった・・・


 それにしてもイルカ、私には縁のない動物だと思っていたが・・・まさか私を救ってくれるとは。これは、いずれ熱烈に感謝をせねばなるまいと私は思った。
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