2013年5月18日の日記(演義)


 僕は今日も川を渡って竜を倒しにいった。


道端に生えている桐の木の枝には青い花がいっぱいついていた。

頭上の青い空をつばめは気持ちよさそうに8の字に飛んでいる。

風はほどよくつめたくて、闘いにのぞんで火照った僕の体を冷やしてくれた。

川にかかっているはずの橋はやけおちていた。河原で

BBQをしていた若者たちが酔っ払って火をつけてしまったとの

ことだった。

僕は途方にくれていたけれど、まもなく1人の老人が近づいてきて

僕に話しかけた。


「対岸へ渡りたいのかね?」

「ええ。そうなんですよ。」

「全くばか者どもが橋を落としてしまったからの。困ったもんじゃ。

ところでお主はなんで対岸へ行きたいんじゃ?」

「竜を倒しにいかなくてはならないんです。」

「ほお。今時の若者にしては珍しく殊勝なことじゃ。

最近のやつらといえば洟垂れのガキからスーツを着込んだ

政治家にいたるまで竜を見ようとしない。

竜の圧倒的な力に恐れて敬うのならまだしも

その脅威から目を背けようとするとは…全くこの街に

未来はないわい。」

「はあ・・・」

「おっと、思わず愚痴が出てしまったな。忘れてくれ。世迷言じゃ。

ところでわしは舟を持ってる。対岸まで連れて行くことができるがどうじゃ?」

「助かります。よろしくお願いします。」

「うむ、では。」

といって老人は手を差し出した。

僕が戸惑っていると老人はいらいらしているということを

隠しもせずに2、3回手をぶんぶんと上下に振った。

「何を鳩が鉄砲玉くらって脳天ぶちまけたみたいな顔してるんじゃ。

金だよ金。大体昔はこのあたりは橋なんかなくて

渡し場だけがあるだけじゃった。わしも代々渡し守として

生計をたてていた家系でのお。全くあのころはいい時代じゃった。

こんな狭い舟にのお、20人も30人もすしづめにしてのお。

1人か2人川に落ちても知らん振りじゃ。それでも

対岸に渡りたい奴はごまんとおったからの。しかも渡し守たちは

結託して組合を作っていたから橋を作るなんて話しも新しく

船守を任命するなんていう話もなかった。本当にいい時代じゃった。

まったく革命が起きて何もかもが変わってしまったがな。

…じきに橋も修復されるじゃろう。せいぜいわしは

その時まで荒稼ぎさせてもらうことにするぞよ。だから金だよ金はやく出せ。」

僕は財布から金を言われるままに出した。渡しの船賃の相場が

いくらなのかなんてことは知らないけれど、かなりぼられていたような

気がする。

「毎度。それじゃあもうすぐしたら出発するからの。そこの

茅がたくさん生えているあたりの先に舟を隠しているからの。

先に乗って待っていてくれ。」



 僕は背丈ほどもある茅をかきわけて進んでいった。体中に

虫がいっぱいひっつく。足元は濡れていて靴はびしょびしょ。

道として最悪の部類の道を僕は進んでいった。

やがて一際背丈の高い茅に囲まれて舟が浮かんでいる場所に

たどり着いた。すでにここは浅い川瀬で、

足首まで水に浸ってしまっていた。

近くに杭がうたれていてそこに舟はロープでつなげられている。



 僕はとりあえず舟の上にのってぬれた靴と靴下を脱いだ。

舟の上には小動物や虫の死骸がいくつも落ちていたうえに

ひどく湿っていた。さらに獣の皮を乾かしたもののような生臭い嫌な

匂いがあたりには立ちこめていた。僕はしっかりと口を閉じていた。

少しでも緩めればそこから際限もなくどすぐらいものが飛び出てきそうだったからだ。

いずれにしても僕は竜を倒さなくてはならないのだ。こんなことで

へこたれるわけにはいかない。


 そうこうしているうちに老人はやってきた。尻をかき、舌打ちをしながら。

「全くどいつもこいつも船賃が高いっていいやがる。

高いっつうなら乗せてやらんぞといってもそれなら対岸なんて

いかなくていいやなんてことをぬかす。全く甲斐性のない奴らだよ。」



 ぶつくさいいながら彼は舫をとき、舟を出した。

しばらく茅で前を見えないような水路を進んでいたが

やがてすぐに視界は開けた。対岸の河原や堤防、

その先にあるマンションや商業施設などが見える。

橋近くのいわゆる繁華街を越えた先、丘を登ったところにある

温泉施設にどうも竜は潜伏しているとのことだった。

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 僕たちは中洲のそばを通り抜け、流れの緩やかな川を

わたっていった。空はペンキでもぶちまけたみたいに

隅々まで青かった。ぎらつく太陽の光は

ゆらめく水面に反射してきらきらと輝いていた。

風が汗ばんだからだを乾かしてくれて気持ちいい。

舟で川を渡るのも悪くないもんだ、と僕は思った。

ただ依然として変なにおいはするし虫はわくわで大変ではあったのだけれど。


 岸辺に木々がうっそうと生えて、その枝葉がこんもりと水辺の上まで

繁っているあたりに舟は乗り付けていった。かすかに太陽の光が

もれるばかりでほとんど真っ暗なその隠れた場所にはおどろくべきことに

なんと桟橋まであり、その先には小屋まであった。


 丸太を組んで作った桟橋に僕は降り立った。枝葉は体のまわりあちこちに

のびている。老人は杭に舫を結んでから桟橋へ降りた。そして

「はやくいけ」とばかりに僕の背中を押して前へ進めさせた。


 繁る枝葉の幹が密集して生えるあたりの間に小屋はあった。

老人は入り口へいたる階段を登っていった。

ドアを開ける前にこちらへ振り向きこういった。

「そっちの光が差し込む方へ行けば開けた場所に出るからの。

堤防を越えれば街だ。まあ別に迷宮というわけでもないから

迷うこともないと思うがの。」

老人はそういって小屋の中へ入っていこうとした。

僕はあわてて頭を下げて礼を言った。

老人は特に反応もせずに体を小屋の中へ差し入れて

ドアを閉めた。僕は森の出口に向かって歩いていった。


 堤防を越え、僕は道なりに進んでいった。

すると大通りに出た。この道を

川と反対方向へずっと進んでいけば

竜が潜伏しているとみられる温泉施設に

つくことができる。僕は道ばたにあるレストランに入って

腹ごしらえをしてから息を一つ大きく吐いて

胸を張って歩き始めた。


 坂の途中に温泉施設の入り口はあった。

僕は自動ドアをくぐりぬけて薄暗い照明のロビーを

歩いていった。そしてカウンターで

一日券を購入して中へ入っていった。

 通路をぬけて浴場へ行く。脱衣場で服を脱ぎ、

そしてタオルの中にかみそりをくるんで隠して

浴場へのドアを開けた。

 正面に巨大な浴槽が見える。その後ろはガラス張りになっていて、

ちょっとした木々の向こうに街の様子が一望できるようになっていた。

ここは丘の上なのだ。

 その浴槽の後ろの方にふんぞりかえって鼻歌を歌っている男が1人いた。

彼が竜だった。

 竜は僕が浴場に入った瞬間から僕の存在に気付いていたようだった。

竜はただじっと僕から目を離さないでいた。

 僕は浴槽に足から下半身を差し入れた。かなり湯の温度は高かった。

こらえながら湯船の中を進んでいく。水面は波打ち、その波はやがて竜のもとに

伝わり、

竜のしみに彩られ脂肪でたるみきった胸にぶつかって軽い水しぶきを

あげた。竜は頭にのせていたタオルを取ってそれで顔を拭いた。

すると竜のみすぼらしいはげ頭があらわになった。


 僕は竜の隣に腰を下ろした。かみそりをくるんだタオルは

決してぬらさないように気をつけて。


竜が僕に話しかける。

「よくここがわかったな。」

「密告者がいたのさ。あんたの最も信頼していた奴だ。」

竜は微笑む。それが自賛なのか自嘲なのか、

僕にはわからなかった。

「俺は全ての部下を平等に信頼している。どんな重要な情報でも、

末端の構成員にいたるまでみんなちゃんと知ってる。

だから「最も信頼していた奴」という情報だけじゃ

裏切りものが誰なのか判明させることは俺にはできない。」

「そんなやり方をしてるから何度も殺されるんだ。」

「だが、何度でも復活する。だからこのやり方でいいんだ。」

僕は隙を見てタオルの中からかみそりを取り出して

竜の首をかききった。血しぶきがあがってよくそうを赤色に染めていく。

竜は白目をむいてよくそうの底に倒れこんだ。

僕は湯船からあがって桶に水をため、それを頭からかぶって血を洗い流した。

かみそりの血も洗い流してから脱衣所へと向かった。


僕は浴場を出る前につぶやく。

「何度も復活するから僕が何度も殺さなくてはならないんじゃないか。」

僕はできるだけ迅速に体を拭いて服を着て脱衣所を出た。

ロビーへ向かう途中の通路でこれから

浴場へ向かうと見られる客とすれ違った。浴場の惨状が

人に知られるのも時間の問題だ。僕は早足になった。


 ロビーの入り口から外に出る直前、ものすごい悲鳴を耳にした。


僕は坂をすごい勢いで下っていった。しかししばらくいったところで

すでに通りには検問がしかれていたことに気付いた。

さすがに反応がはやい。温泉施設からすぐに警察へと連絡がいって、

捜査線がしかれたのであろう。僕は路地へ入り込み、

遠回りして河原へと向かうことにした。


 僕は路地をいき、道なき道をいき、時には民家の敷地内を通り抜けながら

なんとか堤防を越えて河原までたどり着いた。そしてかなり河原を

歩いて例の舟が隠されている森まで戻ってきた。

僕は小屋のドアをどんどんと叩く。しかし反応はない。

しかたなく僕は桟橋を渡って舟に乗り込んで

舫を解いた。櫂を取り出して舟をこいでいく。

ある程度いくと急に小屋のドアが開いて老人が出てきた。

老人は桟橋の先まで杖をついて歩いてきて、大声でこういった。

「お前は正当な対価を支払わずに無実の老人から舟を奪っていった。

いずれお前はその罰を受ける。そのことは覚悟しておけ。」


 僕は尻のポケットを探って財布を探した。しかし

財布はなかった。もしかしたら脱衣所においてきてしまったのかもしれない。

僕は正真正銘の無一文で、老人から舟を奪ってきてしまったのだ。

僕の腹に、苦い苔の生えた石を飲み込んだときのような嫌な感じが

残った。


 僕は対岸につくと杭に綱で舟をつないだ。今日はもうへとへとで

これ以上何をすることもできなかった。僕は住んでいる国道沿いの

アパートにふらふらになりながらようやくたどり着き、

着替えすらしないでベッドで眠り込んだ。

 2週間もすると焼け落ちていた橋が修理された。

僕は舟を老人のところへ返そうと思って

河原の、舟をつないだ杭のある葦のたくさん生えているあたりへと

向かった。しかしそこにあるはずの船はなかった。

杭につながれていた綱は明らかに鋭利な刃物で

切断されていた。盗まれたのか、あるいは誰かのいたずらか、

それはわからなかったが、僕が老人に舟を返すという形で

贖罪することはもう不可能になってしまったことだけは確かだった。

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