2013年2月14日「雑文」

 

 2009年の夏。僕は黴くさい大学図書館の地下室で

カントやハイデガーを読んでいた。

純粋理性とは何だろう?とか存在と時間の関係とは?

などということについてあれこれと考えていた。だけど

さっぱりといっていいほどその意味がわからなかった。


 今なら少しはわかるだろうか?僕は要するにカントは

物事そのものには触れることはできない。

しかし、触れることができないからといって

物事が存在しないと言い切ることはできない。

ということを言っていたのだと理解している。実践理性批判とかもう一つの

批判本については読んですらいない。

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 図書館に併設されている喫茶店でコーヒーをよく飲んでいた。

そこの窓から、秋になって黄金に輝く銀杏の並木が

のびていて、正門前の庭園から会館までの道が見えた。

会館には学長室や事務室がある。僕はずっと

その道を眺めていたが、誰一人としてそこを通るものはなかった。

僕はコーヒーを飲み干して勘定を支払い、外のベンチに座って

空を眺めた。


 あのころはカントを読んでいた。そして2011年の年末から

2012年の年初にかけてはルソーを読んでいた。今僕は

ゲーテを熱心に読んでいる。本ばかりたくさん読んでいるが、

その内容が自分の身についているのかどうかはわからない。

時々僕は自分が何かを知ることを恐れているようにも思える。

何かを深く知ることによって自分という人間がどうしようもなく

変わりきってしまうのが怖くて、あえて表面の無難なところばかり

を削っている。自分が続けてきたのはそんな不毛なことなのでは

ないのかという不安が僕の背中をぞくぞくさせる。

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 2009年の夏のことなんて何も覚えていない。あの年には確か

選挙があった。所属していたゼミの先生が民主党の関係者で、

彼はとても気持ちを高ぶらせていた。「これで世の中は良い方向に

変わる」なんてことはもちろん言わなかった。

子どもですら今の時代そんなことは信じない。しかし僕は見た。

授業が終わって生徒たちが部屋から退室した後に、

彼が机の下でしっかりと手を握ってガッツポーズをしていたことを。


 

 夏休みに古い友人たちと会った。彼らはみな一様に進路をきめ、

不安におそわれながらも未来へと至る道を一歩ずつ

進んでいこうとしていた。僕には彼らが崖から道を踏み外そうと

しているようにしか思えなかった。はるか下に見えるのは

真っ赤な血の沼で、彼らはそこにダイブするために嬉々として

準備体操をしている。僕にはそう見えたのだ。

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 ひょんなことから知り合った帰国子女のことを思い出す。

彼女は自分が日本社会に受け入れらないのは

自分がアメリカ育ちだからだといっていた。向こうは向こうで

東洋人の顔つきの自分を差別した。私はどこにも居場所がない。

だから最近はユダヤ教に改宗しようかと思っている…

彼女はことあるごとにそういっていた。けれども彼女は帰国子女なんかじゃ

なかった。東京生まれの雑司が谷育ち、軽そうな奴は大体友達の元援交少女

に過ぎなかった。

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 僕は日曜日、彼女を新宿伊勢丹で開かれていたロートレック展に

連れていった。そしていかにロートレックが娼婦を愛していたか、

そしてロートレックがどんなコンプレックスをその肉体に抱えていたか、

そういうことを一つ一つ熱をこめて彼女に

教えていった。そして最後に筒井康隆のロートレック山荘殺人事件

僕は彼女に貸して別れた。次会うときに返してくれればいいよと

言って。それは当時すごく好きな本だったから、きっと

いつかそれを読み返したくなって、それで彼女のことを

思い出すことができると思って。それを信じて。

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 でも僕は思い出さなかった。今の今まで。

僕の記憶の中にはいつのまにか深くて暗い谷間が作られ、

そこにロートレックも本も偽の帰国子女である彼女のことも

すっぽりと覆い隠されてしまい、そして永遠に顔を出すことは

なかった。彼女から連絡がくればよかったのだろうけれど、

彼女はそういうタイプじゃなかった。そういうタイプじゃないからこそ

彼女は孤立していたのだ。


 その他にも色々とあったけれど、2009年のことについては

今回はこの辺にしておこう。


 2010年のことについて話をしてみよう。


2010年の冬休み、僕は布団を頭からかぶって家で寝込んでいた。

僕はするべきありとあらゆることを放棄していた。

僕はある役所に話をききにって、それを一枚の紙にまとめる

ということを頼まれていた。僕はわざわざ電話をかけ、

役所にいき話をきいた。あとは適当に文章をまとめるだけ

だった。にもかかわらず僕は紙をまとめて

しかるべき人に送るということをしなかった。

電話もメールも無視して頑なに僕はすべきことをすることを

放棄した。なぜそんなことをしたのか…というよりそんなことが

できなかったのかということは今でもわからない。


 そういうわけで僕はコタツの上のみかんを食べながら

ニュースを見ていた。政治では民主党が

沖縄普天間基地の移転問題で揺れに揺れていた

宇宙人鳩山はテレビでもネットでも現実でも連日

火矢のような批判にさらされていた。僕はテレビを消して

硬いクッションを枕にしてまぶたを閉じる。そして夢の中で

…拳銃をもったスパイとなったり猛獣使いとなったりしていた。

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 そのころどんな本を読んでいたのか?記憶は全くないと

言っていい。昔のメールをさぐってわかった限りでは

普通の推理小説とか叙述トリック小説などを好んで読んでいたようだ。


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