見出し画像

生活、そしてバンド

年を越すと19歳になる。

年を重ねると、徐々にワクワクできることが減っていく感覚がある。
子供の頃はもっと身近なことにもっとワクワクできていた。
例えば今日の夜ご飯のこととか、サッカーゲームでどの選手を使うかとか。
友達は多い方ではなかったが、かなりワクワクするのが上手な子供だったのではないかとさえ感じる。

最近は半ば諦めを感じていた。
自分という人間に生まれてきてしまったからにはもう何かでワクワクしたり、普通の人間のように日々の生活を楽しむことはできないだろうという諦めだ。

大学の友達と喋ることも、音楽などの芸術に触れることも楽しい。
なのに自分という人間は、心の中でずっと虚無を抱えたように生きている。半年ぶりに会った友人に「お前、目が死んでるぞ」と会って3秒後に言われた。
その後僕の目が輝いていたのは、なんと人の悪口を言っている時だったという。本当に自分が情けない。

少し前、バンドを辞めたくなった。
自分がなんのために音楽をしているのかもわからず、何よりもライブをしても楽しく無くなってしまったというのが最大の理由だった。
周りを見渡せば売れていく同期たち。SNS運用などの戦略的な話。大人たちの信じていいのかわからないバンドの話。
ライブ終わりはいつも大きな劣等感を抱え、頭痛に耐えながらも終電ギリギリの電車に揺られ、やっとの思いで家に着くと父親に怒鳴られる、というのがいつもの流れだった。

全てに疲れていた。それなりの重さがあるギターの機材は、ライブ終わりだとより一層重く感じられた。
高校生活で味わった屈辱や劣等感を晴らしたくバンドに打ち込んでいたのにその劣等感とやらはさらに強くなるだけだった。
1年と少しの活動期間だったが、その間何度もバンドをやめようと思った。

それでも辞めなかったのはやはり、「今ここで何も成し遂げていないのにバンドをやめるのはダサすぎる」という思いからだった。

満足いく曲を1曲でも書けただろうか。
今死んでいいと思えるライブが一本でもできただろうか。
たった一人でさえ人の心を動かすことができただろうか。

考える。頭の中がぐるぐるする。頭が痛くなる。
この繰り返しの中、やっとの思いで作り上げた曲を翌朝聞き返すとひどい完成度でまた落ち込む。

一週間に一度は、不幸の頂点に立ったような思いを抱える。
ロックバンドを営む立場なので当然の振る舞いである。
ロックバンドに触れるといつも辛い気持ちになるのにその全てが愛おしいのはなぜだろう。
きっと呪いか魔法かとかそんな類なのだろうが、そんなスピリチュアルな話に興味は無い。

先日どうしても嬉しいことがあった。
「ナイレコの曲に救われている」と声に出してい言ってくれた友人がいたことだ。
そいつは僕と同級生なのだがもう社会人であり、仕事おわりにいつもナイレコの曲を聴いてくれているとのことだった。

涙が溢れそうになるほど嬉しかった。
憎しみと妬みを煮詰めて固めたような僕という人間が作る曲で「救われた」と言ってくれたことは、間違いなく僕の人生の財産だ。

他にもナイレコのファンだと言ってくれる人が、ほんのわずかだけど居てくれる。
それを実感した時だけが唯一、頭痛を起こしながらも、あの重い機材と劣等感を持ち歩いた日々が肯定される。
聴いてくれている皆様、本当にいつもありがとう。

今日は久しぶりにバンド関連の仕事で心の底からワクワクした。
バンドは現在も未だ活動休止中なので詳しくは言えないけど
でも僕はやっぱりバンドをやりたいと思っているから、また色々と
The Night Recordsとして報告できそうです。

これからも劣等感の間から汚れたフィルターで世界を覗き、
なんとかワクワクしていたいと思う。
僕のロックスターたちがそうであったように。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?