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ボルケーノ・ファーストレース

観客の熱気を浴びてスタートラインに立つのは初めてのことだった。

緊張などするタチではないと思っていたが、実際に歓声を聞き、大勢の視線を集めれば自然と心が沸き立ってくるようだ。

呼応するように、己の内の炎も猛る。

レース競技が発展したホウキが木製だったのは、ある種必然だったのかもしれない。耐火性をそなえた素材がメジャーであれば、俺のような火属性魔法の使い手が魔力暴走を起こす事故が二、三回は起きていただろう。

深く呼吸して、どうにか心を落ち着ける。

まだ火を灯すには早い。片手に掴んだ相棒は、まだ冷たさを保っている。

アイアスが生んだ鋼鉄製ホウキ「ボルケーノ」。

耐火性に優れたこのホウキが、火属性使いの俺が全力で扱える唯一のスピードレース用ホウキだ。

そして、アイアス地方で作成された唯一のスピードレース用ホウキでもある。

歓声が高くなって視線を上げてみると、丁度スターターが足場を上がっているところだった。

額の上から防塵ゴーグルを下ろし、首に巻いたスカーフを鼻の上まで持ち上げる。靴底の厚いブーツで二回蹴れば、軽く砂埃が立った。

周りのレーサーと比べれば、俺の装備は全体的にもっさりと見えるだろう。軽量化を最優先にされたスピードレーサーは、魔法使いの必需品であるローブもまとわない。靴は地面を歩くことを想定していない布製で、アイアスの道なら一分と経たず足が血まみれになりそうだ。

とはいえ、俺が装備を軽くする理由もない。ボルケーノはそれだけで二十キロもあって、ホウキとしては規格外の重さなのだから。

スターターが足場を上りきり、会場はにわかに静かになっていく。「レディ」の声と共にスターターが杖を上げると、周りのレーサーは皆ホウキを上昇させた。

歴史ある木製ホウキは自由に空を飛ぶ。対して鉄製ホウキは火炎の推進力で駆けるしかない。

結果、俺はまだ地に足をつけていた。ただホウキに跨って、ズシリと重いボルケーノの負荷を腕で感じる。

防塵ゴーグル越しの視線を上げると、スターターの杖の先に光が集まっていた。

その光が強まって、臨界点を越えた瞬間。破裂音と共にスタートの合図が放たれた。

思い切り大地を蹴り、己の内から魔力を開放。ボルケーノの穂にあたる部分に叩き込めば、埋め込まれた魔石から炎が噴出した。

蒸気機関に比べれば、この初速は断然速い。けれどスピードレース用に調整されたホウキとその乗り手は、当たり前のように前を飛んでいた。

防塵ゴーグルに砂が叩きつけられる。前方のレーサーが巻き起こす風が髪を暴れさせた。

木製ホウキの動力は風属性のマナだ。特に速度偏重のホウキとなれば、後方を気遣うような造りはしていない。

先頭集団に入れないことは確定していたから、風の洗礼を受けるのも分かっていた。ボルケーノの火力は控えめに、確実にコースを走ることを優先する。

鉄製ホウキの難点は、制御の難解さそのものだ。

アイアスのホウキは止まれない。速度を出したまま、己の重心移動でコーナーを曲がる必要がある。

──焦りは禁物だ。たとえ戦闘集団がはるか前方にいたとしても。

集団の最後尾に貼りついたまま、付かず離れずを維持する。知らず流れていた冷や汗が風で吹き飛んでいく。空気の流れる音が耳元で延々鳴り続けるのももはや気にならず、過集中のせいで遠く客席からの歓声や怒号すら聞こえてきそうだ。

重苦しい低音の怒声は、聞き慣れた声音のような気もする。おそらくアイアスから来たドワーフ族だ。

まず間違いなくボルケーノの勝ちに賭けているから、俺がモタモタしているのが許せないのだろう。

守銭奴とすら呼ばれる彼らだが、土にこだわる性質から強い郷土愛を持っているのだ。

レースも終盤。レーサーが順に最終コーナーへ入っていくのを尻目に、俺はアウトコースへ膨らんでいく。

スピードレースの最後の直線。

アイアスのホウキが輝けるのはここしかない。

姿勢は低く。風圧で吹き飛ばされないように柄を握りしめる。

──鉄製ホウキの筒状になった穂から、後方に向けて放たれる炎を竜の息吹ドラゴン・ブレスと表現したのはどこの情報誌だったか。

その比喩が気に食わなかった職人が作ったのが火山ボルケーノだ。

目の前が開けて誰の背中も見えなくなった瞬間。ボルケーノに内蔵された魔石へ再度魔力を注ぐ。

今度は全力だ。アイアスと違ってマナは有り余っている。周囲から集めてまとめてしまえば、魔石から放たれる炎は更に強くなる。

火炎が炸裂。爆発的な加速で直線を飛ぶ。

歓声が聞こえなくなった。観客席の最前列で、ドワーフ族が箒券を放り投げた姿勢のまま固まっている。ゴーグルに当たった砂利の一粒までを引き伸ばされた知覚で視認した。

二、三メートルの距離を取って、左手に並ぶ木製ホウキのレーサーたちを遠慮なく抜き去っていく。

ここまで来れば、意識すべきは“ゴールの先”だ。

ゴールラインは瞬きの間に通過。直後から減速を始めて、段々と音が戻ってくる。

いっそ熱狂的な歓声だった。コース外周の壁が近づくにつれて悲鳴じみた声も混ざってくるが、俺がギリギリで曲がり切ればそれも収まって歓声だけになる。

充分に減速しきってから、思い切って飛び降りる。ぐるりと見渡せば、席を埋め尽くした観客たちがアイアスの鉄製ホウキの初勝利に沸き立っていた。

最前列のドワーフ族はといえば、ついさっき放り投げた箒券を必死に探していた。


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